吉田の火祭り。富士山の麓、山梨県富士吉田市で毎年8月26日、27日に開催されるお祭りで、富士山の鎮火への祈りを込めたお祭りである。2基の神輿渡御や、氏子地域一帯で巨大な松明を焚くことで知られ、日本三奇祭の一つに数えられている。
昨年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、史上初の中止をせざるを得なかったが、2021年は感染症対策を徹底の上、例年に近い形で開催された。
開催後、1ヵ月が経過した現在、富士吉田市の感染者数は増えるどころかむしろ減少に転じている。
この記事では、吉田の火祭りが出来るだけ例年に近い形で開催された経緯と、どのように感染症対策と祭り本来のもつ意味との折り合いをつけたのかを紹介する。
目次
コロナ禍でも開催を決断。その背景にあったもの
人と人との接触が制限されるコロナ禍において、祭りを開催することは非常に難しい。
祭り・イベント総合研究所が実施した調査(調査期間:2021年1月21日~2月5日)によると、全国の祭りの約7割が中止や規模縮小に追い込まれていると言う。
そんな中でも吉田の火祭りの担い手たちは、祭りの開催を諦めなかった。
「出来るだけ例年に近い形で吉田の火祭りを開催したいという想いでしたね。また、もう一つには、世話人たちに祭りをさせてやりたかった。」
北口本宮冨士浅間神社で神職を務める田邉氏は、このように振り返る。
記録に残るだけで400年以上の歴史をもつ吉田の火祭り。史上初の中止となった2020年を思うと、今年こそは開催したい気持ちが強かったのだと語る。
ところで、田邊氏の言葉にあった「世話人たち」とは、年間を通して神社の行事に奉仕する担い手のことを指す。とりわけ吉田の火祭りは、世話人たちにとって最も重要な奉仕の場であり、晴れ舞台でもある。祭りを終えると、感極まって泣き出してしまう世話人もいるほどだ。
また、世話人は通常任期一年のところ、昨年祭りが中止となったことで全員が留任し、今年も継続して世話人を務めたのだと言う。
開催するための「落としどころ」
さて、担い手一同が「出来るだけ例年に近い形で開催する」という方針を決めたは良いものの、ことはそう簡単には運ばなかった。
報道にもあるように、富士吉田市長は2021年6月の定例会見で「神事のみに自粛すべきだ」との見解を示している。
「堀内氏は、開催すれば「みこしが出て、多くの人が集まるほか、屋台なども出るため、飲食も発生する」と懸念する。」
※産経ニュース 吉田の火祭り「神事のみに自粛すべきだ」 富士吉田市長見解(2021/6/11 18:12)
このような懸念の声を踏まえ、全て例年通りの開催ではなく、出来る限り人の密集を避ける対策が講じられた。
出店屋台の出店を禁止し、来場自粛を呼びかけることで、来場者を抑えることは比較的容易に対策がとれる。
問題は、祭りの神事の中で、担い手たちの「密」をどう避けるか。関係者の中で最も頭を悩ませたのが神輿渡御だった。
神社も、氏子も一体となって祭りを行うことの意義
そもそも神輿とは、「神幸のとき、神霊の乗り物とされる輿」とされ、渡御は「神輿が神社を出て氏子中を回ること。」とされる。(※Weblio辞書国語辞典参照)
つまり、神輿渡御とは、普段神社でお祀りしている神様を神輿に一時お乗せして氏子地域を担いで練り歩くというものだと言える。
吉田の火祭りが中止となった2020年には、当然神輿渡御は行われなかったが、2名ずつ交代で世話人によって担がれた「唐櫃(からひつ)」という木箱に神様をお乗せして氏子地域を練り歩いたとのこと。
これだけを聞くと、「神様をお乗せして、氏子地域を練り歩く」という目的は「唐櫃」による代替でも十分果たせている様に思うが、北口本宮冨士浅間神社の田邉氏によるとやはりこれでは不十分なのだと言う。
祭りには、神社だけでなく、氏子地域に住んでいる人が関わって初めて、神社と地域とが一体となり、つながりが生まれるもの。
神職だけで神事だけを行うのでは、「祭り」としては不十分である。
また、吉田の火祭りにおいては2基の神輿がそれぞれ渡御されることに大きな意味があるのだと言う。
取り分け富士山を模した「御山神輿」は、渡御の途中で地面に打ち付ける場面があり、富士山鎮火への祈りを込めた神事としても欠かせないもの。
このように祭り本来の意味から考えても、出来るだけ例年に近い形で開催する以上、神輿を出すためにどうしたら良いか?と、皆が知恵を出し合うことになった。
まさかの○○で神輿渡御?!
