歌舞伎町と言えば、何を思い浮かべるだろうか?ネオン街、夜のお店、ゴジラビル?2023年4月、ディープで雑多なイメージのこの街に、ド派手なシンボルが誕生した。それが「東急歌舞伎町タワー」、そしてその2階にオープンした「新宿カブキhall~歌舞伎横丁」だ。
煌びやかな装飾の中、日本全国のグルメと祭りが体験できる、話題の施設のオープン日に潜入!なぜ歌舞伎町?なぜこんなに派手なのか?この地の背景を知ると、ますます楽しめる!その魅力をレポートする。
目次
超高層複合施設「東急歌舞伎町タワー」
新宿駅は一日の利用者数世界一を誇る、多くの人々が行きかう文化の交差点。歌舞伎町はそこから徒歩約6分。いわゆる夜の店が多く、たくさんの飲食店や娯楽施設がひしめく地区である。
2023年4月14日、そこに新名所「東急歌舞伎町タワー」がオープンした。ライブハウス、レストラン、バー、劇場、映画館、ホテルが集まる総合エンターテインメント施設である。
「新宿カブキhall~歌舞伎横丁」には全国のソウルフード大集合!
タワー二階にある新宿カブキhall~歌舞伎横丁では、北海道から沖縄まで、各地方にゾーンを分け、様々なローカルフードが楽しめる。装飾や屋台は、現地の本物の作家の作品や、地元の装飾方法を忠実に表現したもので、祭り愛があふれている。
行くならお祭りイベントデーを狙え!毎週楽しめる、日本のフェス
カブキhallでは各地のお祭りをステージで楽しめる。オープニングを飾ったのはプロ阿波踊り集団「寶船」。来場客を巻き込んでの熱いパフォーマンス。踊った後のビールは格別だ。外国人旅行客も「ツアーガイドがどうしても連れてきたい、と連れてきてくれた。ものすごいエネルギーで驚いた。日本人のイメージが覆った。」と驚いていた。
寶船のリーダーを務める米澤渉さんは「新宿を代表する建物のオープニングを、阿波踊りで飾れたことは感無量。阿波踊りの『踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン』のマインドは、文化が交錯する歌舞伎町そのもの。」と語る。
今後も盆踊り、よさこい、阿波踊りなど、全国の祭りが見られる。汗がほとばしるような、熱い日本が体験できる。
この投稿をInstagramで見る
歌舞伎が見られないのに、なんで「歌舞伎町」?その歴史に深い訳があった
東急株式会社の乗松さんは「東急歌舞伎町タワーがコロナからの復興のシンボルになれば」と語る。それには、戦後から繋がる、この地ならではの背景がある。
もともと新宿は宿場町「内藤新宿」として知られた甲州街道のあたりが栄えていた。それに比べ、歌舞伎周辺は「角筈(つのはず)」と呼ばれ、川が流れ、未開発であった。
太平洋戦争で新宿周辺は焼け野原に。そのとき立ち上がったのが、新宿角筈一丁目北町会会長の鈴木喜兵衛氏である。彼は角筈地区を「道義的繁華街」とするとして、映画館、ボーリング場、劇場などを誘致。見事、戦後からの復興を果たし、現在の日本一の歓楽街の礎を築いた。中でも熱望されたのが、歌舞伎座の建設であり、それを目指して町名も「歌舞伎町」となった。残念ながら、それは実現されず、歌舞伎町の名前だけが残った。
高度経済成長期、バブル期を経て、全国・海外からも様々な人と文化が集まり、交じり合う新宿歌舞伎町。これは明るい面だけでなく、歌舞伎町を「危険な街」とするイメージも生み出し、多くの取り締まりも行われた。さらに、2020年に始まったコロナパンデミックが、繁華街に大打撃を与えた。
2023年4月。東急歌舞伎町タワーにオープンした新宿カブキhall~歌舞伎横丁では、隣の席のお客さんとの距離も近く、皆が乾杯し、笑って、日本中の飲食・エンタメを楽しむ。歌舞伎町の混沌・エネルギーのもとは、生きる喜び。まさに「コロナからの復興」が実現した瞬間である。
寶船の米澤渉さんは「このタワーは『現代版歌舞伎』を体現している。下にライブホール=歌。真ん中に祭りのステージ=舞。そして、上階には劇場=伎だ」と語る。数十年の時を経て、鈴木氏の描いた「歌舞伎町」が歌舞伎町らしい形で実現したのかもしれない。
新しくなる歌舞伎町。その魅力が詰まった「東急歌舞伎町タワー」「新宿カブキhall~歌舞伎横丁」で、そのパワーを感じてほしい。