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古都の魅力あふれる京都は、国内のみならず海外からも絶大な人気を集めています。京の都が栄華を誇った平安時代、貴族によって行われていた雅な祭礼や行事は今なお受け継がれていますが、その代表格が「葵祭(あおいまつり)」です。

1,000年あまりも前に、清少納言や紫式部も同じ光景を見て、作品に登場させていたという葵祭。一体どのようなお祭りなのか、由来や見どころなどをご紹介しましょう。

葵祭の始まりは?

祇園祭、時代祭とならび京都三大祭りの一つと称される葵祭。元々は「賀茂祭(かもさい)」と呼ばれていた、下鴨神社と上賀茂神社の例祭です。
現在は毎年5月15日に行われ、500名もの行列が京都御所から下鴨神社を経由して上賀茂神社まで約8kmの道のりをゆっくりと進み、爽やかな初夏の京都が平安時代にタイムスリップしたかのような情景に包まれます。

祭りの起源は京都三大祭りの中で最も古く、約1500年前の大和時代までさかのぼります。当時は度重なる風水害により凶作が続いていました。
欽明天皇が占いをさせると原因は賀茂の神様の祟りだと分かり、それを鎮めるため馬に鈴を付けて走らせ五穀豊穣を祈願したのが祭りの始まりといわれています。

 

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都が京都に移って平安時代になると、天皇が国の平和を願って使者である勅使(ちょくし)を派遣し、祈りを捧げるという国家的な祭りへと発展します。

この勅使が賀茂社へと向かう道中の行列が、次第に注目を浴び大勢の観客が集まるようになりました。これこそが現代でも最大の見どころである行列「路頭(ろとう)の儀」になったというわけです。
また、勅使が賀茂社で捧げる祈りは「社頭(しゃとう)の儀」と呼ばれ、こちらも今の葵祭で変わることなく斎行されています。

最大の見どころ「路頭の儀」と「斎王代」

現在の路頭の儀には2つの行列があり、勅使の役目をする近衛使代(このえつかいだい)を中心とする「本列」と、その後ろに斎王代(さいおうだい)を中心とする「斎王代列」が続きます。

 

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斎王というのは、平安時代に皇室の未婚の女性から選ばれて賀茂社に奉仕した女性のことです。現代では京都市民の女性から1名が選ばれ、斎王に代わる「斎王代」としてその役割を担います。美しい十二単をまとった斎王代は、腰輿(およよ)と呼ばれる輿に乗って優雅に都大路を進むのですが、その華やかな姿はまさに葵祭のヒロインです。

ちなみに葵祭の名前の由来は、賀茂社の神紋である二葉葵にちなんで社殿には葵を飾り、斎王代や腰輿をはじめ、祭りに参加するすべての人々や乗り物が葵の葉を付けることからきています。

5月初旬からの「前儀」にも見どころたっぷり

「路頭の儀」が行われる5月15日よりも前に、葵祭では5月初旬から様々な儀式が「前儀」として行われています。例えば、5月3日に下鴨神社で行われる「流鏑馬(やぶさめ)神事」は、日本三大流鏑馬の一つとして有名です。

 

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5月4日には、上賀茂神社と下鴨神社で毎年交互に「斎王代女人列禊の儀(さいおうだいにょにんれつみそぎのぎ)」が行われます。これは斎王代と女人たちが身を清める儀式で、雅楽が流れる中、平安装束を身につけた50余名の女人列が進むさまは雅な王朝絵巻を彷彿とさせます。

5月5日には上賀茂神社で「賀茂競馬(かもくらべうま)」が行われ、2頭の馬の勝敗でその年が豊作かどうかを占います。

 

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5月12日には上賀茂神社で「御阿礼神事(みあれしんじ)」が、下鴨神社では「御蔭祭(みかげまつり)」が執り行われます。いずれもコロナ禍でも中止せずに斎行された、神霊を賀茂社に迎えるための大切な神事です。

紫式部が「源氏物語」に書き、清少納言も絶賛!

