2019年10月31日未明に発生した火災によって、大部分が焼失してしまった沖縄・首里城。再発防止策や再興にあたって採用する技術や材料の検討など数々の議論を重ね、いよいよ2022年11月、正殿の建築が着工されます。
毎年10月末から11月初めには首里城祭(正殿が復元されるまでは首里城復興祭)が行われますが、今年は正殿着工の「木曳式(こびきしき)」が同時に開催される特別な年であり、琉球王国の時代から行われてきたこの祭事を目の当たりにする、またとないチャンスです。
そこでこの記事では、気になる首里城火災からの現在の復興の様子と、今年2022年の首里城復興祭と木曳式イベントの内容をご紹介。知っておくとよりお祭りが面白くなる、琉球王国と首里城の歴史も簡単にお届けします。
目次
いよいよ着工!首里城火災から復興への道
首里城といえば、2000年の沖縄サミットを記念して発行された2000円札の絵柄としても有名です。
2019年の火災では、2000円札に描かれている「守礼門」は被害を免れました。しかし、奥のエリアに位置する正殿をはじめ、北殿、南殿・番所、書院・鎖之間、黄金御殿(寄満・奥書院)、二階御殿が全焼し、奉神門などにも延焼してしまいました。
また、建屋内に展示・収蔵されていた琉球王国時代からの絵画や工芸品が焼失してしまったことも大きな文化的損失となりました。
火災の原因には電気系統の不具合や故障が指摘されたこともありましたが、はっきりとは分かっていません。琉球王国時代の技術を再現した木造建築であったことや、スプリンクラーが未設置だったことなどが被害が拡大した要因だと考えられています。
火災後、沖縄県をはじめとした各部門の有識者が幾度となく話し合い、防災や再発防止策について万全の体制を構築しました。材料や技術は琉球王国時代に使われていたものをできる限り踏襲した大規模木造建築でありながらも、現代の防火基準をクリアするためには多くのハードルを越えなければならなかったでしょう。満を持して着工に至ったというわけです。
起工式は2022年11月3日に行われ、その後、正殿の建築がスタートします。正殿の完成は2026年の予定で、それまでは安全性を確保したうえで段階的に一般公開されます。正殿の完成に続いて北殿・南殿などが復元され、首里城はかつての姿を取り戻していくのです。
現在の首里城は見学できる?
現在首里城は火災の被害を免れた無料エリアのほか、日々、復興が進む有料エリアも公開されています。
2022年9月には、正殿の復元に必要な多くの木材を保管・加工する「木材倉庫・加工場」と、実物大の図面を描く「原寸場」が完成しました。原寸場前に設けられた見学エリアでは、職人たちの伝統の技を見ることができ、復元工程がパネル展示や映像で解説されています。
また、正殿に取り付けられていた獅子瓦や石彫刻などの焼け残った物を復興展示室で見ることができたり、延焼が及んだ建屋も休憩室やミュージアムショップとして活用されていたりと、火災前とはまた異なる目線で首里城が見学できるのも、今ならではといえるでしょう。
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首里城は標高120~130メートルの小高い丘の上に位置しており、那覇や浦添方面、慶良間諸島まで見渡せるその高台は王府にふさわしい神聖な場所でした。
今もこの絶景は十分に堪能できるので、復元前の現在も首里城は沖縄の人気スポットの一つとなっています。
2022年の首里城復興祭の内容は?
