2021年1月10日(日)に東京都日野市で開催された三角万願寺のどんど焼きに参加して来ました。どんど焼きは、農村文化と深く結びついており、田んぼの中等で、正月飾りや書き初め、だるまやお守りを燃やし無病息災を願います。その炎で、まゆ玉を焼いて食べるのが恒例となっており、甘酒がふるまわれたりする等、地域によって若干の違いが見られる部分もあります。 東京では、立川市~日野市近辺で現在でも盛んに行われており、今回は新型コロナ禍ではありますが三角万願寺付近で行われた、縮小どんど焼きについてレポートいたします。
どんど焼きについて
江戸に幕府が置かれる前から、用水路を整備し「多摩の米倉」とも呼ばれるほどの稲作地帯だった日野。小正月になると、サイノカミを祀り、旧年の災いを払い、これから一年の平穏と農作物の豊作を願って燃やす、どんど焼きが行われて来ました。
サイノカミとは、道祖神の地域ごとの異なる呼び名ですが、疫病等の厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻に祀られている民間信仰の石碑・石像等の石仏であります。中国で紀元前から祀られていた道の神「道祖」と、日本古来の邪悪をさえぎる「みちの神」が融合したものとも考えられているそうです。
現在、日野市では、殆どの田んぼが住宅化された今も十数カ所の会場で、小正月を中心とした土・日に、どんど焼きが行われます。地区ごとに昔から続く違う風習も残されていて、少し昔の日野へタイムスリップすることが出来、区部から日野エリアまでのんびりと電車に乗り、小旅行気分で、そんなどんど焼きを体験し楽しむことが出来ます。
三角万願寺地域について
かつては街道の宿場町「日野宿」が設置されており、甲州街道の農業を中心とした宿場町として繁栄して来ました。そして何と言っても、新選組の副長として活躍した土方歳三や六番組隊長の井上源三郎の出身地であり、地域を上げて「新撰組のふるさと日野」と盛り上がっております。
また江戸の将棋を指す人々が「王手は日野の万願寺」と言うことがあるそうですが、貞享以前、甲州道中は日野の渡しより下流の万願寺の渡しで多摩川を渡りました。かつての渡しは軍事的に大きな役割を持っており、万願寺の渡しも江戸城防備の役割を担っていました。大正15年に日野橋の開通により300年近くに渡る、渡りは役割を終えたと言われています。
新撰組のふるさと日野 http://makoto.shinsenhino.com/archives/place/050410195147.php
大手は日野の万願寺 http://shinsenhino.com/archives/weekly/120828221420.php
会場はどんな感じだった?
京王線の高幡不動駅から会場の万願寺歩道橋まで徒歩で行きました。
畑や川等もあり、自然に囲まれ落ち着いた雰囲気の中、散歩を楽しむことが出来ます。
新型コロナの影響で、縮小された部分もあったようですが、地元の皆さんを中心に、組まれたやぐらの点火を待っています。
有事に備え、消防の方が準備を行っています。
点火され、炎や煙がモクモクと上がっていきます。
消防の方も火の粉の引火や灰の飛散に備えてか、散水しておりました。
受付付近からの様子です。かなりの部分が燃えて来ております。
遂にやぐらが崩れた様子。先っぽ部分の赤いダルマと緑の葉っぱ部分だけが少し残っております。
遂に残りの部分にも引火し、燃え上がり黒くなっていきます。
これをもって、どんど焼きも終了と言った具合です。
三角万願寺どんど焼きに参加して
日野市の落ち着いた雰囲気の中、新型コロナ禍ではありましたが、どんど焼きを楽しむことが出来ました。会場の後ろでは、北海道スイーツの販売も行われており、長蛇の列が出来ておりました。ライターも最初並んでいたのですが、どんど焼きがはじまってしまいそうだったので離脱してしまい、終わって戻ってくる頃には写真のような状況でした笑
日野市観光協会で積極的に、どんど焼きの情報を発信しております。また日野市郷土資料館では毎年この昔からの風習を今に伝える「どんど焼き」を行っています。来年は新型コロナも収束しているでしょうから、是非皆様も高幡不動尊の初詣や新撰組ゆかりの地巡り等とあわせて参加してみて下さい。今年は10月に映画『燃えよ剣』もあるので、新型コロナ収束と新撰組ブームで日野市はすごいことになるかもしれませんね。
日野市観光協会 http://shinsenhino.com/archives/info/210105103331.php
燃えよ剣 https://moeyoken-movie.com/