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「ぶぜん神楽まつり」開催記念 〜今、あらためて神楽への想いを語ろう会〜

2022/11/2
2024/2/29
「ぶぜん神楽まつり」開催記念 〜今、あらためて神楽への想いを語ろう会〜

約2年の間、福岡県豊前市内の神楽団体は、コロナ禍において奉納や公演を見送ってきました。神楽に関わる人々や練習に励む子ども達の神楽への情熱が冷めてしまう危機感を抱えつつ、神楽再開への気運の盛り上げの為、11月5日と6日に「ぶぜん神楽まつり」開催が決定しました。今回は、豊前市内に伝承されている六つの「豊前神楽」(国指定重要無形民俗文化財)の団体から、主に子ども神楽の指導をしている30~70代の代表者に集まってもらい、あらためて神楽の魅力、受け継いだ心構えや技、地域との関わり、そして未来に伝え継ぎたい想いなどを語り合っていただきました。

<今回の公演にかける想い>
栗燒 近年、地域の伝統文化の継承が危ぶまれるのは全国的な課題ですが、豊前にはこれまでも神楽継承を模索してきた歴史がある。その一つに、未来へ伝える手段として始まった「子ども神楽」という枠組み。地域の子どもたちに各6団体が神楽の指導をしています。しかし、コロナ禍に神楽を舞う機会も失われました。練習しても舞う場がない。このままでは神楽へのモチベーションが下がり、神楽の継承も危ぶまれます。市民の中でも奉納が実現しないもどかしさも募っていて、再開の気運に繋がり、再び神楽に集うきっかけを作るためと今回の公演を企画しました。久々に神楽の里にお囃子を響かせて、舞手と地域の人たちにワクワクしてほしい。そして、文化庁の支援を得て情報発信とイベントのライブ配信もやる。豊前市から神楽の魅力を地域、そして全国に伝えたい。

右 栗焼 憲児(くりやきけんじ) 1959年生まれ。 ぶぜん神楽まつり実行委員会 左 山崎 正八郎(やまさきしょうはちろう) 1949年生まれ。 中村神楽保存会会長右 栗焼 憲児(くりやきけんじ) 1959年生まれ。 ぶぜん神楽まつり実行委員会
左 山崎 正八郎(やまさきしょうはちろう) 1949年生まれ。 中村神楽保存会会長

<神楽を始めたきっかけ>
―この2年は神楽を舞うどころか、寄り合いもなかったと聞いています。本日は、それぞれの神楽歴から団体のこと、また継承への想いなど率直に話してください。まずは、神楽を始めたきっかけから。

山崎 私は小学生の頃からお宮で遊んでいて、神楽もよく見ていて、隣の親爺さんが神楽講の受け持ち(当番)で、小学3年の時に「式神楽」(神楽の基本となる舞)を教えてもらったのが始まり。中学生になったら、「駈仙(ミサキ)神楽」の鬼役がやりたいと教えてもらった。
小さな頃は寒い土間で練習。大人は囲炉裏で酒を飲みながら「手が違う、目がいってない」って言いながら、青竹で指導する。厳しかったけど、当時は「駈仙」の鬼をやりたいばかりに辛抱しました。

仲 世津男(なかせつお) 1956年生まれ。 山内神楽講講長仲 世津男(なかせつお) 1956年生まれ。 山内神楽講講長

仲 神楽舞の家に生まれて俺が3代目。でも、小さい頃は神楽が好きじゃなかった。高校の文化祭で舞ったのがきっかけで、卒業の時、先輩から「地元にいるなら、舞え」と言われて。当時は、山内神楽は7人ほどだったので、全員で全演目の舞と囃子をやって、それから、5年後くらいに青年団の先輩が入ってきた。40歳近い人もいた。
栗燒 それくらいの年からでも、舞えるものですか?
仲 できないことはないけど、「駈仙」とかは腰まわりが難しいね。

安枝 僕は子どもの頃は横武地区に住んでいて、神楽が大好きでよく見ていました。小学5年で久路土地区に引っ越して、でもその頃は他の事に興味が移ってて、神楽には行くけど、お宮で友達と会うのが楽しみでした。
一同 そういう年頃やね(笑)。
安枝 高校生の時、また神楽に興味が湧いてきて。山内神楽と黒土神楽だと舞も面も違う。地区ごとの神楽があると気づいた。社会人になったら、兄貴が「俺よりも神楽好きな弟がおる」って今の黒土神楽に引っ張ってくれました。

安枝 誠(やすえだまこと) 1970年生まれ。 黒土神楽講安枝 誠(やすえだまこと) 1970年生まれ。 黒土神楽講

奥 僕は小学4年の頃から子ども会で子ども神楽をやっていました。剣道、ソフトボール、硬筆と毎日習い事があって多忙でしたが、神楽も始めました。当時、スーパーや物産展のイベントで舞った記憶があります。

