弘前ねぷたは青森ねぶたと違い、扇型の山車「扇ねぷた」にねぷた絵を描いた山車が中心となり運行することが大きな特徴。そのねぷた絵を描く「ねぷた絵師」らは中止となった弘前ねぷたまつりをどのように感じ、今年の活動は何あを行ったのか。20代の若手ねぷた絵師の野村雄大さん、丸山晴也さん、山内潤紀さんの3人に話を聞いてみた。
(写真左から)
野村雄大さん
1996年生まれ。会社員。浅草やスリランカに遠征したねぷた絵を手掛ける。2018年に個展開催。パソコン関係が苦手。
山内潤紀さん
1998年生まれ。弘前大学在学中。小学4年生から工藤盛龍氏に師事。最近は祖母の家で飼っている亀のお世話に夢中になっている。
丸山晴也さん
1998年生まれ。弘前大学在学中。民俗学専攻。趣味でお絵描き。宮沢賢治に興味あり。最近好きだった漫画が打ち切りになり傷心中
1.3人のねぷた歴とねぷた愛
工藤 ライターの工藤です。今日は若手ねぷた絵師のお三方に集まっていただきました。よろしくお願いします。
野村 こちらこそみなさんよろしくお願いします、といってもよく会っているし、そんなに改まってあいさつすることもないよね。
▲野村雄大さん。現在は弘前で会社員
丸山 よく連絡を取っている友達同士だよね。ねぷたでわからないことがあったら聞き合ったりもしてるし、最近では保管してあった扇ねぷたの骨組みがどの運行団体が所有しているものかを質問していたことがあったよね。
山内 若手のねぷた絵師はSNSで情報発信したり、仲間同士で連絡を取り合ったりしている。たぶん昔よりは同世代のねぷた絵師同士の交流はあるのではないでしょうか。
工藤 同世代同士、仲が良いんですね。それぞれお付き合いは長いんですか?
野村 丸山くんとは幼稚園からの付き合いです。第一印象は覚えていないけど、当時の先生に聞くと最初こそ距離はあったようですが、ねぷた愛をぶつけ合って分かち合ったとか(笑)
丸山 覚えてないです(笑)
▲丸山晴也さん。弘前大学4年生。現在は就活中
山内 二人は養生幼稚園ですよね。毎年、弘前で最初に市内を運行する幼稚園で、70年以上の運行歴史があるということが有名です。
丸山 弘前では幼稚園や保育園のほとんどが、年間行事の中にねぷたを組み込んでいるよね。2カ月くらいかけて準備して町内運行や園内でイベントを開催するから、弘前市民のほとんどが自然とねぷたに触れられる環境がある。地元のまつりを積極的に取り入れているのは全国的に見ても珍しいのでは。
野村 僕の場合、そもそもねぷたに興味を持ったのがいつだったかを覚えていない。それこそ生まれた時から興味を持っていたと言ってもいいくらい。
山内 僕は3歳くらいにはすでにねぷたが大好きで、とにかく1年中ねぷたに触れていないと気が済まない子でした。そのころから参加しているねぷたの絵を工藤盛龍先生が描いていたこともあって、先生に憧れて小学4年生の時に弟子入りしたんです。
▲山内潤紀さん。現在は大学3年生
野村 弟子入りっていうのがすごいよね。僕と丸山くんの2人は独学でねぷた絵を学んでいるから。
山内 最初の頃は先生が仕事をしている姿を見学していたけど、次第に先生から基本的な技法を教わりながら色塗りをお手伝いさせてもらえるようになりましたね。ねぷたの製作に初めて本格的に携わったので、とにかく熱中して夢のような時間を過ごしたことを覚えています。
