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信玄公祭り開催!愚痴と教訓が多かった、武田信玄の人物像

2023/10/18
2023/10/17
信玄公祭り開催!愚痴と教訓が多かった、武田信玄の人物像

「信玄公祭り」は山梨が誇る戦国武将・武田信玄の遺徳を偲び、甲府駅周辺や舞鶴城公園を会場に例年開催されているお祭りで、今年は10/27〜29に開催されます。

10/28に行われるメインイベント「甲州軍団出陣」は、県内各地から1,000名を超える戦国武者姿の軍勢が舞鶴城公園に集結し、川中島に向け出陣する様子を再現。さらに今年は信玄役に冨永愛さんが登場し、勇猛果敢な武田二十四将とともに執り行う出陣の儀式から「風」「林」「火」「山」の各軍団の出陣へ、華麗ななかにも勇ましい一大戦国絵巻がくりひろげられます。

数ある武将にまつわる祭りの中でも大規模な信玄公祭り。実際にどんな人物だったのか?歴史家の乃至政彦さんにお伺いしました。

武田信玄の人間観察力

甲府駅前の武田信玄像 写真/フォトライブラリー

本年10月27日から29日に信玄公祭りがある。

祭神の武田信玄は、人を使うことが上手であったという。とはいえ、信玄を悪人と見る歴史愛好家は少なくない。

確かに、実父を追放して国を得たあと、周辺国への侵略を繰り返し、また略奪や破壊行為も遠慮なくやってのけた。

だが、信玄には信玄なりの倫理があったと見える。たとえば当時の書状を見ると、生涯の強敵であった上杉謙信のことを「日本無双の名大将」などと周囲に語っている様子が認められる。家臣を多数討ち取った敵を褒めるなど、現在の為政者や指導者に真似できるだろうか。

武田家の軍記『甲陽軍鑑』品第13には、こんなことが書いてある。

敵味方に関係なく、上杉謙信は信玄を褒めた。信玄も謙信を謗らず、嫉むことすらなかった

【原文】「敵味方なれども越後謙信は信玄をほむる、信玄家にては輝虎をそしらずましてそねむ事はなし」

信玄は謙信の長所を認め、非難めいたことを唱えなかったというのだ。

事実であろう。信玄は人間をよく観察して、その長所と短所を見極めることのできる大将だった。信玄には人の使い方に関しても、独自の哲学があり、その方法には、現代にも通じるところがある。

ここでは信玄の観察眼と人生訓、そしてその先に隠れた人柄を見ていこう。

愚痴の多い戦国武将

毛利元就像

愚痴の多い戦国武将といえば、歴史ファンの多くは安芸の謀将・毛利元就を思い浮かべることだろう。

一次史料(当事者の同時代史料)の元就書状が多く残されているが、これらは愚痴が多く、くどくどしく、説教くさいところが目立っている。

特に、3人の息子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に出した教訓状は、長さ3メートルにも及ぶ。長文にもほどがあると思えるもので、その内容もやはり戒めが多い。

こういう書状は、戦国武将の個性が現れやすく、見ていて面白いと思うことがある。

激情型といわれる謙信の書状は普段から気持ちが入っていて、敵対する大名の振る舞いを「腹筋に候」と嘲笑したり、家臣の失態を「ばかもの」と罵ったり、直接的な気持ちをストレートに書いている。

ところで武田信玄だが、こちらは謙信と違い、おおむね冷静でオーソドックスである。弱気なところ、気負ったところがまるでない。

ただ、書状の墨が段々と薄くなっていき、途中からこれがまた濃くなっていくことがある。こんなところに、なんだか人柄を想像してしまうのだが、謙信のように過激な言葉を使うことや、基本的に私的な心境を語ることは、ほとんどなさそうだ。

ただ、やはり信玄も人間である。『甲陽軍鑑』という武田家臣が書いた文献を見ると、どうにも鬱屈したところが多かったようだ。

そこでの信玄は、直接的に身近な者たちに、繰り返し繰り返し人生訓を説いている。元就よりもしつこいぐらい人生訓を説いている。

しかも、「こういう人間はだめだ。なぜならば」などという言葉をたくさん見受けられる。具体的に誰がどうだと家中の者を名指しで否定したくはないが、わしはこう思うのだと対象を抽象化して、論理的な表現として、不満を述べているのだろう。

これは人生訓の形を借りた「愚痴」と言っていい。

武田信玄の人材活用哲学

『甲陽軍鑑』巻第一(写)江戸中期 国立国会図書館デジタルコレクション

信玄は人材活用哲学として、「いやしくも晴信、人のつかい様は、人をばつかわず、わざをつかうぞ」(『甲陽軍鑑』品第30)と述べている。

人を使うのに、人ではなく技を使うという。どういうことか。

信玄の人生訓を要約しよう。

「心掛けのない者は道理がなく、道理がないなら浅はかで、浅はかなら必ず無礼者である。無礼者は必ずいらないことを言う。いらないことを言う者は必ず贅沢に流れやすい。贅沢に流れやすい者は一貫性がなく、一貫性がない者は必ず恥知らずで、恥知らずの仕事は褒められたものではない」

なんだか、とてもくどくどしい。そして、無能な人間を執拗に責めているようである。信玄は続けて、こういう人たちを「品々につかふ事は国持大将のひとつの慈悲なり」という。

