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千葉県香取市「佐原の大祭」は秋もスゴい!諏訪神社秋祭りで日本三大囃子に大人形山車を堪能!

2023/10/10
2024/5/21
千葉県香取市「佐原の大祭」は秋もスゴい!諏訪神社秋祭りで日本三大囃子に大人形山車を堪能!

千葉県香取市で毎年秋に「佐原の大祭秋祭り」が開催されます。

日本三大囃子「佐原囃子」と勇壮な人形山車で知られるこの祭。この記事では、3年に一度の神事も行われた2022年の現地レポートをお届けします!

2022年佐原の大祭秋祭りをレポート

ユネスコ無形文化遺産に登録されている千葉県香取市佐原のお祭り、「佐原の大祭」。その秋祭りが2022年10月7日から9日の3日間にわたって開催されました。その2日目は、高さ7メートルにもおよぶ山車13台の運行、3年に一度の年番引継行事など、見どころが盛りだくさんの1日に。その様子をレポートします。

「佐原の大祭」とは7月に行われる夏祭りと10月の秋祭りの総称。夏祭りは小野川を挟んで東側の本宿・八坂神社、秋祭りは西側の新宿・諏訪神社の祭礼として行われます。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて2020年、2021年はともに中止となっていましたが、2022年はどちらも無事開催することができました。

じつに3年ぶりとなった秋祭り、初日の7日は雨が降り続いたものの、中日の8日は朝から穏やかな曇り。遠くの空には晴れ間も見えます。雨天時には山車が半透明のビニールで覆われてしまいますが、今日はその心配もなさそうです。

この日は、朝から各町の山車の乱曳き(思い思いのルートを運行すること)が行われました。最初に見えたのは、神武天皇(じんむてんのう)の大人形を乗せた仲川岸の山車。仲川岸は今年、祭りを取り仕切る幣台年番の3年間の任期を終え、その役目を下川岸へと引き継ぎます。過去2年が中止となったため、幣台年番として仲川岸が秋祭りを開催するのは今回が最初で最後。それだけに参加者も気合いが入ります。今は出発に向けて、山車にしめ縄をつけているところ。準備を行っていたのは踏切の目の前だったため、観光客は電車と山車の2ショットを撮ろうとカメラを構えていました。

近くでは上宿の山車も準備中。飾り物の大人形は、今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で俳優・菅田将暉が演じた源義経。法被にねじり鉢巻の青年が山車にのぼり、義経の兜の緒をぎゅっと締めます。賢そうな表情に勇敢さが加わり、山車の額に書かれた「智勇」を体現するような姿です。

準備は駐車場のそばで行われていましたが、車が通るたび上宿の参加者から「通りまーす」と、きびきびとした声が上がっていたのが印象的でした。3年ぶりの祭りを成功させたい気持ちが、声に滲んでいるようです。安全に祭りを開催するために、感染対策も万全。夏祭り同様、健康確認を済ませた証明であるリストバンドやおそろいのマスクを身につけていました。

準備を終えると、いよいよ乱曳きがスタート。引き縄がしゅるしゅると伸びていき、「いち、にの、さん!」の掛け声で勢いよく山車が動きだしました。哀愁漂う佐原囃子の音色が、秋空に響き渡ります。

小野川沿いへ移動すると、さまざまな山車が曳き廻しを行っていました。佐原の大祭では、ご祝儀をいただいた時や見物客が多い時にその場で手踊りを披露します。この時はちょうど仲川岸が手踊りを披露していました。青空がのぞき、空の青と若衆が身にまとう鯉口の赤のコントラストに目を奪われます。

川の反対側からは、仁徳天皇(にんとくてんのう)を乗せた南横宿の山車がやってきました。巨大な山車は、路面のちょっとした傾斜にも大きく影響を受けます。上り坂では若衆が歯を食いしばり、下り坂では勢いがつきすぎないようにコントロールする。絶妙な技術とチームワークを間近で見ることができました。

