皆さんは相模国府祭をご存じでしょうか?
相模国府祭は神奈川県中郡大磯町にて毎年5月5日に執り行われる相模国第一の大祭です。
2023年は実に4年ぶりに5月5日に通常開催され、神揃山や大矢場の神事、神輿渡御が復活します。
全国的にはそれほど知名度は高くないものの1000年以上の歴史を持つ日本屈指のお祭りとして神奈川県の無形民俗文化財にも指定されております。
中でも座問答をはじめとする平安時代から続く神事は全国的にも大変珍しく、その様子を一目見ようと県内外から多くのお客様が訪れます。
ただ、地域色の強いローカルなお祭りのため、初めて行かれる方は戸惑うことが多いのも事実です。
この記事では見どころや混雑状況に加え、はじめて参加される方が抑えておくべきポイントを徹底解説しております。
是非、最後までお付き合いください。
(以下2020年開催のレポートです。2023年5月2日編集部更新)
相模国府祭とは
相模国府祭は相模国、現在の神奈川県の国府祭です。
平安時代に格付けされた神奈川県西部の上位四社にあたる
・寒川町の一ノ宮寒川(さむかわ)神社
・二宮町の二ノ宮川匂(かわわ)神社
・伊勢原市の三ノ宮比々多(ひびた)神社
・平塚市の四ノ宮前鳥(さきとり)神社
に五ノ宮格として平塚市の平塚八幡宮を加えた五つの神社と相模国総社である六所神社が近隣の神揃山(かみそりやま)と大矢場(おおやば)に集い、国家安泰、五穀豊穣、諸産業の繁栄を祈念する祭典です。
別名、端午祭や天下祭とも呼ばれています。
国府祭の起源と相模国府祭
相模国府祭の起源は平安時代の国司が任国で執り行った参詣にあります。
645年の大化の改新以降、地方統治のために京の都から国司と呼ばれる役人がそれぞれの任国に派遣されるようになりました。
一般的に国司制度と呼ばれるものです。
当時、国の行政長である国司には任国各地の神社に赴き、天下泰平と五穀豊穣を祈念する神排(じんぱい)という重要なお務めがありました。
この神社を回る順番によって、(一ノ宮)、(二ノ宮)、(三ノ宮)と格付けがなされています。
しかし、いくら国内とはいえ遠方の神社への神排ともなると大変な日数と人員を要し、国司の負担が大きいことは明らかでした。
そこで考えられたのが、総社という制度です。
国府のそばに総社と呼ばれる神社を造り、そこに各社の御霊を分祀することでお務めを一カ所で済ませられるのではないかと言う結論に至りました。
これが国府祭の始まりと言われています。
こうのまち
国府祭と書いて「こうのまち」と呼びます。
これは当時の人が国府のことを「コウ」、祭りのことを「マチ」と呼んでいたことが由来です。国府の祭で「こうのまち」という訳です。
かつては全国各地の国府にて国府祭が行われていました。
しかし、鎌倉時代に入り、源頼朝が政治上の理由で国司制度を廃止した事で国司が執り行う国府祭も急速に廃れていきました。
源頼朝は国司制度を廃止したものの国府祭が持つ影響力は幕府に必要と考え、鎌倉近辺に位置する相模国(現在の神奈川県)、武蔵国(現在の埼玉県)、安房国(現在の千葉県)の三カ国のみ政治と切り離し、祭行事として国府祭を続けることを認めました。
特に相模国は鎌倉幕府の有力御家人である北条氏の任国であったことも幸いし、その後の小田原北条氏、徳川幕府からも庇護を受けてきた歴史があります。
この三カ国では現在でも国府祭が引き継がれており、今回ご紹介する相模国府祭のほかにも
・東京都府中市にある大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)の「くらやみ祭」
・千葉県館山市にある鶴谷八幡宮の「八幡祭」(やわたんまち)
などがあります。
しかし、現在も「こうのまち」というかつての名称を引き継いでいるのは相模国府祭のみとなってしまいました。
その希少性故に昭和53年(1978年)6月23日に神奈川県の無形民俗文化財に指定されています。
現地レポート
今回、私は総社である六所神社のお神輿に従事し、取材させていただきました。
AM8:00 (六所神社)↓
受付を済ませ、境内に入ると立派な注連縄の社殿が見えてきました。
