コロナ禍を経て全国で「まつり」の賑わいが戻ったこの夏。これまでの我慢の反動、インバウンド効果もあって、各地は大盛り上がりの様相だった。果たして祭りの何が危機なのか?
前編では、「祭りの危機」の現状とそれに対する対策について詳しく話を伺った。後編では、引き続き國學院大學観光まちづくり学部准教授の石垣悟さんに日本の無形文化財保護の現状や、継承団体の変化の行方を伺う。話は「祭の終い方」についても及んだ。
石垣 悟(いしがき・さとる)
國學院大學観光まちづくり学部准教授。1974年秋田県秋田市生まれ。筑波大学大学院歴史人類学研究科退学後、新潟県立歴史博物館研究員、文化庁文化財第一課文化財調査官、東京家政学院大学現代生活学部准教授を経て現職。静岡県文化財保護審議会委員、富山県文化財保護審議会委員なども務める。専門は、民俗学、博物館学、文化財保護論。
誰が祭りを守るのか?
――前編では、祭の危機の現状と、担い手の努力について伺いました。ここからは、視点を変えて、祭りの保護をめぐる日本の文化財行政の課題などについてもお伺いします。まず、行政は祭をどのように守ってきたのでしょうか?
文化財保護は、文化財の種別によって方針が若干異なります。祭りを対象とする文化財は、「民俗文化財」という種別になります。
日本の文化財保護法は1950(昭和25)年に制定されましたが、これを改正して民俗文化財を保護の対象にし始めるのは、高度経済成長に入った直後ともいえる1954(昭和29)年からです。
民俗文化財の保護では、良いもの・価値あるものと悪いもの・価値のないものを峻別して、良いもの・価値あるものだけを保護していこうという方針はとっていません。基本的には、すべての祭りに価値があり、そこに優劣はないという考え方をもっており、その延長で、できるだけ多くの祭りを文化財として保護していこうとしてきています。
とはいえ、現実的には日本中のすべての祭りを保護することは不可能ですから、結果的に代表例を選んで保護の網を掛けざるを得ないわけです。したがって、方針としては、代表例・典型例に保護の網を掛けることで、それ以外の類似の祭りについても理解を深めてもらい、その結果として代表例・典型例以外の祭りも保護の方向にもっていきたいということになります。この大きな方向性はこれからも変わることはないと思います。
――これまでの文化財保護は概ねうまくいっているのですか。
担い手とともに、祭りをある面で最も真剣に守ろうとしてきたのは行政です。もし文化財保護制度がなかったら、今頃、私たちがよく知っている祭の中にもすでになくなったものがあったかもしれません。
ただ、ユネスコ無形文化遺産条約の方針も同じですが、先ほど触れたように日本の文化財保護は民俗文化財の代表一覧を作るという方法で保護の網をかけてきました。そこには、前述のように代表以外の民俗文化財への波及効果も狙っている、という考えがあるわけです。しかし、実際はその思いは必ずしもうまく人びとに伝わらなくて、代表例・典型例に選ばれなかったことで文句や不満が出たり、最悪の場合は続ける意欲を失ったりという弊害があります。
また、こうした文化財保護法で謳っている文化財の保護の考え方が今も社会に十分理解されていない点も課題です。
「祭りを守る」とは、年月と世代を超えて祭りを続けていくこと
――どういう意味でしょうか。詳しく教えてください。
「祭りを守る」と言うときの「守る」とは、祭の「保存」を指しています。この「保存」という言葉は、辞書的には「そのままの状態を維持する」という意味で、建造物や美術工芸品、記念物など形のある文化財については大変理解しやすいと思います。有形文化財の毀損、滅失、修復などの変化は届出を必要としますし、国はその調査や修復、つまりできる限り現状を変えないために補助金を出しています。
一方、人の行為や言葉といった「無形」とつく文化財は、そもそも維持する形がなく、特に祭りのような無形の民俗文化財は、永久に同じ構成員、変わらぬ手順で寸分違わず実施することはできません。ですから、何か変わった時、もしくは変える時も届出を必要としません。国の補助金も、祭りの催行に使うことはできず、調査、映像作成や用具・施設の修理・新調、伝承者の養成などに充当されます。