神輿は通常、人の手によって担がれ、渡御されるもの。人の手で担ぐには、密集せざるを得ない上に、その時間も長くなってしまう。
そこで当初は、神輿を渡御するルートは例年通りで変更せず、人の手によって担ぐところをトラックで行おうとする案が検討されていたが、どうしても2基の神輿が行ったり来たりするルートの性質上、トラックだと小回りが利かないため、渡御が難しいことが分かった。
どうしたものか考えあぐねていたところ、長年、世話人たちを統率してきた「親方」が、フォークリフトによる神輿渡御を提案したのだと言う。
「親方」は普段、建築・土木を生業としている。
当然フォークリフトにも詳しいが、それ以上に神輿渡御のルートや、神輿についても熟知していたからこその提案だった。
先述したように、吉田の火祭りでは2基の神輿が渡御されるが、当然大きさや重さも異なる。
「親方」は見事、それぞれのサイズに適したフォークリフトを提案し、無事に渡御のルートを変えることなく、神輿渡御が実現するに至った。
直会なし。徹底された感染症対策
こうして密を避ける工夫を凝らして行われた吉田の火祭りだが、神輿をフォークリフトに乗せる、また下ろす際には、どうしても人の手が必要になる。
そのため、神輿渡御に関わる担い手たちには徹底した感染症対策が講じられた。
マスク着用はもちろん、手指を消毒する除菌スプレーを常に首から下げて携帯し、定期的な消毒を実施。
それだけではなく、除菌スプレーによる神輿の拭き上げも定期的に行う徹底ぶりだ。
また、感染拡大に影響があるとされる「飲食」については、熱中症対策のための水分補給は行ったものの、仕出し弁当などの食事は一切なし。
例年であれば祭りの後には「直会」と呼ばれる食事会が行われるが、それらも一切行われず、感染症対策を徹底した。
辞退0。減らなかった企業協賛
こうして例年に近い形で開催された吉田の火祭りだが、もう一つ驚くべきことがあった。
それは、企業協賛である。
吉田の火祭りにおける企業協賛は、松明の奉納によって行われる。
2019年に奉納された松明の本数は96本。本年(2021年)に奉納された松明の本数も96本と、本数は変わらなかった。
企業からの協賛によって奉納される松明には、芳名版に企業名が記載される。
それを企業の「広告宣伝」と捉えるならば、観光客の来場自粛が呼びかけられている中で、その効果は0に等しいと言えるだろう。
北口本宮冨士浅間神社の田邉氏によると、協賛を辞退する企業は無かったのだと言うから、驚きだ。
担い手だけでなく、企業も「協賛」という形で、吉田の火祭りの開催を後押ししたと言える。
おわりに
2021年の吉田の火祭りは、コロナ禍の中でもなんとか例年に近い形での開催が行われたが、反対する声も多かったのだと言う。
それでも最終的には一致団結し、神社も、氏子も、皆が知恵を出し合って、例年に近い形で祭りが開催された。
なお、今回取材協力をいただいた冨士浅間神社の田邉氏からは、
「吉田の火祭りがどうやって開催されたのか?事例を紹介いただくことで、他の祭り主催者の皆さんのお役に立てれば幸いです」と、コメントが寄せられている。
この記事が全国の祭り主催者の示唆となれば幸いである。
※参考:祭り・イベント総合研究所「コロナ禍における祭り・イベント関係者の動向・意識調査」https://omatsurijapan.com/news/matsuri-souken/