会場内は至って静かで、如何にも祭の前の静けさと言った印象。
各々が自分の役割を淡々と進め、会場全体が神聖な雰囲気に包まれています。
祭というと派手な一面ばかりが取り上げられますが、このような神事の前の静けさほどその祭の伝統を感じる瞬間はありません。
取材は準備の妨げにならないよう細心の注意を払って行いますが、なんだかいつもこの状況を楽しんでいる自分がいます。(笑)
法被を着ている実行委員の方々が会場のセッティングを進める中、一足先に子供達がお囃子に乗り込み、大矢場へと出発します。↓
この間、総社以外の五社は自社から神輿渡御を行い、神揃山を目指していますが、総社は直接大矢場へ向かうため神輿の準備をこれから行います。
こちらが装飾前の神輿です。↓
関東のお祭りということで鳳凰の尾が上から下へと伸びているのが特徴ではないでしょうか。四方には小鳥が据えられ、中央の屋根紋が存在感を放ちます。
用意された装飾品の数々。↓
取り付け作業を行う大人たち。↓
法被のデザインは自分の所属を示しています。
大体のお祭りの場合、地区の神輿はその地区の人たちで準備することが多いので、法被の色も自然と揃うことになる訳です。
この色とりどりの準備風景は総社ならではの珍しいものかもしれませんね。
手元のアップ。↓
鳥居に丁寧に結び付けられ、胴周りの装飾が完成。↓
蕨手に飾り紐を結びつけます。↓
お神輿の装飾の中でも一番難しいとされている飾り紐ですが、お兄さんの手にかかればあっと言う間でした。
他のお祭りを見ていてもこの飾り紐がすんなり回せるかが勝負の分かれ目のような気がします。
一年に一回な上に役員も交代する訳ですから、しっかり取り付けられる人は貴重な存在です。
屋根に登り、鳳凰の装飾を行う。↓
狛犬や細部を磨き上げる。↓
完成です。↓
AM10:00
次第に役員や招待客の方々が集まりだし、挨拶回りが行われ始めます。↓
神事の開始に伴い、整列する巫女さん。↓
神事の様子。↓
六所神社での神事が終わり次第、座問答が行われる神揃山の斎場に向かいます。↓
神揃山に到着すると続々と五社の神輿が頂上目指して集合してきました。↓
三ノ宮比々多神社の神輿渡御。↓
当時、比々多神社から神揃山までの道のりは道無き道だったこともあり、畑があろうが川があろうが気にせず直線上に突っ切って進んでいたらしいです。
道中色々なところにわざとぶつかりながら荒々しく進む姿から「暴れ神輿」と呼ばれ、暴れ神輿に踏み荒らされた畑は豊作になると言われていました。
通称:「暴れ神輿」国府祭名物のひとつ。↓
「ヤートーサーセー!ヨイトコラサーセー!」という掛け声に合わせて神輿を左右に振り回します。
ときには地面スレスレまで傾け、倒れることも…
その度に会場では歓声が沸き起こり、担ぎ手の皆さんも張り切っちゃいます。(笑)
毎年四月に行われている比々多神社の例大祭はこれよりも数段過激な暴れ方をするので、興味がある方は是非そちらもチェックしてみてください。
チマキ撒き
比々多神社の社人が小餅の入った俵を頭上から地面に叩き落とし、破れた俵の中から取り出した小餅を参集の人々に振る舞う行事です。
1300年以上の歴史を誇り、この小餅を口にすると無病息災家内安全のご利益があります。
五社のお神輿は頂上に着き次第、それぞれの場所に納められ、いよいよ神事が開始されます。
PM12:00(神揃山)↓
座問答を一目見ようと県内外から大勢の観客が詰めかけ、会場は大にぎわい。
最前列に座られている方は2時間ほど前から待機しているようなので、近くでご覧になられたい方は少し早めに会場入りしていた方が良いかもしれません。
座問答
神揃山の頂上で執り行われる相模国府祭を代表する神事です。
大化の改新以前、今の大磯より東に相武(さがむ)の国があり、西には磯長(しなが)という国がありました。
この二つの国の合併によって相模国が成立したと言われています。
相武の最も大きな神社が寒川神社、磯長の最も大きな神社が川匂神社であったことから両国の合併にあたりどちらが相模国で一番大きな神社であるか決めることとなり、論争が起こりました。