つまり「祭りを守る」とは、不変の状態を維持することではなく、年月と世代を超えて祭を続けていくことなのです。前編でも指摘した通り、この点が担い手然り、行政担当者にもあまり理解されていない節が見受けられます。これは、地方自治体の担当者に祭りを民俗文化財として見られる人材がほとんどいない、ということが影響していると思います。
――祭りを誰が守るのか、と考えた場合、担い手はもちろんですが、行政の役割は大きいように思います。地方自治体は祭りを観光の資源として大変重視しているように思いますが・・・。
祭りは、地方自治体にとっては対外的に「売り」にできる最も重要な資源の一つです。地方自治体のPR活動で祭りが利用されることも頻繁にみられます。にもかかわらず、ほとんどの自治体は祭りを一民間人のやっているイベントとして捉え、活性化と称して補助金などの支援をしている程度です。一方、何か問題が起これば、指導・助言と称してあくまで他者として振る舞う例が多いですね。
――具体例は避けますが、2023年も祭りをめぐって様々な報道があった中で、確かに行政の対応は他人事のような印象があります。
それが行政として最低限やるべきことなのかもしれませんが、もっと祭りをやっている人に寄り添わないといけないと感じます。文化財としての祭りの課題を真剣に解決しようと思うなら、責任を持ってもっと祭りに首をつっこまなければ無理なのです。
地方自治体で祭りを担当する職員は、一般職の公務員、あるいは文化財以外の部署の方であることも多く、世間的にはどうも片手間でも対応できると思われているきらいがあります。
国の場合だと専門家が一応配置されていますが、地方自治体はそういう人材をほとんど採用していません。先ほどの矢田直樹さんをはじめ、『まつりは守れるか:無形の民俗文化財の保護をめぐって』(八千代出版)に執筆いただいた方々はむしろ例外にあたります。市町村だと、例えば水道課や税務課などにいた職員がある日突然文化財担当に配置されたりといったような異動も頻繁にあるので、腰を据えて担い手と深く付き合うことが難しい事情もあります。
しかし、実際は祭りを含む民俗文化財こそ、最も専門的な知識と技術を必要とし、その扱いに気を遣わなければいけないものだと思います。民俗文化財は、そこの住民が担ってきたものであり、これからも受け継いでいくもので、いわば、生き物なのです。生き物は当然ながら日常的な「世話」が必要となるはずです。
「祭り」は生き物。日常的〝世話〟が必要
――長い目で地域と付き合う体制が必要ですね。
そうですね。そのためには祭りの学術的・文化財的価値をしっかりと理解し、説明できる人が不可欠です。
担い手との関係を構築するには、民俗学の基本的な調査法である聞き取りが最も重要です。聞き取りは信頼関係をベースとしています。そしてそのためには、民俗学を学んだ人材を地方自治体には半ば専属的な技師として正規採用してもらいたいところです。もちろん、大きな枠組みは研究ではなく行政ですから、そこでは民俗学の素養だけでなく、行政的な仕事や観光的な仕事への理解・対応も不可欠ですが、大学等で民俗学を修めた人材を積極的に採用しても、これからの地方自治体が損をすることは決してないと思います。
――人手不足の地方自治体も多く、なかなか難しいところもあるのかもしれませんが、継続的、日常的な関係構築が必要だということですね。
地方自治体の抱える財政をはじめとした様々な問題もそこには関係してきます。でも、やはりもっと祭りに首を突っ込んで、泥臭く担い手やその地域社会の中に入らないと、何が祭の危機なのかも見えてこないと思います。
行政は担い手ではありませんから、祭りの現場に直接人を出すことはできません。その代わりに感情の入らないお金を支援の中心としているわけですが、おそらく祭りの担い手が欲しいのは、あらゆる面で「共感的な理解を含んだ助言」なのだと思います。担い手と日常的、継続的な信頼関係が全くないのに、問題のあった時だけ指導という形で関わると担い手たちも戸惑うだけでしょう。