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ここ数年は中止かオンライン開催だった首里城復興祭。2022年はいよいよ、10月29日(土)~11月3日(木・祝)にリアルでの開催となります。
一番の目玉は、琉球王国時代の衣装に身を包んだ人々が繰り広げる時代絵巻でしょう。鮮やかな装束の国王・王妃は10月29日と30日に各日4回ずつ、奉神門の前に登場します。
また、国王が国家の安寧と五穀豊穣を祈願するために行った「三ヶ寺参詣行幸」を再現する「古式行列」は、11月3日の12:00より奉神門から守礼門の間を練り歩きます。
さらに、下之御庭では琉球舞踊などの琉球芸能が披露され、金蔵では、国王と王妃が外出の際に乗っていた乗り物「御轎(うちゅう)」への乗車体験ができるなど、沖縄の文化、歴史を存分に味わえるイベントです。
そして今年は、木曳式の「木遣(きやり)行列」がやってくるゴール地点となる首里城。11月3日の11:00から首里杜館の芝生広場では、獅子舞や首里音頭(舞踊)、旗頭などの地域芸能が披露され、木遣行列を出迎えます。
他にも三線体験会、正殿ぬり絵やペーパークラフト体験など大人も子どもも楽しめる催しが盛りだくさん。詳しくは、首里城復興祭の案内ページでご確認ください。
またとない機会を見逃すな!木曳式とは?
木曳式とは、読んで字のごとく「木を引(曳)いてくる式」のことをいいます。首里城の造営や修復のための御材木を運んでくる際に行われる祭礼であり、琉球王国時代から行われてきた由緒正しい儀式です。
神聖なる首里城のために使う木材の運搬はもちろん重要ですが、木曳式には琉球王国の人々の特別な想いが込められていたと考えられています。
首里城の再建 起工式は11月3日 伝統の祭事「木曳式」も | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス #okinawa #沖縄 https://t.co/74CwGulBsl
— 沖縄タイムス (@theokinawatimes) October 15, 2022
沖縄は高温多湿の気候風土や台風の通り道であることから、本土のような林業は成立しません。民家の用材には、湿気と虫害につよいチャーギ(イヌマキ)や、イーク(モッコク)、ヒノキ、スギ、シイ、イジュなどが用いられますが、これらは非常に貴重で、琉球王国は慢性的な木材不足に悩まされていました。
森林の温存のため、木の伐採や使用を厳しく規制していたほどで、木材を使って家を建てられたのは貴族や富裕層のみであり、大半の住民は枝葉を重ね合わせた掘っ建て小屋に住んでいたといいます。
そんななか、首里城建造のため大きな丸太が切り出され、船で港に運ばれ、そこから首里城まで大人数で曳いていく様子は、当時の琉球王国の人々の目には特別で神聖なものに映ったはずです。
平成の木曳式と、令和の木曳式の内容
木曳式は首里城建設のときにしか行われないため、前回見られたのは平成元年(1989年)に始まった首里城復元工事のときでした。つまり、大規模工事が行われない限り木曳式を見る機会はほぼないといってよいでしょう。それほど貴重な機会なのです。
平成の復元工事に際して行われた「木曳式」の様子は、下記の動画を見ると分かります。
その昔、国頭の奥間集落の人たちが木材を運ぶときに歌った木遣歌は、やがて祭礼の歌として、「国頭(くんじゃん)さばくい」という伝統芸能として継承されています。
平成の木曳式のときにも歌われましたが、今年の令和の木曳式でも10月29日の10:00から国頭村の森林公園で行われる「国頭フェスティバル」の中で、国頭村で調達した御材木とともに披露される予定です。
「国頭さばくい」の碑
琉球王朝時代 この地の
山々から伐り出された木々が
首里城の改修に使われた
そうです国頭村 奥間
道の駅「ゆいゆい国頭」の隣 pic.twitter.com/UvXGYczMNo— やんばるおじさん (@jgN7tEQ3Y6CuUL0) December 11, 2019
王国時代は御材木は船で泊港や与那原の港へ運ばれました。平成の復元ではそれにならい、木材を載せた船ごとトレーラーに載せて陸路を運ぶパレードを実施。首里中学校生徒が材木の曳き手を担ったり、楽隊の演奏や伝統芸能が披露されるなど大変なにぎわいでした。