丸山 僕と野村さんはねぷたは好きだけど、そもそもねぷた絵師になりたいという意識はなかった。家でねぷたで遊んでいたり、ねぷた本を読み漁っていたりした方が楽しかった。おままごと感覚で今回のようなねぷたの自作ペーパークラフト(※1)を運行させたり。
野村 ねぷた好きなら一度はやるよね(笑)ミニカーのパトカーを先頭に置いたり、椅子などを電線や電柱に見立てたり。上部の折り返しも再現するとか。
丸山 そうそう。
野村 初めてねぷた絵の依頼が来たのは、小学1年生の時に養生幼稚園の先生から。小さな担ぎねぷたの絵だったけど、自分なりに達成感はあったんだと思う。
丸山 僕は小学6年生の時に、同じく養生幼稚園で前ねぷたを書いたことが始まりですね。
山内 僕は高校を卒業した年のねぷたで、鼻和ねぷた子供会の「前ねぷた」製作を依頼されたのが初めての仕事だった。
野村 2人が書いた弘高ねぷた(※2)のねぷた絵は今でも伝説ですよ。突然、プロレベルのねぷたが運行されて驚いた記憶が残っています。
※1 担い手育成事業「#おうちで弘前ねぷた」として、自宅でもねぷたを楽しめるように印刷用のペーパークラフト3種を用意。データ作成に野村さんらが関わった。データは弘前観光コンベンション協会ホームページで配布中。SNSで投稿すると豪華景品をプレゼント
※2 弘高ねぷたとは、弘前市内で開催される高校生のねぷた。弘前高校のみが市内で唯一ねぷたを運行し、毎年沿道の市民を喜ばせる
2.将来目指したいねぷた絵師とは?
工藤 次にみなさまにとっての理想のねぷた絵師をお聞かせください。
野村 子どもの頃の夢は、毎年発行している「弘前ねぷた速報ガイド」(路上社)に掲載されることでしたね。速報ガイドに載ることは一つのステータスで、プロとして認められるイメージがあったんですが、その夢は2016年に自分のねぷたが掲載されたことで叶いました。
丸山 青森ねぶたと弘前ねぷたの違いの一つに、青森ねぶたはそれを専門にしたねぶた職人がいるんですが、弘前は何か別の本業と掛け持ちするねぷた絵師が多いですよね。ねぷた絵師だけを生業にしている人は数えるほど。自分も本業とねぷた絵師を両立していきたいと思っています。
山内 同じく。仕事とねぷたをうまく両立することが目標だよね。
野村 2人はまだ大学生だけど、就活はどうしてる?
丸山 地元で仕事を探しています。
山内 僕も。弘前から離れる選択肢はない。弘前を離れてしまうとねぷたができなくなってしまうから。
野村 ねぷたをやるために地元での就職を考えるよね。
工藤 まさにねぷた中心の人生ですね。
丸山 ねぷたが来ないと夏が来た感じがなくて、季節にメリハリを感じられないんです。今年はすでにねぷたが終わってしまった時期が、準備を始める6月くらいから時間が止まっているような錯覚がありますね。津軽の夏はまだがこれから始まるような。
野村 わかる。毎年、新しいねぷた絵を見て、ねぷた絵師たちの技や意匠を楽しみにしていたけど、今年は新しい作品を見ることができず悲しいよね。
丸山 でも、中止になったことで「弘前ねぷた速報ガイド」に代わる「平成総集編」が出たことはうれしいよね。
野村 すでにバイブルになっているよ。
▲中止になったことで発行された「弘前ねぷた平成総集編」
3.ねぷた絵の魅力とは?
工藤 県外の人や、まだねぷた絵を見たことがない人に向けて、3人からねぷた絵の魅力をお伝えいただけますか?
