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津波ですべて失われた虎舞を大復活!釜石市・鵜住居虎舞はいかにして困難を乗り越えたのか?

更新日:2021/12/22 いなむ
津波ですべて失われた虎舞を大復活!釜石市・鵜住居虎舞はいかにして困難を乗り越えたのか?

東日本大震災から10年が経過した。岩手県釜石市の鵜住居(うのすまい)虎舞は、津波の被害を受け一時期は虎舞ができなくなった時期もあった。しかし、そこから見事に復活を遂げ今に至る。

虎舞という民俗芸能は様々な困難を乗り越えてなお、地域の人々に愛され続けている。寅年を前にして、改めて虎舞の地域における役割について考えたいと思い、鵜住居を訪れた。

鵜住居虎舞とは?

まず、鵜住居虎舞の概要についてここで触れておこう。虎頭を使った演目は主に3つあり、矢車、跳ね虎、笹喰(ささば)みと呼ばれる。また、そのほかに手踊りが数多く伝承されているのが特徴だ。虎舞の演目だけは全員が踊れるようにするそうで、以下、鵜住居虎舞の主な演目とその意味について整理しておく。

①矢車(遊び虎)
虎頭を使った舞。端午の節句の鯉のぼりの上で元気よく回る矢車に太鼓のバチさばきが似ているところから名づけられた。別名を遊び虎と称し、春麗らかな日差しを浴びて無心に遊び戯れている虎のゆったりとした優雅な表情を踊りにしたもの。

②跳ね虎
遊び戯れていた虎も季節が変わり、秋になると狩猟シーズンを迎え、猟師(マタギ)に追われ、ついに傷つき荒れ狂う様を踊りにしたもの。

③笹喰み
虎の武器である牙を、硬い竹で磨く様子を踊りにしたもの。

▼鵜住居虎舞の映像(出典:Japanese folk performing arts 東北文映研ライブラリー映像館)

鵜住居虎舞の始まり

今回は鵜住居青年会の小原正人さんにお話を伺うことができた。まずは鵜住居虎舞の歴史について。虎舞が始まったのは年号まではわからないが、江戸時代中期ごろのようだ。小原さんによれば、「青年会の先輩のお墓から笛が見つかって、その笛に名前が書いてあり、名前を家系図で辿ったところ江戸時代中期まで遡ることができた。」とのこと。

この虎舞は上閉伊郡あるいは両石町から伝わったと言われている。地元の鵜住神社に奉納する舞いであり、鵜住神社例大祭には御神輿のお供役として参加する。昭和 26 年頃までは「鵜住居若者會」が継承し、その後「鵜住居青年会」が保存継承活動を続けている。

虎頭の裏には、「奉納 鵜住神社」の文字

津波で全道具が流失、何とかして続けたいという想い

鵜住居虎舞の歴史において、2011年の東日本震災は大きな転機になったことだろう。小原さんによれば、「虎舞の道具が全部、津波で流されてしまった。会員の中には家や家族が流されてしまい、虎舞をしている状況ではなくなってしまった人もいた」とのこと。その当時の状況は、現地に居なかった自分にとって想像を絶する。

それでも地域に伝わる虎舞をなんとか残さなくてはいけないということで、復活に向けて動き始めた。
まず資金面に関しては、様々な方々の支援や補助金などを頼ることができた。そして、道具も全て一から少しずつ買い揃えた。また、津波で家を流された人にも声をかけて、地域外からでも担い手を募り、虎舞を演じる担い手を確保した。そのような様々な苦難を乗り越えて、ようやく東日本大震災があった年の秋には、演舞ができるまでに復活できたようだ。

まずは、繋がりがあった茨城県日立市の秋祭りに呼ばれ、道具は完璧でなくても演じることができた。また、避難所や仮設住宅で舞うこともでき、元旦には仮設住宅を区画ごとに回った。町内を歩くことができない状態で、神社のみで奉納を終えるという苦しい時期もあったという。それでもなんとかできる限りの事をやり、地域を勇気付けようとする鵜住居虎舞の演舞は、地域内外の震災復興に対する大きな希望となったに違いない。

津波があったとは考えられないほどに穏やかな南三陸の海

地域一丸となって虎舞を応援

イベントなども含めれば、年間20回ほどの出演をこなすという。とりわけ、2019年のラグビーワールドカップの時には鵜住居で試合が行われたので、「ぜひ地域の民俗芸能として出演してほしい」ということで、かなり多くのイベントに出演されたようだ。

イベントの出演依頼が来るときは、釜石市の虎舞連合会(市役所の観光課)を通して話がくるようになっているとのこと。日本全国を見渡せば、年間20回以上の公演数をこなせる民俗芸能の団体というのはごくわずかであり、これは虎舞連合会という組織と自治体のバックアップがあってこそだと感じる。地域一丸となってこの民俗芸能を応援しているように感じられた素晴らしい機会となった。

今回メインでお話を伺ったのが写真左側の小原さん

小学校の授業で子供たちが虎舞を習う

鵜住居にお住まいの方から、虎舞の担い手ではない市民としての視点で、虎舞のことを教えていただく機会もあった。最近は小学生が授業の一貫で虎舞を習うそうで、「子供たちが民俗芸能を知るうえで素晴らしい機会になっている」と感じているようだ。女子が手踊りで、男子が虎舞の担当をするという。

このように鵜住居では、公教育の場で虎舞に触れる機会もある。小学校が積極的に民俗芸能の伝承に関わることで、子供たちも「虎舞をやりたい!」と思えるような環境づくりができていて、素晴らしいと感じた。日本全国を見渡せば、民俗芸能を授業に取り入れている学校はまだまだ少なく、このような取り組みはどんどん広がって欲しいと感じた。

同時にこの話を伺っていて、鵜住居の虎舞が地域によって支えられているという実感はよりいっそう強くなった。

地域の中で虎舞が果たしている役割とは?

鵜住居という地域は、江戸時代から脈々と続いてきた歴史の中で、直近の東日本大震災に限らず、自然災害や疫病などの多くの困難に直面しては乗り越えてきたのであろう。虎舞はそのような地域での困難を乗り越え、バラバラになった人たちの心をひとつにするような役割を担ってきたのだ。

その裏側には小学校や自治体の大きなバックアップがあり、地域一丸となって、虎舞の大きな盛り上がりを作り出している。鵜住居虎舞の活動が気になった方は、旧暦の8月15日の次の日に行われる鵜住神社の宵宮祭や、各種イベントにぜひ足を運んでいただきたい。

鵜住居駅前での鵜住居虎舞による演舞(写真提供: eji Kawasaki様)

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
獅子舞マニアです。ライターやカメラマンをしています。趣味は、獅子舞の鼻を撮影することです。その他クレイジーな祭りにも潜入します。

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