単に「まつり」といえば葵祭(賀茂祭)のことを指すほど、平安時代の当時から見物客がごった返していた葵祭。世界最古の小説といわれる「源氏物語」では、作者の紫式部が、熱狂する葵祭を女性同士の恋愛のバトルの舞台に設定し、巧みに活写しています。

それは第九帖「葵」の「車争い」の場面。禊神事の行列に参加する光源氏の晴れ姿を一目見ようと、元恋人の六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は目立たぬよう古びた網代車に乗ってやってきます。そこへ後から正妻の葵の上の牛車がやってきて、場所の取り合いでお供の者たちが大乱闘になってしまうのです。

結局、立ち退かされ車も壊され、大勢の見物客の前で恥をかかされた御息所は、嫉妬と屈辱から生き霊となって葵の上に取り憑き、とうとう殺してしまうというストーリーです。

また、日本初の随筆といわれる「枕草子」を書いた清少納言も葵祭を絶賛。行列に参加する人々の美しい装いや初夏の風景の爽やかさなどを愛で、祭りが終わった後の切なさを「枯れた葵」に重ね合わせて綴っています。

葵祭の後の切なさについては、吉田兼好も自身の随筆「徒然草」の中でふれており、時を経て鎌倉時代になっても、葵祭は変わらず愛される祭りであり続けたことが分かります。

おわりに

この記事では、元々は賀茂祭と呼ばれていた「葵祭」をご紹介しました。
途中、戦乱の時代には長期中断もあり、ここ数年のコロナ禍では神事のみ行い、祭りのハイライトである路頭の儀が中止になったりもしました。

それでも1,000年もの間に京都の町に刻まれた歴史と育まれた文化が、誇りと情熱をもって祭りという形で表現されているように感じられます。

興味をもった方はぜひ、最新の情報を京都観光公式サイトなどでチェックして次回の葵祭を訪れてみてはいかがでしょうか。

国内外問わず、その魅力で多くの人を惹きつけてやまない古都・京都。
平安の世に大陸から伝わった当時の最先端の文化や風習・年中行事を朝廷の催しに取り入れ、独自に発展させ、継承してきた風土ゆえ、王朝文化の典雅な趣を今も感じさせてくれる祭礼が数多く残り、開催されています。
なかでも、

◎祇園祭
◎葵祭(賀茂祭)
◎時代祭

の3つの祭りは「京都三大祭り」と称されています。
これに「五山送り火」を加えて「京都四大行事」と呼ばれることもありますが、この記事では、祭りの始まりや歴史、内容が似ているようで実は三者三様の、この3つの祭りについてご紹介します。

祇園祭

祇園祭は、日本三大祭りの一つにも数えられ、京都のみならず日本を代表するお祭りです。明治元年(1868年)に改称するまで祇園感神院(祇園社)という名前だった八坂神社の祭礼として、毎年7月1日から31日まで1か月にわたって行われ、京都の夏の風物詩となっています。

歴史は古く、1,150年以上。平安時代前期の貞観11年(869年)、全国で猛威をふるった疫病を鎮めるため、京都の神泉苑で当時の国の数と同じ66本の鉾(ほこ)を立てて行われた「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」が始まりとされています。

祇園祭の最大の見どころは、「山鉾(やまほこ)」と呼ばれるきらびやかな山車(だし)が町中を練り歩く「山鉾巡行」です。
現在のように山鉾が豪華に、祭りが盛大になったのは、室町時代のこと。応仁の乱で京都が焼け野原になり、貴族が去って町人が台頭するにつれ、各町が経済力を誇示するため山鉾を華やかにして競うようになりました。

山鉾の装飾品の中には、当時、西洋やアジアから輸入されたタペストリーなど、現在では入手不可能な芸術的価値が高い貴重品も多く含まれます。
それゆえ山鉾は「動く美術館」とも呼ばれ、「京都祇園祭の山鉾行事」としてユネスコの無形文化遺産にも登録されています。