今回行われる令和の木曳式では、低床トレーラーに御材木を載せ、国頭村から那覇へと陸送する「木曳パレード」が行われます。途中、数か所の立寄り所ではお出迎えの演舞や展示を実施。特に10月30日12:30から那覇市国際通りでは「那覇フェスティバル」と題し、伝統芸能演舞を中心とした盛大なイベントが開催されます。
そしてクライマックスは、11月3日9:00から行われる「木遣行列」です。往時の木遣を再現し、役割ごとに衣装を着た大勢の参加者が、中山門跡から守礼門までの綾門大道を御材木と一緒に行進します。同時に、首里の旗頭団体による旗頭演舞もお披露目され、ゴールの首里城では、芝生広場で獅子舞などが演舞で出迎えてくれる予定です。
なお、令和の木曳式ではイベントのLIVE配信も行われます。最新情報や詳しいスケジュールなども含め、特設サイトでご確認ください。
そもそも首里城とは?琉球王国の歴史もおさらい
琉球王国は15世紀~19世紀にわたり琉球諸島を支配した王国でした。
この地域では古くから、城壁で囲まれた「グスク(城)」を持つ小さな集落が複数形成されてきましたが、これを統一して首里城を整備したのが琉球王国の初代王である尚 巴志(しょう はし)です。
王は自らの弟を中国へ派遣し、中国との交易を開始するとともに、ジャワやマラッカなどとも積極的に交流を深め、海洋国家として成長していきます。
一方で、1609年の薩摩藩による琉球侵攻に破れ、王国は首里城を開城。このときから琉球王国は日本の実質統治下に置かれることになりました。その後も琉球王国は独自の文化を守り、国としての体裁を維持し続けましたが、明治政府が行った廃藩置県によって明治12年(1879年)、琉球藩が廃止され沖縄県が設置されたことにより終焉を迎えます。
実は焼失は5回目?首里城の歴史
首里城には、琉球王国の行政府がおかれていました。中国の紫禁城をベースに、日本の建築様式なども取り入れて作られた独特の雰囲気が特徴です。正殿前の広い御庭(ウナー)などは、紫禁城そっくりですね。
首里城は琉球王国の政治が行われる場所であると同時に、王族の住まいや、宗教儀式を行う聖地、文化・芸能の中心地でもありました。
そんな首里城ですが、2019年の火災以前にも焼失したことがあります。
一度目は1453年。琉球王国の王位争いが原因でした。その後も江戸時代に二回火災が起こり、そのたびに首里城は復元されています。ちなみに、これから建築される首里城は三度目に復元された形がベースになっているのだそうです。
四度目は太平洋戦争の沖縄線に巻き込まれ焼失してしまいます。首里城は日本陸軍総司令部が置かれていたことから、周辺地域や重要な文化財も数多く失われました。
戦後、琉球大学の校舎として使用された時期もありましたが、1990年に本格的に復元されます。本来の首里城の姿を記憶している人や技術者はだいぶ少なくなっていたので、復元には苦労しましたが、旧来の遺構を使ってできる限り忠実に再現されました。
そして2000年には、首里城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、ほかの8つの遺産とともに世界文化遺産に登録されています。国内では「日本100名城」の一つにも選ばれています。
2019年の火災で五度目の焼失となってしまった首里城ですが、沖縄の人々の想いとともに再び美しい姿で蘇ってほしいですね。
琉球王国の歴史と文化を感じるなら、今年は絶好のチャンス!
琉球王朝が治める国として、近世まで本土とは異なる歴史を歩んできた沖縄。
日本の文化も取り入れながら、はるか海の向こうを見据えて生きてきた琉球王国の人々の歴史には大変興味深いものがあります。首里城祭、首里城復興祭には、そんな琉球王国の歴史と文化を感じられるイベントが盛りだくさんです。
そして、首里城は琉球王国の歴史を今につなぐ大切な文化遺産であると同時に、沖縄県民の心のよりどころでもあります。今年行われる令和の木曳式の一連のイベントには、首里城が再び美しい姿を見せてくれる日を願い、たくさんの人々の熱い想いが集結することでしょう。
首里城復興祭、令和の木曳式ともに今週末、10月29日(土)から開催されます。これまでの首里城と、新しい時代の首里城の始まりを見られる唯一の機会となるかもしれません。ぜひ現地を訪れてみてはいかがでしょう。