日常的な信頼関係があれば、もし祭りを続けることができないという場合でもいち早くそれに気づくことができます。
「祭りを終う」という選択
――今、祭りを続けることができない状況になった時のお話がありました。『まつりを守れるか』の中でも、「祭りの終い方」について鹿児島県「大里七夕踊」の事例が紹介されています。今後、このような状況が増えることも予測できます。
まず、文化財保護法では、しっかり記録をとって祭りを休止することも咎めません。その点では休止は、決して法律違反ではありません。
さらに、文化財保護制度を別にして、私個人の意見でいっても、やめるという選択も可だと思います。すべての祭を何とか後世に受け継ぎたいのは理想ですが、今の日本社会の構造を冷静に鑑みると現実的に難しいと思います。むしろ、今、私たちは社会のなかで何を残していくのか、この選択をしっかりとしていかなければなりません。
当然、祭りの終い方、たたみ方も視野に入れざるを得ないでしょう。祭りをやめることは決して悪いことではないし、担い手の方が必要以上に負担に思うことはないと強調しておきたいと思います。
また、「祭りを終う」ということは、「祭りを残す」ということとは別でもあります。祭りを終まっても、祭りを残すことはできるのです。
祭りを残すというのは、祭りをしっかりと調査し、記録をとるということです。ここでいう記録というのは、民俗学的な調査に基づく文字記録と、それをベースに撮られる映像記録の2種を指しています。
前述したように、祭りは生き物です。この生き物は社会状況・時代状況によって、病気になったり、元気になったり、そして亡くなったりします。しかし、祭りの死はあくまで仮死。一度中断した祭りが、後に復活したという例はたくさんあります。その復活・再生のときに必要となるのが、歴史や社会などの背景までしっかりと押さえた文字記録と、仮死になる前の祭りの姿をとらえた映像記録なのです。
――京都・祇園祭で200年ぶりに絶えていた曳山が復活したり、福島県・熊野神社で浜下り渡御が復活したり、市町村合併で絶えていた祭りを復活させるなど、確かに祭りが復活する例はありますね。
人がいれば祭りは蘇ります。催行当時を知る人がいればなお良いですし、そうでなくともしっかりとした記録があれば再び祭りを始めることが可能になるのです。もちろん、復活する際に記録どおりに復活しなければならないということではありません。
この点でむしろ注意したいのは、もう今年は祭りができない、となる前にその危機に気づくことです。記録の作成には数年単位の時間がかかります。十分な時間を準備して取り掛かる必要があります。
この記録を残す作業もやはり行政が担う仕事だと私は思っています。行政が音頭をとり、予算を組んで専門家や業者を組織して記録をしっかりと残すべきです。
――行政が担うべき、というのはなぜでしょうか?
祭りをやめるタイミングを外部の者として知り得ることができるのは、現場との信頼関係を構築している行政だけだと思うからです。
例えば、研究者が深く関わっているフィールドならば、そういった機微も知り得ることができますが、そのような祭りは決して多くありません。そろそろ続けるのが難しいという状況を、担い手以外でキャッチできるのはやはり身近な基礎自治体以外にないと思います。先ほど述べたように、共感的な理解をもちながら、状況を鑑みてやめることに対しても深い理解を示すことができる行政担当者がいれば、担い手の方々もやめるという結論を出す前に相談に行くと思うのです。突然今年からもうやらない、となれば記録はとれず祭りは絶えます。行政の担当者の責任は大きいですが、普段からアンテナを張ることができていればきちんと「祭りを終う」、つまり祭りを残すことができると思います。
――蘇るためにきちんと終うこと、そしてそれが待ったなしの状況になるまでに早く手を打つことがどれだけ重要かよく分かりました。それでは、他に石垣先生が考える祭りを未来につないでいくための課題はありますか?
