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なぜ踊りながら念仏を唱えるの?800年前の秘儀、京都・空也踊躍念仏を堪能する

更新日:2023/8/15 稲村 行真
なぜ踊りながら念仏を唱えるの?800年前の秘儀、京都・空也踊躍念仏を堪能する

800年間、秘儀として公開されてこなかった空也踊躍念仏。現在は京都の六波羅蜜寺にて、毎年年末にその姿を拝むことができる。この念仏は、念仏を唱えながら踊るという珍しい形式である。それだけでなく、近年ユネスコの無形文化遺産になった風流踊(ふりゅうおどり)の成立にも大きな影響を与えたと言われている。

今年この踊躍念仏が行われたのは12月13日~31日の期間。今回は実際に現地で20日にこの踊りを拝見した様子をお届けするとともに、その踊りの特徴や感じたことについてお伝えしたい。

岩手・しし踊りと空也のリンク!踊躍念仏に興味を持ったきっかけ

取材のレポートに入る前に、僕が「空也踊躍念仏」に興味を持ったきっかけに触れておきたい。以前岩手県のしし踊りを取材している際に、その起源が平安中期の僧侶である空也まで遡れるとする文献と出会った。空也は六斎念仏・踊念仏の祖と言われており、仏教修行をしていた時、鹿がその情を慰めてくれたというエピソードがある。しかしその鹿が平貞盛によって射殺されてしまい、それを哀れんだ空也は鹿の皮を衣とし、角を杖の頭に取り付けて愛用したという伝説が伝わっている。

これが鹿を供養するしし踊りの考え方にも結びついたとも言われているそうだ(北上・みちのく芸能まつり実行委員会『炎の伝承:”北上・みちのく芸能まつり”の軌跡』1999年)。オマツリジャパンの参考記事「しし踊りの由来とは?獅子舞や権現舞と似ているようで違うその背景」にも以前そのことを書かせていただいた。

風流踊と芸能に与えた影響

しし踊りだけではない。芸能史における空也の功績は大きく、山上の寺院堂内で行われていた念仏修行を京都のまちなかの民衆の間に持ち込んで大衆化させ、それが日本全国へと波及して行く流れにも繋がった。

これが後々、日本人としては非常に身近な盆踊りや風流踊にも影響を与えることにもなる。風流踊が最近、ユネスコの無形文化遺産に登録されたことで記憶にも新しい。風流踊といえば、雨乞踊、虫送り、太鼓踊、剣舞(けんばい)、奴踊、花笠踊、祭礼囃子、三匹獅子舞など数多くの芸能が含まれる。

空也が全国の芸能に与えた影響は計り知れず、その空也が始めた踊りを継承すると言われる大元の六波羅蜜寺で行われる空也踊躍念仏を見てみたいと思ったのだ。

六波羅蜜寺の一角に貼られた空也上人立像の写真。教科書で見た方も多いだろう。六波羅蜜寺の宝物収蔵庫「令和館」で公開されているが、写真撮影は禁止されている。

800年の秘儀「空也踊躍念仏」をこの目で見る!

それでは早速、踊躍念仏を拝見した当日の様子を振り返っていこう。

六波羅蜜寺の入り口にはもう、初詣の看板。年末であることを実感する。その横には六波羅蜜寺の由来に関して詳しい解説が書かれた立て札がある。平安時代中期である951(天暦5)年、空也上人が病気平癒のために開創し、西国三十三所観音霊場の1つとして、信仰を集めてきたそうだ。源平合戦の際には平家の邸宅があり、後に源氏の六波羅探題が置かれるなど、重要な拠点として歴史の表舞台に登場したこともある。

こちらが、踊躍念仏の舞台となる京都市の六波羅蜜寺・本堂の様子だ。赤を基調としたとても堂々とした建物である。

広々と堂々としたこちらの本堂で踊躍念仏は行われる。履物を脱ぎ中に入ると、目の前には金色に輝く美しい空間が広がっていた。

長い間、御念仏弾圧の歴史があり、それが秘儀となっているからであろうか。本堂内で撮影は禁止となっていたため、ここからは文章メインで当日の様子をお伝えしたい。

空也踊躍念仏が「かくれ念仏」だった背景とは?