奥 雄二郎(おくゆうじろう) 1979年生まれ。 岩屋神楽講奥 雄二郎(おくゆうじろう) 1979年生まれ。 岩屋神楽講

栗燒 お宮では子ども神楽は舞えなかった?
奥 僕も最初に習ったのが「式神楽」で、お宮では式神楽は大人しか舞わない。小学6年で「駈仙」を習った後は、お宮でも舞いました。

上野 正直なところ、好きでもなく嫌いでもなくて。小学3年の頃に子ども神楽をやっている公民館へ遊びに行く感覚で始め、中学では約10人の神楽仲間がいました。高校に進学後、「全国大会に出たいから」と先生に誘われ郷土芸能部に入りました。その高校では、地元の神楽がある時は学校を休ませてもらえるんです。そして、卒業後も神楽を続けるために地元に就職しました。夢中というよりも、「せないけん」という感じですかね。でもやっぱり、神楽が好きでなければ、ここに今残っていないと思う。

上野 恭介(うえのきょうすけ) 1985年生まれ。 大村神楽講上野 恭介(うえのきょうすけ) 1985年生まれ。 大村神楽講

内丸 僕の父も舞手で、家に衣装もあった。子どもの頃から神楽をやりたくて、厚紙の面を作ったり、新聞紙を丸めて鬼杖を作ったりして遊んでいました。神楽をやりたいあまり、友達と「子ども神楽をつくってください!」って大人に直談判しに行ったんです(一同驚き)。でもその頃は、まだ子ども神楽はなかったから、「誰が教えるんか」と何度も断られました。家族からも「あんたは絶対神楽やらせん」と言われてて(笑)。中学になって「どうしても神楽やりたい」って親に話したら、「公立高校に入ったらやっていい」と言われ、猛勉強して入学しやっと神楽ができるようになりました。

内丸 典久(うちまるのりひさ) 1983年生まれ。 三毛門神楽講内丸 典久(うちまるのりひさ) 1983年生まれ。 三毛門神楽講

<次の世代へ、どう伝え継ぐか>
―皆さんが受け継いだ神楽をどのように次の世代へ継承していますか。
内丸 最近は、SNSを見て「やりたい」と来る子も増えてきました。三毛門神楽は教える子どもが多い(40名)ので、公民館を全室借りて、全員で分かれて指導します。

三毛門神楽講こども神楽の練習風景三毛門神楽講こども神楽の練習風景

仲 すごいな、全員で? うちは俺が一人で教えてる。7〜8人が一番教えやすい。
内丸 子ども神楽を結成して15年ですけど、成人まで続けるのは約1割。中学に上がると部活もあるから一旦抜けるんですよ。
仲 中学で抜けた子はほとんど戻ってこない。
安枝 うちは、中途半端な気持ちで続けて欲しくないんで、中学3年の12月で一旦全員卒業します。続けたいという子には、大人の舞を教えます。
奥 うちは結成して7年ですが、中学から大人と一緒に練習します。
上野 自分の頃は「神楽があるから遊びを断る」でしたが、今の子たちは逆。
安枝 部活や他の楽しみもあるから束縛はできない。「また神楽をやりたくなったら、いつでも帰ってこい」と送り出します。

黒土神楽講こども神楽の練習風景黒土神楽講こども神楽の練習風景

―子ども達に神楽を伝えるうえで、どんなことを大切にしていますか。

安枝 まずは、挨拶や話を聞く態度、「礼儀」ですね。縦の人間関係も教えます。先輩が何かものを探してたら、自分がサッと動くような「気配り」。面倒でしょうが、舞より先にそういう「心構え」を細かく指導します。親にも「横着な態度の子は厳しく指導します」と説明して。
内丸 僕は子ども神楽を立ち上げた時、安枝さんに学ばせてもらって。「はきものを揃える」から教えたいけど、まだまだ。今は子ども会もないので、先輩や大人に「こんにちは」と挨拶できる場をつくりたいし、「ありがとう」っていう感謝も教えたい。
上野 うちもきつく言う時はありますね、「これで来なくなるなら、それでいい」という覚悟で。
安枝 舞が上手くなるには指導者の技量やその子の伸びるタイミングもあるけど、「何のために神楽をしようか」という心構えがないと。後輩たちが「前に言われたことの意味が今ならようわかる」って言うから、僕らが続けていることは正しかったと確かめながらやっています。

大村神楽講こども神楽の練習風景大村神楽講こども神楽の練習風景

―世代や団体によって指導のスタイルは違いますか。

安枝 僕は講長に教わってきましたけど、なかなか言葉で言ってくれない。10年も経ってから皆のいないところへ呼ばれて、「ちょっと舞が違うちょった」って指摘されて、心の中では「10年も経ったいまごろ言う?」って思いました(笑)
一同 10年!(笑)
仲 昔の年寄りはそうよ。人の姿見て覚えろ、自分で気づけ、わからないことは聞きに来いって。
上野 自分は教えるのが苦手なんで、上の世代に稽古場にいてほしいです。三毛門神楽は全員が教えに来るのはすごい。
仲 我々の年齢だと、舞いながら教えるのはきつい。特に子どもの舞は速いから。それと、指導者が多いと指導が違って、子どもが混乱する。
安枝 うちは子ども1人につき指導者を1人割り当てます。指導者同士で雑談がてら意見交換して、あやふやな教え方をしてたら、指導者の顔をつぶさないように気を遣いながらアドバイスします。また、指導者、子どもには欠席連絡を徹底させています。毎週来いとは言いませんが、火曜日は神楽の練習日という事を意識させています。
仲 若けぇ4人がよう教えとるなぁと感心する。頼もしい。

