いつでも4種類の御朱印が頂ける湊川神社
全国各地の神社や寺院では参詣の記念に御朱印を頂くことができます。朱印帳に訪れた神社や寺院の御朱印が並ぶと、貴重な思い出となり写真とは趣の異なる味わいが滲み出てくるものでしょう。神戸市中央区に社殿を構える湊川神社では、いつも4種類の御朱印が準備されています。「湊川神社」の文字が記される御朱印には、神社の社紋の「菊水紋」が押印されます。ご祭神の楠木家の家紋でもあり、ご祭神として祀る楠木正成は後醍醐天皇から、菊を浮かべた酒杯を下賜されたという故事があります。
湊川神社では楠木正成をご祭神として祀るだけではなく、表神門の東に楠公御墓所が設けられています。「菊水紋」の下に「臣子之亀鑑大楠公廟」の印が押された御朱印では、楠木正成の偉業が偲ばれます。
楠木正成は、毘沙門天の申し子とされていました。
湊川神社の創建は1872年ですが、江戸時代にはこの地に楠本稲荷神社が社殿を構えていました。楠公御墓所の北に建立される楠本稲荷神社の御朱印には、火焔宝珠文様が押印されます。祈れば何でも望むものが出せるという「如意宝珠」の上部と左右に炎が燃え上がります。
4種類の御朱印はどれも、本社社殿の西の授与所で頂くことができます。窓口にはオリジナルの御朱印帳も並んでいます。「菊水紋」を地模様とするもの、楠木正成の佩刀(はいとう)として伝承される太刀「小竜景光(こりゅうかげみつ)」をイメージしてデザインされたもの、KOBE七福神の文字が記された七福神めぐり専用のものなど、種類豊富です。
干支の御守などが充実する授与品
授与品もバラエティー豊富です。お守りでは12の干支の御守がとても充実しています。漫画家のやなせたかしさんがデザインした十二支お守りはユニークです。
楠木正成の戦没地の境内
現在、湊川神社が建つエリアは鎌倉時代末期の1336年に、湊川の戦いの合戦場となりました。後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成が、鎌倉幕府の勢力や新たな武家政権を目指す足利尊氏と戦ったのです。ところが、奮戦むなしく戦いに敗れ、湊川の地で自刃したのです。本社社殿の西側には楠木正成戦没地の碑が立っています。
正成の死後、塚は地元の人々によって大切に守られてきましたが、江戸時代になると正成を崇敬した徳川光圀が立派な墓を作りました。
楠公御墓所には江戸時代の幕末、吉田松陰や坂本龍馬などの志士達が訪れたと伝わります。明治維新直後の1872年には、明治天皇の命によって湊川神社が創建されました。
湊川神社は、阪神線と阪急線の高速神戸駅の出入口の正面に表神門を構えています。
表神門からは北に向かって石畳みの参道が設けられています。石造りの大鳥居を潜れば本社社殿です。
楠木正成の命日5月25日を中心に開催される「楠公祭」
境内には楠公御墓所や楠木正成戦没地などがあり、楠木正成の波乱に満ちた生涯を偲ぶことができます。例年、楠木正成の命日5月25日を中心に「楠公祭」が開催されています。境内には特設ステージが設置され、居合の演武、和太鼓の演奏、剣道の形道奉納、阿波踊り、農村歌舞伎などが披露されます。5年に一度の「楠公武者行列」では、26騎の騎馬武者、騎馬女房など総勢約700名の一大歴史行列が神戸の街を練り歩きます。
神戸市中央区の湊川神社では、4種類の御朱印を頂くことができます。神社の境内はご祭神の楠木正成の戦没地でもあるので、楠公に因む御朱印には鎌倉時代末期の歴史観が溢れているようです。