踊躍念仏が始まる前に、住職の方からその解説があった。一部をここで紹介させていただきたい。

「平安時代、病の床につくとそれは死を意味するくらい深刻なものでした。そこで空也上人もなんとかせないかんということで、仏の教えにより安らぎを与えられたらと考えました。

そこで、優しく仏教を説かれたのです。現在ではgoogleで仏教と入れたら何千万件と検索結果が出てくると思いますが、この当時は文字を読める人がいないわけですから、空也上人は口で仏様の教えを伝えて回りました。ある学者によると、その行為がなければ、日本の仏教の広がり方が遅れたのではないかとも言われています。

ところが13世紀(鎌倉時代)、あまりにもこの念仏が広まり過ぎて、それを脅威と思った為政者の手によって禁止になってしまったのです。念仏の祖である空也上人が作られたお寺ですから、念仏を全く辞めてしまうわけにはいかない。そこで、ひっそりとこの念仏を継承していくことになったのです。

それがなんと鎌倉時代から1978(昭和53)年まで、800年間、ずっとお堂の中で行われてきました。ここにいる皆さん、縁あってお参りいただけるということですが、時間は鎌倉時代に遡ってお参りいただくことになります。

罪業消滅(ざいごうしょうめつ)と言いまして、一年の中で他人に迷惑をかけたことは1つや2つあるのではないでしょうか。そういった一年の反省を込めて行う御念仏であり、新しい良い年が来ることをお祈りするのです。」

本堂前に灯されていた蝋燭

800年前から長い間、秘儀とされてきた踊躍念仏。公開されたきっかけは、重要無形民俗文化財への指定だったようだ。今はこのような貴重な行事を気軽に拝見できるのだから、贅沢である。

空也踊躍念仏の本番、800年前に時代を遡る

住職の方から解説が行われたのち、荘厳な雰囲気の中で踊躍念仏が始まった。ただ念仏が唱えられるわけではなく、「踊る」というのも重要な要素だ。念仏を唱えながら踊る姿を拝見する機会は、現代ではそう多くない。頭を前後に大きく揺らし鉦を叩く様は、まるで人々を異界へ導く儀式のようにも感じられた

また、踊躍念仏の特徴として、唱和の時に「南無阿弥陀仏」という言葉は一言も出てこない。唱えるのは「モーダーナンマイトー」のみである。これも弾圧されていた際の名残で、「ナムアミダブツ」とわからないように発音しているのだ。この言葉を参拝者も一緒に唱える場面があった。

この念仏は鎌倉時代には弾圧を受けていたため、「かくれ念仏」としていつでも中断して撤収できるよう、決められた終わりが定められていない。実際、念仏を普通に唱えていた僧侶が、途中で急に扉をあけて裏の方へ早足で入ってしまうような場面もあった。六波羅蜜寺の公式Youtubeには踊躍念仏の動画が掲載されているので、ぜひ参考にしていただきたい。

御念仏が終わると、参拝者は線香を供えて祈りを捧げ、お守りをいただくことができた。

ただ念仏を拝見するだけではなく、参拝者も一緒にその念仏を唱えたり線香を供えたりと、参加型の念仏であることもとても興味深かった。

踊躍念仏から感じる恒久的なロマン

疫病が流行するのは、この踊躍念仏が生まれた平安時代だけの話ではない。近年の新型コロナウイルスだって疫病の一種である。しかし、科学が発達した現代において、平安時代のようにひたすら祈りを捧げるために大きな声を出して踊るという人は少なくなった。むしろ「飛沫感染防止」などという名目で人々はマスクを着用し、外すときも大声を出すことはない。黙食などが当たり前になっている。

疫病への対処方法を考えると、その手法は時代ごとに全く異なっている。しかし、踊躍念仏に関して言えば、そのような社会の常識が変化したとしても、所作だけは変わらず受け継がれている。だから「800年間タイムスリップする」ということに、恒久的なロマンを感じずにはいられない。もしかすると踊躍念仏は体を動かすことで鬱々とした人々が明るくなるという、踊りの本質的な素晴らしさを私たちに教えてくれているのかもしれない。

◯空也踊躍念仏の詳細
日程:2022年12月13日(火)~31日(土)※31日は非公開のため、参加不可。
時間:16:00開始
場所:六波羅蜜寺(京都府京都市東山区轆轤町81-1)
詳細は六波羅蜜寺HPをご覧ください。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
日本全国500件以上の獅子舞を取材してきました。民俗芸能に関する執筆、研究、作品制作等を行っています。

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