祭りのクライマックス「山鉾巡行」は、毎年7月17日の前祭(さきまつり)に23基、7月24日の後祭(あとまつり)に11基の山鉾が登場して練り歩きます。両日とも夕方に、八坂神社の三祭神を乗せた3基の神輿が町を渡御するため、それに先立って町を祓い清める目的で行われています。

前祭の前の7月14日~16日までと、後祭の前の7月21日~23日まで、それぞれ3日間は「宵山」と呼ばれる前夜祭の期間です。山や鉾には提灯が灯ってお囃子の音が響き、街中が祭りムード一色に。中に上って内部を見学できる山鉾があったり、さまざまな露店が出ていたりと、山鉾巡行にも劣らない人気で多くの人が訪れます。

その他にも見どころ満載の祇園祭。初めてでも楽しみ尽くす方法を下記の記事で伝授していますので、ぜひ合わせてご覧ください!

◎2022年の開催は?

今年2022年の祇園祭は、例年どおり7月1日(金)~31日(日)に開催。コロナ禍で山鉾巡行は2020年から縮小開催が続いていましたが、3年ぶりに通常通りの形で実施され、2年間中止だった宵山も行われました。

加えて大きな話題となったのが、応仁の乱以前から巡行していて大人気だったのに、何度も焼失に遭い約200年間「休み山」となっていた「鷹山」の復活です!


鷹山は来年2023年以降も、金工品や漆塗りなどによって魅力を増していくとのこと。今後の見どころの一つとして期待しましょう。

祇園祭の詳細は京都観光公式サイトなどでご確認ください。

葵祭(賀茂祭)

©佐々木美佳

葵祭は、元々は「賀茂祭」と呼ばれた下鴨神社と上賀茂神社の例祭です。毎年5月15日に行われ、500名もの行列が京都御所から上賀茂神社まで約8kmの道のりをゆっくりと進み、爽やかな初夏の京都が平安時代にタイムスリップしたかのような光景に包まれます。

祭りの起源は京都三大祭りの中で最も古く、約1500年前の大和時代までさかのぼります。当時は度重なる風水害により凶作が続いていました。欽明天皇が占いをさせると原因は賀茂の神様の祟りだと分かり、それを鎮めるため馬に鈴を付けて走らせ五穀豊穣を祈願したのが祭りの始まりといわれています。

都が京都に移って平安時代になると、天皇が国の平和を願って使者である勅使(ちょくし)を派遣し、祈りを捧げるという国家的な祭りへと発展します。
この勅使が賀茂社へと向かう道中の行列が、次第に注目を浴び大勢の観客が集まるようになりました。これこそが現代でも最大の見どころである行列「路頭(ろとう)の儀」になったというわけです。
また、勅使が賀茂社で捧げる祈りは「社頭(しゃとう)の儀」と呼ばれ、こちらも今の葵祭で変わることなく斎行されています。

現在の路頭の儀には2つの行列があり、勅使の役目をする近衛使代(このえつかいだい)を中心とする「本列」と、その後ろに斎王代(さいおうだい)を中心とする「斎王代列」が続きます。

斎王というのは、平安時代に皇室の未婚の女性から選ばれて賀茂社に奉仕した女性のことです。現代では京都市民の女性から1名が選ばれ、斎王に代わる「斎王代」としてその役割を担います。美しい十二単をまとった斎王代は、腰輿(およよ)と呼ばれる輿に乗って優雅に都大路を進むのですが、その華やかな姿はまさに葵祭のヒロインです。

ちなみに葵祭の名前の由来は、賀茂社の神紋である二葉葵にちなんで社殿には葵を飾り、祭りに参加する人々はみな葵を身につけることからきています。

 

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「路頭の儀」の前に、葵祭では様々な儀式が「前儀」として行われています。例えば、5月3日に下鴨神社で行われる「流鏑馬(やぶさめ)神事」は、日本三大流鏑馬の一つとして有名です。5月5日には上賀茂神社で「賀茂競馬(かもくらべうま)」が行われ、2頭の馬の勝敗でその年が豊作かどうかを占います。

5月12日には上賀茂神社で「御阿礼神事(みあれしんじ)」が、下鴨神社では「御蔭祭(みかげまつり)」が執り行われます。いずれもコロナ禍でも中止せずに斎行された、神霊を賀茂社に迎えるための大切な神事です。

◎2022年の開催は?

