※2020年は新型コロナウイルス蔓延の影響で赤穂義士祭におけるパレード、会場行事については中止となりました。義士追慕の祭典及び法要については、大石神社、花岳寺においてそれぞれ実施されます。2021年には無事に開催されることを願いつつ、コロナウイルスの終息のために感染予防を心がけましょう。(2020年12月9日 編集部)
(この記事は2019年に公開されたものを再編集しています。2020年12月9日 編集部更新)
元禄時代を偲ぶ赤穂義士祭当日の赤穂市街
赤穂義士祭は1903年から毎年、赤穂義士が本懐を遂げた12月14日に赤穂市で開催され続けています。例年10:00前後から15:00過ぎまで、趣向を凝らしたパレードやパーフォーマンスが行われます。
赤穂義士祭の当日には、赤穂駅前や駅前通りには、横断幕やアーチ形の門が設けられ、気分を盛り上げてくれます。
赤穂義士祭のメイン会場となるのは、中央通り沿いの観覧席です。全てのパレードの終着点となり、ここで最後のパーフォーマンスを繰り広げます。
中央通り沿いの観覧席に向かうパレードの出発点は、赤穂城大手門前です。城の前で最初のパーフォーマンスを行った後に市街地のパレードが始まります。
赤穂城大手門前を出たパレードは、中央通りをゆっくり歩きながらメイン会場に向かいます。
赤穂城大手門前と中央通りを結ぶお城通りは、各々の会場を往復する人で溢れかえります。実況放送をするメディアの姿も随所で見かけます。
雰囲気を盛り上げる子ども達や各種のサークル
2019年の赤穂義士祭の開始を告げたのは、小さな子ども達による「わんぱく太鼓」でした。
太鼓の音が開始を告げると、赤穂城大手門前からのパレードが始まります。最初に登場するのは、赤穂市内の小学生による金管バンドです。
市内の子ども達が雰囲気を盛り上げた後には、伝統的な「義士おどり」、「赤穂おどり」が披露されます。
続いて、よさこい踊りの「でえしょん」、「南京玉すだれ」が続きます。
元禄時代にタイムスリップしたかのような赤穂義士祭の会場
前半に多種多様のパーフォーマンスが行われ、後半は元禄時代へと舞台が移り変わります。江戸時代には赤穂からも江戸に、長い「大名行列」が向かったことでしょう。
赤穂義士祭の開催日は、元禄15年12月14日の赤穂義士の吉良邸討入りの日に由来しています。「東映剣会殺陣」によって再現された討入り現場には迫力が漲ります。
血なまぐさい現場が再現された雰囲気を一変するのは、艶やかな衣装を身につけた義士娘です。人力車に乗って赤穂観光のキャンペーンガールのお披露目を行います。
義士娘が人力車から笑顔を振りまいた後、主役は小さな子ども達にバトンタッチされます。体は小さいながらも、堂々と「子供大名行列」、「子供義士行列」で整列し、赤穂城大手門から中央通りを進みます。
子ども達が、元禄時代に場面を移してくれた後には、「忠臣蔵」の世界が展開されます。「義士伝行列」では「忠臣蔵」の登場人物が象徴的な衣装で現れ、「忠臣蔵名場面の山車」が順に「忠臣蔵」のストーリーを物語ってくれます。
そして、赤穂義士祭の最後のクライマックスを飾るのが「義士行列」です。火事装束姿の赤穂義士47名が、「一打ち、二打ち、三流れ」の山鹿流陣太鼓の音に合わせて、市内を練り歩きます。先頭の大石内蔵助役には毎年、著名人が招かれ、2019年は高橋英樹さんが演じました。行列がメイン会場に到着した後、本懐達成の勝鬨をあげ祭はフィナーレとなります。
露店が軒を連ねるお城通り
多種多様のパーフォーマンスが行われる5時間あまりの間、赤穂市の中心街はお祭りムードで包まれます。出演者とともに記念撮影をする人も、あちこちで見られます。メイン会場と赤穂城大手門を結ぶお城通りには、露店が軒を連ねます。露天の定番メニューが勢揃いするばかりでなく、赤穂特産の牡蠣を材料とした料理を味わうこともできます。
元禄時代の名残を残す赤穂市街
赤穂義士祭の当日の市街地は、忠臣蔵の世界観で覆い尽くされます。様々なパーフォーマンスが行われる前後に数時間の余裕があるので、会場周辺を巡ると元禄時代の赤穂を偲ぶことができます。浅野内匠頭が居城とした赤穂城、歴代の赤穂藩主の菩提寺であり大石家の墓が設けられている花岳寺、47名の赤穂義士の像が並ぶ大石神社に隣接して大石内蔵助の邸宅が残されています。大石内蔵助邸の中央の長屋門は、主君の刃傷事件を伝えるために、江戸から駆けつけた早水藤左衛門、萱野三平が実際に叩いた門だと伝わります。
1903年に始まった赤穂義士祭は毎年、赤穂義士が本懐を遂げた12月14日に赤穂市で開催される大イベントです。例年10:00前後から15:00過ぎまで趣向を凝らしたパレード、パーフォーマンスが行われます。前半に子ども達が雰囲気を盛り上げ、後半には忠臣蔵を題材とした元禄絵巻が市内を包みます。