当時、国司の神排はその国の最も大きな神社から参拝する必要があり、氏子にとってこの順位争いは極めて重要なことでした。
そこで比々多神社の宮司が前鳥神社と八幡宮の宮司と相談し、仲裁に入ることで円満に解決したそうです。
この論争の様子が儀式化され、「座問答」という神事となりました。
各神社は神の依代である自社の鉾を携え、注連縄内正面に突き立てる。↓
全ての鉾が並び立つと五社の宮司が後方に参列し、準備が整う。↓
寒川神社、川匂神社の代表が虎の皮を押し進める。↓
かつて、虎の皮は高貴な人の座として用いられたことから、高い格式を表すものとして重宝されてきました。
この場合、斎場に置かれた虎の皮は神座を意味しています。
虎の皮を同じ位置より上位に進めることは「当神社が相模国一の神社である」、即ち一ノ宮であるということを無言で表しており、また次にそれより上位に押し進めることは「いやいや、当神社こそが一ノ宮である」ということを表しています。
これを三度繰り返すことで長い論争があったことを表現しています。↓
その後、比々多神社の宮司が仲裁に入り、「いずれ明年(みょうねん)まで」という言葉で解決されます。↓
これにて座問答は終了です。
大矢場
一連の神事を終えると一同は神揃山を下り、大矢場を目指します。↓
道中、様々な露店が軒を連ねます。
神揃山から大矢場までは容易に行き来することが出来る距離のため、お子様連れの方も安心です。
大矢場には各神社のお囃子が並べられ、演奏や踊りが披露されておりました。↓
市指定重要文化財に指定されている前鳥囃子。↓
前鳥囃子の特徴は里神楽と呼ばれる仮面をつけた舞踊にあります。
祭囃子自体は他の地域でも披露されていますが、曲目だけのものが多く、里神楽とセットで残っている前鳥神楽は大変貴重です。
その他、大矢場では様々な催し物が開催されておりますが、一番の目玉はなんと言っても「鷺の舞」ではないでしょうか。
鷺の舞
鷺の舞とは?
鷺の舞の起源は平安朝の貴族が酒宴などで披露した歓送迎の舞だと言われています。
庭先の池に船を浮かべて舞うことから鷺の舞と呼ばれ、大磯には国司によって伝えられました。
会場となる大矢場には(高さ七尺・長さ一二尺・幅九尺)の船形舞台が設置され、六所神社のお神輿が到着すると鷺の舞が奉納されます。
船形舞台で披露される鷺の舞は大変貴重なもので今は大磯の中井町でしか見ることが出来ないため神奈川県無形文化財に指定されております。
舞には鷺の舞・龍の舞・獅子の舞の3種類があります。鷺の舞は天下泰平、龍の舞は五穀豊穣、獅子の舞は災厄消除を祈願するものです。
鷺の舞(天下泰平)↓
龍の舞(五穀豊穣)↓
獅子の舞(災厄消除)↓
国府祭では全2回奉納されます。
1回目は総社のお神輿が大矢場に到着し、式典が行われる14時40分頃です。
2回目は五社のお神輿が大矢場に揃い、式典が行われる15時30分頃になります。
お神輿の紹介
2019年は二ノ宮川匂神社と五ノ宮格平塚八幡宮が大神輿、その他は白木神輿といった構成になります。
一ノ宮寒川神社のお神輿。↓
二ノ宮川匂神社のお神輿。↓
三ノ宮比々多神社のお神輿。↓
四ノ宮前鳥神社のお神輿。↓
五ノ宮格平塚八幡宮のお神輿。↓
以上、五社のお神輿が神揃山の斎場から大矢場に向かうのに対して、六所神社のお神輿は自社から直接大矢場に向かいます。↓
「ヘイ!ソーリャー!ドッコイ!ソーリャー!」↓
全ての神社が到着すると各神社の分霊である「守公神」が六所神社の仮宮に納められます。↓
これにて一通りの神事が終了です。↓
「それでは皆さま御手を拝借!」
いよーお、パン!
現地レポートは以上になります。
まとめ
いかがだったでしょうか。
座問答や鷺の舞、どれをとってもここでしか観られないものばかりです。
1000年続く伝統を肌身で感じ、過ごす1日はきっと刺激的な1日になります。
是非一度、相模国府祭に足を運んでみて下さい。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
2023年開催概要
開催日時:毎年5月5日
開催場所:六所神社、神揃山、馬場公園
アクセス:JR東海道本線「大磯駅」から43番・47番のバス「国府新宿」~徒歩5分