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旅する獅子舞「伊勢大神楽」諸国を巡りながら技を磨き続ける「大神楽師」という生き方

2023/1/13
2024/3/8
旅する獅子舞「伊勢大神楽」諸国を巡りながら技を磨き続ける「大神楽師」という生き方

旅する獅子舞がいることをご存知だろうか?

獅子舞といえば正月に見るものと思っている方も少なくないだろう。しかし、一年中旅して舞い続け、それを職業とする方々がいるのだ。この方々こそが伊勢大神楽を演じる大神楽師たちである。

地域に根を張るのではなく、旅をしながら様々な場所で舞い歩く。この芸能のあり方が獅子舞の広範に及ぶ伝播にもつながった。芸能の研究はもちろん、暮らし方への問い直しになるのではと思い、この奥深い芸能に興味を持った。

そこで2022年12月24日、伊勢大神楽のすべての社中が一年の旅から戻って行う、代表的な演舞として知られる増田神社の総舞を取材させていただいた。彼らの本拠地において、どのような舞いが見られるのかを楽しみに現地に向かった。

伊勢大神楽とは?

もともと江戸時代、三重県にある伊勢神宮の信仰を広めるために、祈祷の案内をして参拝・宿泊などの世話をする「御師(おし)」が主に東日本を回っていた。それに対して、営業上の代理権をもつ使用人(手代)となり、主に西日本を回り始めたのが大神楽師たちである。

彼らは旅をしながら各地域で伊勢大神楽を行って竃払いや悪魔払いをするとともに、伊勢暦や神札を渡して歩いた。これは伊勢神宮から離れたところに住む参拝できない人の代わりに神楽を奉納して厄を払う「代神楽」としての性格があった。

江戸時代にはこの大神楽師の組が20組ほどあった時期もあった。明治期の規制などを乗り越え、現在は5組となり持ち場を回っている。

今回訪れたのは伊勢大神楽の総舞というもの。全ての社中が増田神社に集まり、盛大に総舞を奉納するため、全国から参拝者が集まる。8舞と8曲で合わせて16演目を行い、全てを厄払いするという意味で「総舞」と呼ばれている。

これは新年初めの舞という位置付けだ。なぜ年末なのに新年なの?と思われる方も多いだろう。元々、徒歩で関東などの遠方に向かうこともあった伊勢大神楽は、12月24日に家を出ないと元旦にたどり着けなかった経緯がある。この総舞では終わる1年に対する感謝と、獅子舞を待ってくれている方々への安全など様々な事柄を祈願するようだ。

伊勢大神楽成立の背景

ところでこの伊勢大神楽の始まりについても少し触れておきたい。元々、現在の三重県周辺には御頭神事という行事があり、神格化された獅子頭「オカシラサマ」が存在した。その一方で伊勢地方にたまたま放下芸のチャリ師*がいて、偶然にもそれと結びついたことから見応えのある伊勢大神楽が誕生した。江戸時代初期の成立とも言われているが、正確な時期は不明である。

*編集部注:放下芸(ほうかげい)は物を空中に放り上げるなどの曲芸のことで、チャリ師は道化役のこと。

神事としての厳かな舞いがあるのに加えて、べちゃくちゃと与太を飛ばし面白おかしく人々を笑わす放下芸の要素が加わった。おっちょこちょいなチャリ師であるが、それが本芸を引き立てることに繋がっているのが面白い。その結果として余興が大半を占める伊勢大神楽が出来上がったのだ。余興と神事のバランス感なども踏まえながら、この伊勢大神楽を見ると面白みが増すかもしれない。

総舞が行われる増田神社へ

桑名駅から徒歩で20分。伊勢大神楽講社の拠点となっている三重県桑名市の増田神社にたどり着いた。

神社の社務所ではとても特徴的なデザインの獅子舞の手ぬぐいが販売されており、購入する人の列ができていた。演舞開始の30分前に境内に着いたのだが、もうすでに大勢の人が集まっていた。少し雨が降ってきたので、今回は室内での演舞となった。

披露された伊勢大神楽の9演目

今回はコロナ禍ということで16演目のうち9演目のみの短縮版となったが、それでもとても見応えがある内容だった。披露されたのは四方の舞、綾採の曲、水の曲(皿の曲含む)、献燈の曲、神来舞、玉獅子、剣三番叟、魁曲である。演目の様子を振り返ってみよう。

四方の舞

御頭の呪力により、天地四方を清める舞。御頭につけてある白い紙(麻・ぬさ)は神職が使う祓麻(はらいぬさ)と同じ役割があり、それを左右左と振ることで四方を清める。最も古くて荘厳な舞の1つである。

また鳥兜を被った猿田彦がササラを鳴らしながら獅子を誘い出す場面があり、まどろんでいる獅子は笛(鶏の鳴き声)によって起こされる。意味を知るとより楽しめる演目だった。

綾採の曲

大神に捧げる紙衣を織る時の機織りに使用する杼(ひ)という道具を模した表現が、綾採(あやとり)の曲だ。2本の棒を持ってジャグリングをしたり、その棒を乗せて上に掲げてみたり。シンプルな技であるが、習得には結構時間がかかる技のようだ。

水の曲(皿の曲を含む)

水をつかさどる神々をたたえ、感謝の誠を捧げる曲。とりわけ農事に関係した悪疫、水難、旱天などの災害を防ぎ、五穀豊穣を願うために行う。竿によって高々と徳利や皿をつき上げる。このバランス感覚には驚きである。