今年2022年の葵祭は、流鏑馬神事や賀茂競馬、御蔭祭などの神事は行われたものの、祭りのハイライトである路頭の儀の行列が新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となってしまいました。来年こそは完全開催できることに期待しましょう。

葵祭の詳細は京都観光公式サイトなどでご確認ください。

時代祭

毎年10月22日に開かれ、「動く歴史風俗絵巻」とも呼ばれる総勢2,000名もの行列で秋の京都を彩るのが「時代祭」です。祇園祭や葵祭と同様にとても雅で華やかなお祭りですが、他の2つの祭りが千数百年の歴史を持っているのに比べとても新しく、今から130年ほど前に始まりました。

祭りが始まった明治28年(1895年)は、平安京に遷都してからちょうど1,100年という節目の年。当時の京都は幕末の戦乱による荒廃と衰退から、復興と近代化を遂げている途上でした。そこで「平安遷都千百年紀念祭」を行い、同年に「第四回 内国勧業博覧会」開催も誘致して、見事な経済回復を実現させたのです。
このとき紀念祭の象徴として創建されたのが平安神宮であり、創建を祝して時代行列を行ったものが現在の時代祭の始まりとなりました。

時代祭では、明治維新から江戸時代、安土桃山時代、室町時代へと時代をさかのぼっていき、桓武天皇が平安京を築いた延暦の時代まで、8つの時代で20の行列が登場します。目の前に千年を超える京都の文化が蘇る様はまさに圧巻の一言です。

使用される衣装・祭具・調度品は合計で約1万2,000点にのぼりますが、そのすべてが精密な時代考証を重ねたうえで再現された本物。千年以上にわたって京都市民が培ってきた伝統工芸技術の粋が凝縮され、細部にまで京都人の心意気と誇りがふんだんに織り込まれているのです。

時代祭は、開催開始の翌年から平安神宮の祭礼となっており、時代行列の終盤には、ご祭神である桓武天皇と孝明天皇をのせた2基の神輿「御鳳輦(ごほうれん)」が練り歩く「神幸列」が巡行します。

両祭神に一年に一度、京都市内の安泰と繁栄、進化をご覧いただいて、京都市民の平安を祈る祭礼が「時代祭」の真の意義です。各列はこの神幸のお供をする行列となっています。

時代祭が始まった経緯や時代背景から、各列の詳細などは下記記事で詳しく紹介しています。ぜひ併せてご覧ください!

◎2022年の開催は?

コロナ禍で中止を余儀なくされていた時代祭ですが、今年2022年は10月22日(土)に通常開催されます。
例年どおり、総勢2,000名の大行列の先頭が京都御所の建礼門前を正午に出発し、約2㎞の道のりを進みます。平安神宮への到着は14:30頃の予定です。

すべての行列を椅子に座ってじっくり、ゆっくりと観られる有料観覧席は京都御苑、御池通、平安神宮道の3か所に設けられます。

有料観覧席の詳細とチケット購入は、京都観光オフィシャルサイトのこちらのページなどからご確認ください。

まとめ

今回は「京都三大祭り」と称される、祇園祭、葵祭、時代祭をご紹介しました。
3つの祭りは起源や目的、内容は違えども、いずれも京都という町に刻まれた歴史と育まれた文化が、誇りと情熱をもって祭りという形で表現されているように感じられます。

逆にいうと、京都三大祭りは千数百年もの京都の歴史と文化を一度に実感できる貴重なチャンスです。興味をもった方はぜひ祭りの期間に訪れてみてはいかがでしょうか。

寒さの中気持ちを込めて奉納する盛岡裸参りは、藩政時代から伝えられてきた神聖なる伝統行事。小正月の夜、下帯姿に注連縄、わらじ姿の男たちが、一年の無病息災、豊年を祈願するお祭りです。

2020年は、不退院:1/12、永祥院:1/11、教浄寺:1/14、盛岡八幡宮:1/15、浅草観世音:1/18、桜山神社:1/26に行われましたが、2021年は、中止が決定しました。

さて、盛岡裸参りと言われて、どのような祭りを想像しますか。

盛岡の裸参りとは?

