コロナ渦の中、3年ぶりに開催することになった大津神社秋大祭。町の住民や太鼓関係者は、待ちに待った瞬間であったであろう。祭りの進め方や準備物等の打ち合わせを例年より念入りにし、挑んだ今回の祭りは特別な想いが湧いていたのだと思う。そのような背景をも踏まえながら、お読み頂きたい。
人を引き付ける謎めいた大津神社の魅力とは?
東大阪市水走(みずはい)地区に鎮座する大津神社。大津神社という名前の神社は日本全国にあるが、水走地区の大津神社は、御祭神「大土神」を祀っている。大津神社は、平安時代後期に枚岡神社の神職であった平岡氏の一族から分派した水走氏が、この土地に本拠地として館を構え、大津神社の神官だったことが、由来や経緯に大きく関係していると考えられているが、本当のところは明らかではない。
この記事では、その大津神社で行われる秋大祭の布団太鼓にフォーカスした。
大津神社秋大祭で担ぎ上げられる布団太鼓とは?
大阪府東大阪市水走という町は、生駒山の麓に位置し、さらに山手には枚岡神社や石切神社など、歴史にゆかりのある名所に囲まれた町であり、工業の町でもある。その町で開催される大津神社秋大祭で、2台の布団太鼓が担がれる。町水走布団太鼓と古水走布団太鼓だ。
どぉうおん、どぉうおん、どぉうおん。
和太鼓の音。
直径三尺三寸(約99㎝)ほどの胴の両端に、パッンパンに張った白色の牛革の表面を、木製の鉢で中学生の男の子が、右腕と左腕を片方ずつ、力一杯、肘から牛革の表面目掛けて振り下ろす。
どぉうおん、どぉうおん、どぉうおん。
どぉうおん、どぉうおん、どぉうおん。
あー、よっせー、よっせー。
どぉうおん、どぉうおん、どぉうおん。
どぉうおん、どぉうおん、どぉうおん。
水走の布団太鼓は、縦4メートル、横3メートルの淡路型太鼓台である。中心に和太鼓がおさめられた四本柱(しほんはしら)の上には、虹梁(こうりょう)、枡合(ますあい)、薄い板が数枚重ねられたタガヤが据えられる。
さらにその上には、赤色の羅紗を被せた蒲団(籠ともいう)に、蒲団締め、四房、八房の装飾が飾られている。豪華でありながら迫力もある水走の布団太鼓。
町水走の刺繡や昼間の巡行時に飾る提灯も、他では見られない見事な伝統工芸品だ。
布団太鼓を担ぐ体感とは?
そんな立派な布団太鼓を、50~70人で担ぎ上げるのだが、東大阪周辺の布団太鼓の特徴は、堺市のものと比べて担ぎ手のスペースである横棒が短いため、担ぎ手が合計12人減るのである。そのため、1人の責任も大きくなり、担ぎ手の真剣度合いが変わってくる。
自分が担いでいる時は、ずっと真上に腰を入れて突き上げなければ、徐々に太鼓台が下がってくるのがわかるのだが、これがかなりしんどく、力が尽きる前に交代したいとジェスチャーを出す必要がある。50~60kg前後の重さを、ずっと真上にあげ続けているようなものだから、交代は仕方がない。時間が経つにつれ徐々に担ぎ棒が上に上がらなくなり、いくら力を入れてももう1mmたりとも上げることができないのだ。どれだけ体力がある人でも、5分担ぎ続けられれば、相当大したものだ。
何度か交代してはまた入る。
これが快感でやめられない。1人では到底太刀打ちいかない布団太鼓と、約60人の大の大人が対峙するのである。体力の続く限り、最後まで。それをやり切り、最後の最後まで担ぎ通すと、自然と全身の力がスッと抜け、なんとも言えない何かに包まれた感覚に陥る。これが言葉にできないほどすっきりするのだ。
水走の街に布団太鼓が巡行する意味
この地域では、企業や個人から祝儀を頂く習慣になっており、その祝儀のことを御花代という。祭り当日までに頂いた御花代の御礼参りが一番の目的であるが、和太鼓を叩いて巡行することで、福を呼び寄せたり、悪を外に追い出す意味合いも含まれている。
大津神社秋大祭とは?
毎年10月15日に開催される大津神社の秋大祭は、地元の人で賑わうお祭りだ。ここまで紹介した布団太鼓の巡行以外にも、「たこやき」や「焼きそば」などの出店が並び、お祭りグルメを楽しむことができるのも嬉しい。
【開催日時】2022年10月15日(土) 担ぎ上げ時間帯 18:00~(巡行は12:00前後~)
【会場】東大阪市水走 大津神社周辺
【アクセス】近鉄電車 吉田駅から徒歩10分
最後に
布団太鼓の見どころは、担ぎ上げのタイミングである。それと合わせて、布団太鼓の一つ一つの装飾もまた、他では見られない一級品ばかりだ。来年は、大津神社の歴史の謎も含めて、大津神社秋大祭を布団太鼓とともに、ぜひ味わってほしい。