3年ぶりの「弘前ねぷたまつり」文化の継承とこれからのねぷた 弘前ねぷたまつりは今年、3年ぶりの開催となりました。「ねぷた」といえば青森県を代表する夏祭りの一つで、雪国・弘前市の人たちには、短い夏を謳歌(おうか)できる伝統的な祭りともいえます。祭りを開催できなかった2年間、どのような思いを抱いていたのか。そして、今年300周年を迎えた「ねぷた」を開催したことで、「弘前ねぷたまつり」はこれからどうなっていくのか。それぞれの団体の思いや今年の開催を振り返ります。
新型コロナウイルス感染対策を取って3年ぶりの開催
「弘前ねぷたまつり」を開催できなかった2年間、各ねぷた団体による自主運行や、金魚ねぷたや角灯籠を弘前市内の商店街などに飾る代替え企画「城下の美風」といった取り組みが行われ、ねぷた文化の継承に力を入れました。そして今年ねぷたは、文献(※)に初めて登場して300年となることから、「弘前ねぷた300年祭」と題した関連イベントを行い、3年ぶりの開催を盛り上げました。 ※1722(享保7)年、弘前藩5代藩主・津軽信寿が高覧したとの記録が弘前藩庁「御国日記」に登場します
開催にあたり、弘前ねぷたまつり運営委員会は新型コロナウイルス感染症感染防止対策へのご協力を呼び掛けました。8月1日から7日間にわたって行われた合同運行は、マスク着用の徹底、大声での歓声やコース沿道上での飲酒・食事の自粛(熱中症対策は除く)、手指消毒スポットの設置などの対策を取った上で開催。例年実施している弘前ねぷたまつりコンテスト(審査)は制約のある運行形態になることから行いませんでした。また、各ねぷた団体への活動に関しては、感染防止対策ガイドラインに則った形で対策を行うよう徹底しました。
8月1日に行われた出陣式では、ねぷたを通じた友好都市である北海道斜里町や群馬県太田市も出席。2022年5月に四国金毘羅ねぷた祭りを行った香川県琴平町や、同6月にねぷたを派遣した兵庫県神戸市の姿もあり、静かではありましたが、300年祭にふさわしい始まりとなりました。櫻田宏弘前市長は「先人たちに恥じない祭りにしたい」と宣言。コロナ禍ではありましたが、まずは開催できたことに対する安堵がねぷた団体にもありました。
多くの人にねぷたを見せることができた
「担ぎねぷた」とろうそくを使った伝統的なスタイルで知られるねぷた団体「幻満舎(げんまんしゃ)」は、3年ぶりの合同運行に例年以上の力を入れていました。幻満舎はねぷたを好きな人たちが集まって結成した団体で、今年の合同運行で45回連続の参加。古参団体の一つです。代表の山本和敬さんはこの2年間を「長かった」と振り返ります。
ねぷたを開催できなかった2年間、幻満舎では、「城下の美風」では角灯篭を奉納するほか、昨年は自主運行も行い、何らかの形で活動するようにしていたといいます。今年も元旦から、弘前ねぷた参加団体協議会が主催し、「弘前ねぷた300年祭」の成功を祈願して実施された「元旦ねぷた参拝」や、6月に津軽家の先祖代々の墓がある菩提寺・長勝寺で、墓参りを兼ねて実施されたねぷた運行に参加しています。
2022年の弘前ねぷたまつり合同運行の人手は、主催者発表によると7日間で91万人。コロナ禍前の2019年に記録した168万人に比べて大幅な減少となりました。それでも沿道に集まった見物客に向けてねぷた運行を披露できたことには価値があったと山本さんは言います。中でも伝統的な担ぎねぷたを少しでも多くの人に見せることができたことや、担ぎねぷたの一体感を団体内で得られたことが文化の継承につながったのではと話します。
「担ぎねぷたは全員の力で持ち上げる必要があり、その一体感が担ぎねぷたの醍醐味。合同運行を今年できたことは来年、次の300年につなげる第一歩になった」。
祭りを囃子で盛り上げる