盛岡裸参りは、下帯姿に注連縄、わらじ姿の男たちが、一年の無病息災、豊年を祈願するお祭りで主に盛岡の地域の消防団が主となって参加しています。例年9月14日~16日まで行われる盛岡秋まつりの各団体がほとんどそのまま裸参りにも参加しているのです。

消防団の支えで地域の子供も参加消防団が支えとなり裸参りを行う

筆者が所属する「八幡町四分団 い組」は、盛岡八幡宮のお膝元と団体として盛岡秋まつり同様毎年参加しています。今年は、新型コロナウイルスにより中止の報告を受け、皆がっかりしています。この記事では、同団体の紹介をしながら昨年までの様子を振り返ります。

およそ半月かけて準備をしていきます

はさみと纏3メートルもある「はさみ」

「八幡町四分団  い組」では、当日使う「はさみ」と呼ばれる3メートルほどの長い棒や「くわえ」と呼ばれる三角の白い棒を事前に準備します。「はさみ」には108枚の三角の紙を挟みます。これで煩悩を払うそうです。「くわえ」は、半紙を三角に折ったもので、これをくわえて奉納する事によって、健康祈願などの思いを外に吐き出さずに神社まで持っていけると言われる事と極寒の盛岡の街を歩く参加者の震えを止めると言われています。
当日は、団体の参加者をサポートするように列の外側についた団体関係者が、参加者の「くわえ」を静かに交換します。また、各団体の先頭には、祈願する寺や神社に鯛やお餅などのお供えを持って歩く参加者の姿があります。

静かに力強く思いを込めて 歩みをすすめる

整列をしてすすみます一歩一歩ゆっくり静かに進みます

お札をもやすどんと祭の日行われます

祭り当日、参加者は、昼ごろ集まり身を清めるために全員で近くの銭湯に向かいます。

丁寧に体を洗い、ゆっくりと熱いお湯に浸かって体を清め温めます。そして消防団の「番屋」に戻り、参加者ひとりずつ下帯を締めてもらいます。最近は下帯を締めてあげられる人が少なくなっていて、後継者を探しています。締め具合によって歩きやすさが違うそうです。
締め始めからキュッときつくしていく事で腰を支え、「はさみ」の重さに耐え、腰を落としてゆっくりと歩く独特の歩き方がしやすくなります。
参加者は、「しっかり締めてもらうと帯が自然と体になじんで締まり気持ちが入る。」と言います。男性だけではなく女性も参加できます。女性は、胸に晒しを巻いて参加です。

その後出発点である肴町商店街アーケードで記念写真をとり、整列し盛岡八幡宮に向かいます。ゆっくり腰を落として一歩一歩八幡宮に向かい、八幡宮に着くと一人ずつお神酒を頂き冷えた体を癒します。そして静かに帰路につきます。

列を横切ってはいけません

盛岡裸参りは、参加者個人個人、そして団体でも健康や商売繁盛など祈願をして歩くものです。

ですから、各団体の列を横切ることはできません。参加者の思いを断ってしまうからだそうです。誤って通りぬけようとするなら、団体の係りの人や祭りの意味を知る地元の人から強く戻されます。お気をつけてご覧ください。また5年、10年、20年と続けて参加することによってご利益も大きくなるそうです。参加記念に銀杯や金杯などが贈られます。

 

静まり返った盛岡の夜の街に響く、裸参り参加者が鳴らす鈴の音に心も浄化される「静」の祭りです。来年はコロナ消滅を願って裸参りができる事を祈っています。

*写真は2020年までに撮影したものです。