戦国時代に梅の実を兵糧用として利用した北条氏
15世紀末から16世紀にかけての日本は各地で戦乱が頻発する戦国時代でした。全国統一を目指す豊臣秀吉の最後の戦場となったのが小田原です。北条氏が難攻不落の小田原城に籠城し、秀吉に立ち向かいました。1590年、小田原城南西の石垣山に一夜城を築城した秀吉の奇策によって北条氏は降伏し戦国時代に終わりが告げられたのです。江戸時代には関東地方防御の要となり、現在でも天守閣を中心として歴史的な景観を残しています。戦国時代には北条氏が梅の実を兵糧用として利用したため、小田原市内では梅の栽培が盛んに行われています。小田原城址公園にも数多くの梅が植栽され、例年2月中旬から3月上旬には園内は季節の彩りで包まれます。梅が開花すると「小田原城梅まつり」が開催されており、2021年は2月8日~28日の期間で行われています。
梅が植栽される、二の丸、常盤木門、銅門の周辺
小田原城址公園で梅が植栽されているエリアは天守閣の東、二の丸、常盤木門、銅門の周辺です。小田原駅からお堀端通りを経由し、二の丸東堀に架かる学橋を渡ると二の丸跡です。現在の二の丸跡には建物は残されておらず広場のようになっていますが、西に接する歴史見聞館沿いに梅が並木を作っています。
二の丸跡は西側だけではなく南側にも梅が育ち、梅の花越しに銅門(あかがねもん)を見ることができます。
二の丸跡から西の天守閣に向かうと、常盤木門を潜ることになります。本丸の正門の役割を担い、城の防御のため堅固に作られた門の周囲を紅梅が柔らかに包み込んでいます。
常盤木門から南の御茶壺曲輪に向かう園路の両側にも梅が季節の彩りを見せています。
小田原の歴史を伝える天守閣の展示
常盤木門を潜って西に進むと本丸広場が広がります。広場越しに3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓が繋がる複合式天守閣が堂々とした姿を見せます。天守閣内では、甲冑、刀剣、絵図、古文書など小田原の歴史を伝える資料が数多く展示されます。海抜約60メートルの最上階からは相模湾を一望することができます。
小田原戦国武将の茶漬け丼
天守閣の下の本丸茶屋・売店では、土産を買い求めることができるばかりでなく、ご当地グルメを味わうことができます。小田原戦国武将の茶漬け丼をイメージした「小田原丼」は1日10食限定です。茶飯のおにぎりに鰹の一番だしを使ったお茶漬け丼で、だしの中にネギやミョウガがトッピングされています。おにぎりの上に乗る幻の「杉田梅」で、クエン酸たっぷりの健康食品です。
神奈川県小田原市は、戦国時代に北条氏が梅の実を兵糧用として利用したため、城下で梅の栽培が盛んに行われました。小田原城址公園でも、二の丸、常盤木門、銅門の周辺で数多くの梅が植栽され、例年2月中旬から3月上旬には初春の香りが漂います。