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「八瀬赦免地踊」花摘踊に俄狂言の三番叟も|観光経済新聞

2022/4/11
2022/4/22
「八瀬赦免地踊」花摘踊に俄狂言の三番叟も|観光経済新聞

2019年からスタートした、観光経済新聞のオマツリジャパンコラム記事連載!2022年も「お祭り」をフックに、旅に出たくなる記事の連載をして参ります!奇祭好き、ケンカ祭り好き、お神輿好き…等、様々なライターさんに記事を執筆いただく予定ですので、ぜひご覧ください♪(オマツリジャパン編集部)

花摘踊に俄狂言の三番叟も

洛北の奇祭「八瀬赦免地踊」(やせしゃめんちおどり)。この八瀬には、「八瀬童子」という比叡山延暦寺の雑務を担い、古くは南北朝時代、後醍醐天皇の比叡山逃避行に貢献し、皇室に奉仕した人々が住んでいる。祭りの夜は四つの地域の「宿元」で、切子燈籠を飾り、訪れた人を接待する習慣が今も残る。

祭りの起源は江戸中期、延暦寺との山林結界争いに関係する。村人たちは御綸旨(ごりんじ)を手に江戸に何度も出向き、社寺奉行や老中秋元但馬守に陳情した結果、八瀬に改めて年貢諸役一切の免除という非常に有利な裁定を勝ちとった。この結果に感謝し、燈籠を用いて秋元但馬守へ鎮魂を捧げるというお祭りだ。

少年たちが女装をし、燈籠をかぶるのは当時流行していた風流踊りに由来する。八瀬では、昔、女官からいただいた御所染めの「燈籠着」(とろぎ)という衣装を身につけた人々が太鼓やお囃子(はやし)で踊っていた。盆踊りの源流といわれる風流踊りを、少年が女装することで非日常を演出しているのだ。

この警護の支えが必要な巨大な燈籠の他には「花摘み踊り」という小学生の少女たちによる可愛らしい踊りがある。花笠をかぶり手甲脚絆をつけ、友禅の着物と緋縮緬(ひぢりめん)の小袖を旅からげにして踊る。

最後は新発意(しんぼち)による三番叟(さんばそう)。三番叟は民俗芸能では一般的に場清めの意味を持ち、冒頭に行われることが多い演目だ。この演目を芸能の先導役である新発意が担っている。燈籠廻しや、余興(芝居)をはさむことを「狂言をなす」とも言い、俄(にわか)狂言に相当する。この三番叟が民俗芸能の古い形態を残していることから、八瀬赦免地踊りは無形文化財に指定された。一般的な祝いの舞としてではなく「芝居」というのが赦免地踊りの三番叟の特徴だ。

女装した少年の燈籠踊、少女の花摘踊、俄狂言の三番叟。またあの静かな祭りを見る日が待ち遠しい。

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