丸山 このテーマならいつまでも語れる自信がある。
山内 わかりやすいところで説明すれば、鏡絵(表の絵)の武者の表情。絵の迫力は武者の表情で決まります。
野村 同じ題材で見比べてみると面白いかもしれないね。ねぷた絵師によってさまざまなので。「水滸伝 花和尚奮戦之図」はポピュラーな題材だから、多くのねぷた絵師が描いているため比較しやすいので。
▲「水滸伝 花和尚奮戦之図」。2019年の宮園青山団体
丸山 「弘前ねぷた平成総集編」の表紙になった聖龍院龍仙先生の「藩祖 夜襲撃の図」は納得の選定だったよね。
野村 初めて見た時は、拍子抜けしてしまったことを覚えているけど、この絵は夜に見た時にこそ魅力があった。その理由はロウにあって、ロウ書きは色の滲みを防ぐ効果、内部照明を強調させ絵を明るく見せる効果があるけど、この絵は夜の場面を表現するためロウを極限まで抑え、彩色も暗めにしていた。
山内 夜襲撃を表現する上で、あえて墨の線の中にロウを隠していたのはすごかったね。夜に電気がつくことを計算して描かれた絵で、今まで見たことがないような絵だった。
▲墨汁で描いた後、ロウ書きする。黒の部分が墨、灰色の部分がロウ
丸山 ねぷた絵に描かれている人物やその背景を読み解くと見方が変わって、面白さが増すと思う。
野村 構図にも面白さがあるよね。最近のねぷた絵は扇の枠いっぱいに描き、余白が無い絵が流行や傾向としてみられるけど、逆に余白を使うことで絵に動きが生まれると思う。今ではそういった余白を使ったねぷた絵に感動を覚えるようになった。
丸山 ポーズや扇の外に描かれているものなどを想像させる構図には魅力を感じるよね。
山内 ねぷた絵は絵師によって作品に個性が出るよね。
丸山 見れば作者や何年のどこの団体のねぷた絵を当てることもできるよ。
山内 ねぷた絵を当てる早押しクイズとかあれば挑戦してみたいな。
4.来年に向けた若手のねぷた絵師の活動
工藤 今年の弘前ねぷたまつりは残念ながら中止となりましたが、みなさんはどのように過ごされていますか?
野村 ねぷたまつりの中止が発表された時、実感は沸かなかった。街を歩いていたら囃子や「ヤーヤドー」が聞こえてくるんじゃないかと今でも思ってしまう。でももうまつり期間は過ぎてしまった。
山内 ねぷたに関係する企画がさまざま立ち上がり、中止になった今年ならではのこともできるようになったことは良い側面です。
丸山 今年は若手ねぷた絵師の発表の場が増えたね。
野村 僕たちは弘南鉄道とコラボしてねぷた列車を実施したり、中央弘前駅内にある「ギャラリーまんなか」では若手のねぷた絵師らのねぷた絵展を開いたりすることができた。オンライン上で再現された弘前の町をねぷたが運行する「オンラインねぷた」にも声を掛けていただいたし、いつもの年と同じようにバタバタと忙しくしていたね。
▲ねぷた列車。8月下旬まで開催中
山内 イトーヨーカドー弘前店の地下でも、高校生や若手絵師たちの作品を展示する機会を設けてもらい、僕たちも出品することができた。
野村 ねぷたのペーパークラフトはもともと僕たちの間でやっていた取り組みで、SNSなどで発信していましたが、今回の中止によって弘前観光コンベンション協会から依頼があり、新しくみんなでねぷた絵を描き、多くの人に楽しまれたことがうれしいですね。
▲弘前観光コンベンション協会が制作したペーパークラフト。この企画のためにそれぞれ書き下ろした
丸山 中止が発表されてから考えたアイデアもある。ねぷた絵師の人生ゲームとかねぷた絵の福笑いとか。実現するかどうかは微妙だけど(笑)
野村 そういうのを考えることが好きだよね、僕たち。
丸山 まつりは残念ながら中止だがけど、中止なりにみんながいろいろな企画を考えて盛り上げてくれたから今年は今年で楽しめたね。
野村 僕も今では中止を受け止められるようになったよ。
山内 それでもやはりねぷたまつりの熱気には敵わない。来年には新型コロナウイルスが収束していることを願い、ぜひ皆様に実際に見に来てほしいよね。
工藤 本日はありがとうございました
5.まとめ
青森には「ねぷたバカ」という言葉があります。バカは肯定的な意味で使われ、ねぷたへの愛情が溢れすぎている人を指します。3人のねぷた絵師はまさに「ねぷたバカ」。弘前ねぷたまつりが中止となったことで新たなことに挑戦し、中止だからこその楽しみ方を若いアイデアをもって提案していました。来年以降の弘前ねぷたまつりに期待が高まります。ぜひ若いねぷた絵師の活動にも注目し、弘前で体感してほしいです。