津軽笛奏者の佐藤ぶん太さんにとって、ねぷたはまさにライフワーク。合同運行に毎年参加し、ねぷた囃子(はやし)を演奏します。幼少時から祭り好きで、9歳の頃から祭り囃子に参加して横笛を学び始めた佐藤さんは、「2年間祭りがなかったことは大きな損失になっているのかもしれない」と話します。
ねぷたは、祭りが近づくと団体ごとに山車(だし)を制作・保管する「ねぷた小屋」が建てられます。津軽地方の夏の風物詩ともいえ、お囃子の練習もこの「ねぷた小屋」で行われます。しかし、この2年間はコロナ禍で弘前ねぷたまつりが中止になったため、ねぷた小屋を作らなかった団体が多く、特に囃子に関してはほとんど練習ができていませんでした。
「ねぷた小屋」は世代間でコミュニケーションができる場でもあります。町会主体のねぷた団体では、町会内の老若男女が垣根を越えて、交流を深められる場が生まれます。「ねぷた小屋で津軽の子どもたちはいろいろなことを学ぶ。囃子を練習する場がなくなったことだけでなく、交流や文化に触れられる機会がなくなった」と佐藤さん。
ねぷた囃子はねぷたの運行を盛り上げる重要な役割があります。「ヤーヤドー」の掛け声と太鼓のリズムに合わせて奏でる横笛は、運行の参加者を高揚させるだけでなく、見る人の気持ちをもたかぶらせるものがあります。実際に沿道に集まった見物客の中を、3年ぶりに囃子を吹きながら運行できたことは格別な達成感を覚えたといいます。佐藤さんは「ねぷたは今年やれてよかったと、参加した人たちは全員が感じているはず。もし3年、4年と中止が長引いてしまうと文化の継承すらできなくなっていたかもしれない」と語ります。
子どもたちにつなぐねぷた
弘前の中心市街から車で30分ほどの郊外にある東目屋という地域に、ねぷた団体「東目屋ねぷた愛好会」があります。今年、合同運行に参加しただけでなく、子どもだけの自主運行も行いました。同地区には小学校と中学校が1校ずつあり、以前は多くの子どもたちが通っていましたが、現在は複式学級やひとクラスに数人といった生徒数にまで減少しています。
代表の三上雅人さんによると、中心市街で行われる合同運行に参加するために、片道だけでもねぷたの運搬に1時間以上はかかり、年々子どもや参加者が減り続けていることから、合同運行の参加をやめようかとも考えることがあったと話します。それでも合同運行に参加した意義について三上さんは「他の団体や仲間たちからの期待や応援があり、毎年やろうという気持ちになる。そういった人たちの気持ちに応えたいから」と答えてくれました。
7日間の合同運行には、規模を縮小して参加。移動用のバスを手配せず、子どもたちの参加も家族の判断としました。そんな中で弘前ねぷたまつり最終日は、子どもたちだけの地区内運行を実施。約5キロの旧道沿いを運行し、普段ねぷたを見ないような地元民たちが玄関先からねぷた運行に拍手を送ったり喜んだりする声があったといいます。三上さんは何より子どもが楽しんだことが第一だと語ります。
「子どもは少なくなり、ねぷたの継承といった課題はどの団体も抱えているが、300年続いた伝統をなくしたくないという気持ちはどこも同じだろう。今年の開催で子どもたちにねぷたを体験させられたことが、私たちにとって大切だった」。
毎年開催されていたことが当たり前のように感じていた弘前ねぷたまつりが、新型コロナウイルス感染症のまん延で突然中止となりました。それによって改めて伝統の継承や文化を伝えていくことの大切さを知ったという声は多く、次の世代へつなぐためには何が必要になるのかが問われる2年間だったのではないでしょうか。
弘前ねぷたまつりは今年、無事に開催することができましたが、マスク着用の徹底や大声での歓声の自粛といった制約があったことから、物足りなさを感じる人も少なくありません。来年こそは完全開催が実現できればといった声もあり、早くも次へと動き出す気持ちがありました。「伝統を残したい」といった思いを持つ人たちの活動が実を結んだ開催に、次の100年、300年と紡いでいく祭り文化を感じられずにいられません。