<コロナ禍で神楽を舞う機会が激減して、舞手としての気持ちは>

山崎 うちは奉納も外部のイベントも全くなし。神楽が本当に好きなんで、お囃子が聞きたい。無観客でも、神様に奉納するのが本来の目的。お宮を盛り立てて、地域の元気な姿を見ていただきたい。
仲 舞いたくてたまらんよ! 体も動なくなる。足も手も舞を忘れてしまうし。

中村神楽講こども神楽の練習風景中村神楽講こども神楽の練習風景

安枝 うちは、和布刈(めかり)神社(北九州市)と今年は2年ぶりに飯盛神社(福岡市)でも奉納しました。非公式で、本社で2〜3時間だけ。「今年もありがとうございました」と想いを納めました。
上野 うちは、門司(北九州市)で1回奉納したくらい。この2年間、10月〜12月がこんなにヒマになる、信じられない時間でした。趣味の釣りができて楽しかったけど、ふとした時に囃子を聞くと「ちょっと舞いてぇかな」と感じます。
奥 うちは昨年1回だけ、九州国立博物館(太宰府市)の「東九州神楽人の祭展」というイベントで舞いました。

岩屋神楽講こども神楽の練習風景岩屋神楽講こども神楽の練習風景

内丸 うちも本社に非公式の奉納を短めに。最近では、北九州市の介護施設から声がかかりました。
栗燒  高齢者の多い場所はリスクを恐れるのに、イベントが解禁されてきたのは良い兆候ですね!

<神楽は地域をつなぐ依り代、最後に公演に向けた想いを>

仲 コロナの状況がどうなったら神楽を舞っていいのか迷う。今回がいいきっかけになると思う。
山崎 みんなで神楽を見たら、タイムスリップするみたいな感覚がある。神楽は地域のよりどころ。
内丸 だから、僕は神楽や地域に「恩返し」したい。舞手や囃子だけでなく、準備する人や見る人もコミュニティが一つにならないといい神楽にならない。9月の総会で講長たちの、「国指定重要無形民俗文化財は、神楽やなくて地域全体、氏子全員でもらってるんや」という話が、強く印象に残りました。コロナ禍の間、僕らはそれを体現できたかなって。地域の文化として豊前神楽を伝えていけるのか、強い危機感がある。
栗燒 そのとおり。地域の中でも様々な考え方があります。神楽がなくて「淋しい」人もいれば、「しないで済んだ」とほっとする人もいて、牽制しあっています。「コロナ終息宣言」は出ないので、自分たちで判断するしかない。「やらないかん」と思う人が増えれば、「継承」の希望になる。だから、「ぶぜん神楽まつり」は必ずやりたい。無観客でオンライン配信になっても、地域の内外に見せることが今後の奉納神楽につながります。

―今回の公演では、これまで以上に地域の皆さんの願いや祈りが込められることでしょう。

山崎 神楽は地域に心のつながりをつくる。毎年9月に総会で若い人や年寄りが一緒に酒飲むような交流があるから、「元気か」と気軽に声をかけられる。久しぶりにお囃子の音が聞こえたら、生き返った心地がするだろうね。長く会えてない人に再会できる喜びもある。
上野  久しぶり過ぎて、ちゃんと舞えるか不安もあるけど、みんなに会える楽しみの方が大きい。
内丸  他の神楽講の舞をみられるのも嬉しい。あらためて豊前神楽っていいなって思えたら。
仲  舞えることが、とにかく楽しみ。
奥  練習せんといかんけど、ちゃんと集まるかな。配役も決めないと(笑)。
安枝 それぞれの団体がプライドをかけて渾身の舞を見せるでしょう。「やっぱすげえな」と尊敬する気持ちも、「ここは負けてねえな」というプライドも大事。6団体が認め合い「豊前市の神楽」としてまとまるのが目指す姿です。長老と若手がこれだけ話せて、個人同士も仲がいい。豊前市の神楽の絆は別格です。
栗燒 「ぶぜん神楽まつり」では6団体が「オール豊前」で結束し、豊前市の神楽の底力を見せましょう!

山内神楽講こども神楽の練習風景山内神楽講こども神楽の練習風景

黒土神楽講こども神楽の練習風景黒土神楽講こども神楽の練習風景

岩屋神楽講こども神楽の練習風景岩屋神楽講こども神楽の練習風景

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