続けて、東関戸の山車も通り掛かります。大人形は、背筋をすっと伸ばした大楠公(だいなんこう※楠木正成)。道幅の狭い小野川沿いでは観光客と山車の距離が近く、その迫力に思わず声が上がります。隣の家の屋根よりも高くそびえる大楠公を、多くの人が写真に収めていました。

屋台や出店も活気があります。特ににぎやかなのは佐原信用金庫ステージ広場で、屋台で買った食べ物や飲み物を家族や友人と楽しむ人でいっぱいでした。山車が近くに来ると女性や子どもがステージに上がって手踊りを披露することもあり、そのたびに大きな拍手が上がっていました。

近くには「のの字廻し」のスポットもあります。「の」の字を描くようにダイナミックに山車を回転させる、佐原の大祭の華とも言えるもの。山車上部の大人形が能を舞うかのように優雅に回転するのが上手とされています。この時、千葉銀行前の「のの字廻し」スポットに向かってきたのは浦嶋太郎の大人形を乗せた下新町の山車。玉手箱を小脇に抱え、亀と向き合った構図がユニークです。「昔々、浦島は、助けた亀に連れられて……」という、誰もが知っている童謡をアレンジした佐原囃子を奏でながら、まずは華やかな手踊りを披露。紺と白の法被を着て踊る女性や子どもたちの姿は、まるで海の波のようにも見えます。

手踊りを終えると、いよいよ「のの字廻し」を披露します。重さ3〜4トンの山車が廻る地響きのような音、若衆たちの掛け声下座が懸命に奏でる佐原囃子、声援。さまざまな音が重なり、この場に大きな熱狂を生み出していました。

秋祭りでは町内に6箇所の「のの字廻し」スポットが設けられていましたが、このスポット以外の見どころの一つがJR佐原駅前。秋祭りでは、電車が到着すると、歓迎する踊りを披露するのです。お昼の時間にこの「お迎え踊り」の役目を担ったのは、新橋本。駅から人が出てくると、平安時代の貴族、小野道風(おのとうふう)の大人形を乗せた山車の前で優美な手踊りを披露します。扇子を使ったり、手ぬぐいを使ったりとバリエーションも豊富。下座の奏でる音楽にあわせ、「佐原よいとこ 水の里」と歌いながら踊る姿に、観光客の多くが足を止めていました。

近くのセブンイレブンの駐車場では、西関戸の参加者たちがシートを広げて弁当を食べていました。広々とした駐車場に立つのは、五穀豊穣を司る神様、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の大人形。その足元で午後に向けてしっかり英気を養った参加者は、休憩を終えると再び出発します。「わっしょい、わっしょい」の掛け声も、一際大きく聞こえるようです。

家々が立ち並ぶ細い道を山車が通るのも見どころの一つ。気の向くまま大通りを外れて裏路地を歩いていると、日本武尊(やまとたけるのみこと)の大人形を掲げた北横宿が手踊りを踊っていました。若衆や女性、子どもたちが楽しそうに踊っていると、雲の切間から太陽の光が差し込みます。強い日差しは日本武尊が手にした矛を輝かせ、若衆の額に汗を滲ませていました。

さらに裏路地を進んでいくと、道がどんどん細くなっていきます。こんなに細い道は山車が通れないだろうと引き返そうとしたところ、奥から佐原囃子が聞こえてきました。そうして姿を現したのは、鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)の大人形を飾る上中宿。狭い道を抜け、別の狭い道と合流する急な曲がり角を、梃子棒役の指揮によって慎重に進んでいきます。勢いをつけすぎても危険だし、勢いがなくては重い山車が動かない。難しい舵取りは観客も息を呑む緊張感で、無事に角を曲がり切るとその場にいた人たちから拍手が上がりました。

細い道を進んでいくと、今度は源頼義の大人形を飾った下宿の山車に出会いました。隣家の塀と数センチしか隙間がないような場所を、ゆっくり、ゆっくり進んでいきます。固唾を飲んで見守っていると、源頼義の兜の輝きに目が行きました。聞けば、鎧兜や衣装は今年新調されたものだそうです。新たな兜を身につけた源頼義に恥じない運行をしようと、若衆も力を合わせます。その様子を、家の窓から住民が笑顔で眺めていました。