人を使うとき、その人に問題があっても、適材適所で使っていくのは大名が持つべきひとつの慈悲だというのである。

なぜなら寺社領、国境の城主の安堵、牢人の扶助をして、国を取り、得た領土を安定させるため、合戦をして城を奪うのが大名の仕事で、時には死罪や追放も辞さず、そのためには、「慈悲結縁肝要なり」なのだという。

言うなれば、人間を個別で使うのではなく、大きな組織の機序によって扱うのである。

依怙贔屓によらず、ある種の道理によって人を使うところに信玄の哲学があるといえるだろう。

武田信玄と渋柿

武田信玄の菩提寺である恵林寺 写真/PIXTA

信玄は、こんな話もしている(『甲陽軍鑑』品第40)。

渋柿の品種の枝を切って、そこに甘柿の品種の枝を繋ぐのは、出世しない者のすることだ。中の上にある侍、特に国を持つ大名ならば尚更のこと、渋柿は渋柿として役立たせることが多い。ただし渋柿の方が好ましいからと、繋いだ甘柿の枝をまた切るべきでもない。人事は全てこういう風にするのだ

【原文】「渋柿を伐て木錬(きねり)を続くハ小身のことわさなり。中身より上の侍殊に国もつ人ハ猶以渋柿にて其用所達すること事多し、但徳多しと申て継て有る木練を伐にハあらぞ、一切の仕置かくの分なるへき」

渋柿より甘柿の方が扱いやすいからと、渋柿の枝を切ってそこに甘柿の枝を取り付けるのは、出世しない者たちのすることだ。人の上に立つならば、渋柿は渋柿のまま扱えばいい。ただし、すでに甘柿を繋いでいるものをあえて切り取る必要はないのだという。

陳琳と曹丕と信玄

恵林寺にある武田信玄の墓 写真/フォトライブラリー

また、信玄は渋柿の例えを別のところで、中国の古典を引きながら、もうひとつ次のように述べている。

陳琳は曹丕に言いました。「人に会って話をするときは、思いのうち三分だけを伝えなさい。他人は自分をいつまでも好意的に接し続けてくれるとは限らず、花もいつまでも春の盛りのように咲き続けられないので、全ての本心を相手に晒してはなりません。昨日の友は今日の敵、昨日の花も今日のゴミです」

【原文】「陳孔璋謂魏文帝曰逢人只説三分話、未可全抛(なげうつ)一片心、人鎮(とこしなえ)不與我相好(よから)、花鎮無與春盛開、昨友今日冤讎、昨花今日塵埃」

簡単に言い換えると、他人と会って話をするときは、本音を全部伝えてはならない。なぜなら、人の心は移りやすく、昨日の花が今日のゴミ、昨日の友が今日の敵になることもあるからだ──という話である(なお、この話は、『三国志』などではなく、『軍林兵人宝鑑』[巻之上]省心第五に掲載されている)。

陳琳は、文章の名人で、曹丕の父・曹操と戦争していた時、その曹操を文章で激しく貶めたことがある。こうした経歴の陳琳の言葉であるなら、説得力がある(なお、中国の友人によると、「逢人只説三分」は明代の作品に流行った表現で、登場人物は仮託の可能性が高いようだ)。

ただ、この話に続けて信玄は、次のようにいう。

「こういう三分のみを語り、七分の本心を表に出さない慎重な心は、恥を知る心があるからだ。だが、判断力のない者は、『物事を軽率に言うべきではない』とだけ考えて、無言になってしまう。これは『渋柿を切って、甘柿を接ぐのは悪いこと』だと人が言うのを聞き、賢人の諺だと信じてしまって、実がよくなっている甘柿の枝を切ってしまうようなものだ。いいことをしようとして、かえって悪いことをしてしまう。判断力のない者はいつもこんな有様だ」と語っている。

人生訓から読み取れる信玄の愚痴

川中島古戦場史跡公園にある武田信玄と上杉謙信の銅像 写真/フォトライブラリー

さっきの渋柿の話を、別の場で繰り返しているわけだが、信玄はよほどこの手の人間に手を焼いていたのだろう。それでもそういう者をも使うのが「慈悲結縁」だといって、切り捨てないことが大事だと述べている。

信玄の人生訓を聞かされる側は、これをありがたく受け止めて、『甲陽軍鑑』に書き残したわけであるから、信玄の哲学と手腕は、言葉だけのものではなく、しっかり実践されていて、説得力が高かったのだろう。

信玄には優れた人材活用の哲学があったが、そこでこっそりと不満や愚痴っぽい思いを述べているのが、いかにも人間らしい。

春山城にある上杉謙信像 写真/フォトライブラリー

なお、上杉謙信の「敵に塩を送る」の逸話は、もともと上杉家中では語り継がれていなかったが、武田流の軍学者が語り継いでいたようである。

江戸初期に『甲陽軍鑑』を編纂した小幡景憲が、弟子たちに故実として教えたことで軍学書に書き残されることとなって、広く知られることになった。

昨年の信玄公祭りより(写真撮影:高橋佑馬)

信玄の分国法『甲州法度次第』には、法令が事細かく定められているが、そのひとつに「信玄がこの法令に違反しても裁きを受ける」との一文がある。

信玄の中立的で公正無私な精神には、人治主義ではなく、法治主義がある。この点は現代日本人の精神に近しく、学ぶべきところも少なくないであろう。

信玄公祭りは、そんな信玄の威徳と人柄を、胸のうちに呼び起こしてくれるだろう。

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