茨城県の中央部に位置する笠間市。 笠間稲荷神社の鳥居前町、笠間城の城下町として栄えてきました。「笠間焼」の生産地として知られ、市内で産出される「稲田みかげ石」は日本の近代建築の礎になりました。
台地では栗栽培が盛んで、全国でも有数の産地。
首都圏から100kmほどの距離の土地で華開いた 「陶芸浪漫」と「栗(マロン)」の街、笠間市をご紹介します。
創建1300年超の由緒がある笠間稲荷神社、江戸時代 笠間藩の藩庁にもなった笠間城を中心に栄え、笠間焼や稲田石といった産業とともに、笠間の文化は育まれてきました。
笠間市を代表する産業、文化、観光資源となっている「笠間焼」。
笠間市域には古く奈良時代から平安時代にかけての窯跡が残されており、この地域で1000年以上も昔から焼き物が作られていたことがわかっています。江戸時代中期に入り、箱田村(現在の笠間市)の久野半右衛門が、信楽焼の陶工の指導のもと作り始め、これが産業としての興りと言われており、江戸に近い立地を活かし技術者や従事者が飛躍的に増えていきました。
笠間焼は花崗岩の成分を含む「笠間粘土」を原料に使用しており、赤みを帯びた色合いの作品が多くみられるのですが、伝統を受け継ぎながらも自由な作風を許容する気風があり、多様で多彩な表現の焼き物が数多く作られているのも「笠間焼」の特徴です。
毎年ゴールデンウィークに開催される茨城県下最大級の陶器のイベント。
200軒以上の陶芸家・窯元・地元販売店などが立ち並びます。作家自らが店舗を丸ごと手作りした「手作り小屋」や陶芸家達が考案し工夫を凝らした飲食店など、個性豊かな店作りと作品が特徴的な陶器の祭典です。
会場となる「笠間芸術の森公園」は伝統工芸と新しい造形美術をテーマとした公園で、園内には「笠間工芸の丘」や「茨城県陶芸美術館」、芝生の広場や石畳もあり見どころ満載です。
笠間焼の原料「笠間粘土」は、花崗岩が長い年月を経て風化しながら形づくられてきました。笠間市で採掘される花崗岩は「稲田石(いなだいし)」や「稲田白みかげ石」と呼ばれ、江戸時代より石材として利用されてきました。明治時代になると本格的に採掘、加工されるようになり、国会議事堂、最高裁判所、東京駅など日本の近代化を象徴する数多の建築物の礎となりました。
当時日本最大級の規模を誇った石切場には、現在「石切山脈」「地図にない湖」と呼ばれる産業遺跡が残されています。
笠間焼を生み出した笠間の花崗岩「稲田石」は、結城街道や瀬戸井街道などを経由し各地と結ばれ、一方では焼き物として人々の暮らしを支え、一方では石材として日本の近代化を支えてきました。
日本三大稲荷のひとつとも数えられる「笠間稲荷神社」は、651年創建とされ1360年を超える歴史を有する由緒ある神社です。奈良時代の書物「常陸国風土記」には既に「笠間」の名が記されており、古くから広く信仰を集めていたと考えられています。
御祭神は「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」。「お稲荷さん」としても知られ、五穀豊穣、商売繁盛の神として信仰され、親しまれてきました。
歴代の笠間藩主からの信仰は特に篤く、江戸時代末期には社地社殿が拡張されることとなり、笠間稲荷神社が日本を代表する稲荷神社として人々の信仰を集めるとともに、笠間は門前町として賑わいを見せることとなります。
街道を通じ稲荷信仰、陶芸、石材が行きかい、栄え、笠間の文化が育まれていきました。
日本三大稲荷の一つ「笠間稲荷神社」。国指定重要文化財に指定されている本殿、茨城県の天然記念物に指定されている「八重の藤」と「大藤」の藤棚も見どころのひとつとなっています。茨城県下でも有数の初詣スポットになっている他、秋には菊まつりが催されるなど、年間を通して多くの参拝客で賑わいます。笠間名物のいなり寿司やせんべいなどの地元グルメを楽しめる門前通りも魅力的。
笠間市は、盆地特有の寒暖差のある気候、花崗岩質の土壌を活かした栗栽培が盛んで、全国生産量・栽培面積トップの茨城県のなかでも有数の産地となっています。秋には「かさま新栗まつり」が開催されるほか、貯蔵・熟成されたブランド栗「極み」が生産されるなど、笠間市は”栗の里”としての一面も持っています。
「笠間のゲートウェイ(玄関口)」をコンセプトに、笠間市の魅力を発信する「道の駅かさま」。笠間の特産である栗専門のカフェ&ショップをはじめ、地元の食材を使用したメニューが楽しめるフードコート・レストラン、新鮮な農作物やお土産品がそろう直売所などがあります。施設内およびメイン駐車場にはフリーwifiが完備され、キャンピングカーサイト(3台、要予約)もあります。