下宿の山車が過ぎ去ると、浦嶋太郎の人形を乗せた下新町がやってきました。ここは「茶花通り」と呼ばれるかつて割烹や料亭が立ち並んだ通りで、現在もいくつかの店が営業を続けています。わずか20分ほどの間に3台もの山車が通り抜け、往時のにぎわいがよみがえったかのようでした。

佐原の山車は、家の前を通ることで商売繁盛や家内安全などのご利益があると言われます。茶花通りを抜けたところでは、小楠公(しょうなんこう)の大人形を乗せた下分の山車が運行中。「わっしょい、わっしょい!」と威勢よく、家々の前を通り過ぎていきました。

日中の乱曳きを終えると、夕方の年番引継行事に向けて、13台の山車は佐原信用金庫の前に整列をはじめます。この時、整列に入ってきたのは上新町の諏訪大神(すわだいじん)。他の町が大人形なのに対し、上新町の飾り物は八咫鏡や旗。他とは少し趣の違った姿です。さらに他の山車も続々と集まってきて、整列をしていきます。秋祭りの山車が一堂に会した様子は圧巻で、観光客も集まってきて通りは大賑わいに。大勢の人が山車の整列を写真に収めたり、近寄って彫刻を眺めたりしていました。動いている山車も迫力がありますが、止まっている山車をじっくり観察するのも驚きや発見があります。

山車の整列が完了すると、年番引継のための神前行事が執り行われます。まずは諏訪神社の神輿の前で、宮司の方の挨拶や祝詞奏上がしめやかに行われました。氏子会会長は2019年の秋祭りが記録的な台風と重なったこと、その翌年からの新型コロナウイルスの感染拡大による中止があったことに触れ、こうして穏やかに秋祭りができることへの喜びを語りました。

続いて、3年間の任期を終える仲川岸の挨拶。「先の2年間はコロナ禍で祭りが開催できず、忸怩たる思いだった。今年もなかなか感染が収まらず危惧したが、関係各意のご理解、ご協力で無事に開催でき胸を撫で下ろしている」と、その思いを率直に語っていました。

神前行事が終わると日が暮れかかり、山車には提灯が灯っていました。夜の装いとなった山車の前で、人垣もますます大きくなっています。13台の山車に加え、現在山車が新造中のため曳き廻しを行わなかった新上川岸の住民も整列しています。

ここからはいよいよ今日のクライマックス、年番引継行事です。まず、列の先頭にいる仲川岸が「砂切」という曲を披露。次はその後ろにいる下川岸、その次は上中宿と、すべての町が順に「砂切」を演奏していきます。「通し砂切」と呼ばれる行事で、夕闇の中その音色に耳を澄ませると、ある町はうら寂しく、ある町は小気味良く、それぞれ個性があるのがわかります。

最後の町が演奏を終えると、先頭にいた仲川岸の山車が人をかき分け、最後尾へと向かいます。これをもって、仲川岸の年番は終了。役目を果たした仲川岸はそれぞれの山車におひねりを投げながら進み、他の町の中には「正年番お疲れ様でした」と書かれた幕を掲げている山車もありました。

仲川岸が最後尾に到着すると、新たな年番となった下川岸を先頭に、忠敬橋へと向かいます。下川岸の飾り物は建速素盞嗚尊(たけはやすさのおのみこと)の大人形。堂々とした表情と、足元にいる龍が特徴的です。夜の川岸通りをゆっくり進み、忠敬橋へ到着すると、下川岸がくるりと交差点で向きを変えました。年番の山車が各町の山車を見送る「曳き分れ」です。次々にやってくる山車を、下川岸の連が、建速素盞嗚尊が見つめて送り出します。その山車の頭上には、まもなく満月を迎える十三夜月が輝いていました。

曳き分れを終えたあとも、それぞれの山車は町中で運行を続けます。各地で「のの字廻し」が披露され、佐原囃子が響きます。

江戸時代にはそのにぎわいから「見物の群衆、人の山をなし」(赤松宗旦)と言われたという佐原の大祭。この日もまさに見物客が人の山をなし、祭りは夜遅くまで続きました。

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