献燈の曲

12個の茶碗を積み上げて、献灯になぞらえる。献灯には不浄を焼き払う効果があり、茶碗が割れないかハラハラする。安定して持てていることだけで驚きであるが、それをあごの上に乗せて持ち上げる技なども行われた。

神来舞

一年の払いをするため、笛の曲目は1~12月までの12曲があり、舞う方向は12通り、踏足は365歩と定められている。荘厳な雰囲気も漂うこの舞いが、神来舞(しぐるま)である。

右手に鈴、左手に白幣(はくへい)を持ち、美しくしっとりと舞う。大神楽の舞の中では最も古くて歴史があるそうだ。

玉獅子

玉は円満無欠であり、太陽であり太陰でもある。つまり、見る人によって様々な象徴として捉えられるものである。善良な翁は玉を持っており、心が豊かだ。しかし、獅子は玉が欲しくて翁にじゃれかかり、玉を取ってしまう。翁は玉を返して欲しくて、あの手この手を尽くす。

子どもが翁の仕草を楽しそうにして見つめている姿は印象的だったし、会場が笑いに包まれる場面もあった。

剣三番叟

剣三番叟(つるぎさんばんそう)には数本の剣を使い分けて、上下四方八方の邪気を払い避け、正しい御霊を振り起す意味がある。戦前までは真剣を使っていたそうだが、そうでなくても非常にハラハラする。

担い手の方によれば、剣三番叟の練習で怪我をしてしまうこともあるという。とても高度な技であり、リスクを背負って技を披露してくださっていることに感銘を受けた。

魁曲

最後を飾る圧巻の演舞。「花魁道中の曲」を縮めて魁曲(らんぎょく)と名付けられ、次々に場面が展開される早業とアクロバティックさが魅力だ。

目まぐるしく変わるその展開に驚きながらも、華やかさに酔いしれるような思いで眺めていた。

総舞はこの魁曲で締めくくられた。本当に驚きっぱなしの演舞だった。いつもであれば12時半から15時半くらいまで行っているようだ。ただ、今回はコロナ禍ということもあり短縮版で14時半頃に終了となったが、それでも十分見ごたえがあった。

当日の様子に関して、魁曲については動画でも公開しているので、ぜひご覧いただきたい。

若手が活躍する場としての総舞

終了後、伊勢大神楽講社の理事を務めておられる山本勘太夫さんにとても貴重なお話を伺うことができた。特に、この総舞という行事が「若手活躍の場」として機能しているという新しい視点をいただいたので、それについて詳しく触れておきたい。

皿の曲でチャリ師を務める山本勘太夫さん(左)

ーー総舞はなぜ始まったのでしょうか?

詳しい起源は分かっていません。ただいざ町回りをすると、失敗ができないので若手のホープを使ってあげられないことがあります。野球で例えるならいきなり四番は任せられなくて、代打などになってしまいます。だから自分たちの神社で総舞をすることで「若手が活躍する機会を増やすこと」に繋がっていることは確かでしょう。

ーー若手の勧誘はどうされていますか?

元々はパイプがあるわけではないので、門を開けて待っているだけです。興味を持ってくれたら、メールを送ってくれる方もいます。様々な大学で就職できるような案内も出しており、高学歴の方がきてくれることも多いです。高学歴の方は普通の仕事でない何かを目指した時に、神楽が格好良いとなるみたいですね。

ーー高学歴の方はどういうことに興味を持って入ってくださるのでしょうか?

学者志望の方が多いんですよ。民俗学とか宗教学とか。学問をつき詰めて行った時に、お金とか権力に興味がない場合、知識で生きていくことが無意味であることに気づくんです。教養は世の中のために使っていくということですから、教養に変換できることを探しているんですよ。喋るのは学者でもできるけど、芸に変換するのは神楽師しかできないです。

ーー手先が器用であるなど、子どもの頃から何か秀でている方が来るのかと思っていましたが、そうでもないのでしょうか?一から練習して芸を身につけるみたいな感じですか?

そのような方はなかなかいないですね。いたとしたら、サッカーとか野球をやるんじゃないですか。運動神経が良い人なんて少ないです。入ってきて無骨の状態で覚えるから魅力的で格好良くなれるのかもしれません。

大神楽師という生き方

伊勢大神楽の大神楽師になるということは、暮らしをかけてのめり込むということでもある。朝から12時間町回りをして、帰ってきてから、ちょっとでも明るいうちに稽古をして、終わったら明日配るお札を準備して、夜寝るのは12時くらい。朝は先輩の洗濯物を干して…とまさに一日中、「大神楽師」だそうである。

「例えばタイムカードを押している時だけ大神楽師という感覚を持っている人はすぐに辞めてしまいますが、こういう暮らしをしたかったという人は残ります」という言葉はとても印象的だった。

総舞に向けて準備をする大神楽師の皆様

歴史を振り返ると、空海、円空、空也などが実践してきた遊行僧としての暮らしもどこか重なる部分があるかもしれない。宗教を広めるとともに旅をする暮らしであり、修行をするように身が引き締まる暮らしのあり方にも思える。

高度で見応えのある技の数々の裏には、神楽師たちが旅をしながらそこで厳しい練習を乗り越えてきた蓄積がある。単に演目を楽しむだけではなく、諸国を巡り技を磨き続ける大神楽師の生き方に着目してみることで、伊勢大神楽という奥深い芸能を理解するための第一歩になるかもしれない。

<参考サイト・文献>
伊勢大神楽講社 山本勘太夫社中 ホームページ
鈴木武司『伊勢大神楽』(1992年)
堀田吉雄『伊勢大神楽』(1969年)

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