民俗文化財に指定されている祭りには、必ず保護団体(以下、保存会)が特定されていますが、この保存会について、これまでになかった問題が浮き彫りになっている点が挙げられます。
祭りに関わる人が誇りを持てるように
――詳しく教えてください。
保存会は、祭りを文化財として受け継いでいくために作られた任意の組織です。もともと地域にそうした組織は存在しませんでした。戦前までは半ば強制的ではありますが、その土地に生まれれば土地の祭りに関わるのはごく自然なことでしたから、いわば地域自体が祭の担い手集団だったからです。
しかし、戦後になって都市型の勤め人の生活スタイルが広がる過程で、地域の担い手機能が徐々に失われていきます。保存会は、まさに祭りが客体化される中で祭りを守ろう/保存しようという意識のもとで組織されたものです。ここにちょうど文化財保護の制度も関わることによって、行政も組織化を大きく支援・奨励してきた経緯があります。保存会がなくても文化財保護はできるのですが、補助金の受け皿となり、指導助言の対象となる組織があった方が便利だからです。その意味では、保存会は戦後の時代変化に対応して祭りを存続させる機能を果たしてきたと言えます。
しかし、保存会は意図的に作られた組織ですから、祭りに興味がある人だけが入会します。そのため、その土地に住んでいても興味がなければ祭りに関わらなくてもよくなりました。つまり、地域社会が持っていた一体感を喪失させた面もあります。この点は、あまり指摘されませんが、冷静にその功罪を見つめ直してみる必要があります。
さらに、この保存会は今新たな問題を抱えつつあります。かつては若い世代への新陳代謝が地域で半ば強制的に行われていたわけですが、保存会の場合は、あくまで入会することが条件となるので、特に21世紀に入る頃から入会者が減少し、結果的に新陳代謝がうまくいかなくなる例も出てきています。祭りの実行よりも、まず会員を増やすことを大きな仕事とせざるを得ない組織も見られるようになりました。
――確かに、多くの祭が一部の熱心な人の献身によって守られている現状はよく分かります。
その点については、もう一つ別の問題も指摘しておかなければなりません。特に町場の大規模な祭りについてですが、実は、熱心に祭りを運営している方々と、いまお話した保存会とが必ずしも一致していない場合があるという問題です。
――それは一体どういうことでしょうか?
先ほど、補助金の受け皿として、行政では文化財ごとに保存会を特定してきたと述べましたが、特に規模の大きな祭りでは、特定された保存会の会員だけで祭りが運営されているかというと、そうではない例も多く見られるということです。
例えば、祭りを仕切るごく一部の人だけが会員で、実際に祭りを行っている若者/実働隊が保存会員ではないという例や、保存会とは別に実行委員会が組織され、実際の祭りは実行委員会が運営し、保存会員はお目付け役的な役割を担う例もあります。
なぜこうなるかというと、保存会の構成は、かつての村社会がベースになっていることが多く、言ってしまえば町の大店の当主や地域の大地主が名を連ねているわけです。このような場合、現代社会に合わせて保存会員の新陳代謝が起こらずに先細りし、そして祭りの催行は別の若い人に任せるという形が常態化するのです。
こうした構造は、一見するとうまく役割分担しているようにも見えるのですが、保存会のメンバーだけで祭りが実行できないという現実を突きつけています。これでは祭りを直接支えていく次世代への受け渡しがうまくいくかどうか疑問が残ります。
個人的な考えになりますが、祭りに関係する人は、老若男女問わずすべての人が保存会の会員になるべきで、彼らすべてが祭りの未来を担っている、その責任を負っているという自覚と誇りをもってもらうべきではないかと思っています。
――なるほど。こうした問題に対して解決のための取り組みはありますか?
万能な方法ではありませんが、保存会を法人化する例が考えられます。特に規模の大きな祭りにおいては、先ほど触れた問題への対処として法人化も選択肢の一つだと思います。よく知られたところでは、京都祇園祭では保存会を構成する各町内の多くが公益財団法人となっていますし、滋賀の長浜曳山祭でも保存会が公益財団法人となっています。壬生の花田植では保存会がNPO法人となっています。
保存会が法人化する場合、公益財団法人やNPO法人が多いと思いますが、どちらにしても明朗な会計処理や活動の公益性・公開性が求められます。これも現代に柔軟に対応した祭りのあり方だと思います。
もちろん、会計から権利関係まで多くの事務的な作業を担う人材も必要となってきますから、負担は確実に増えます。担い手の負担を軽くするため、地方自治体の民俗文化財担当者が事務局を兼務する例もあります。長浜曳山祭では、市から出向した専属の担当者・技師が保存会の事務局を担っています。
保存会が法人化することで、今以上に社会的信用のある団体になるということは、外部から資金を調達したり、外部から会員を募集したりする際にも有利に働くはずです。その中で来る者を拒まずの精神で、関係者を積極的に会員にしていけるならば、担い手一人ひとりの祭りに対する向き合い方もいい意味で変わるのではないかと思います。
――かつてとは違う形で、祭りと支える人の距離が近づくアプローチかもしれません。本日は、多岐にわたる貴重なお話ありがとうございました。