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鹿の頭を生贄に!?長野・諏訪の御頭祭について知るために神長官守矢史料館へ

2020/9/3
2020/9/4
鹿の頭を生贄に!?長野・諏訪の御頭祭について知るために神長官守矢史料館へ

昨今、新型コロナウイルスの影響で、お祭りが開催できないご時世です。そこで、今回はお祭りについて学べる施設をご紹介します。その名は「茅野市神長官守矢史料館」。ここでは、毎年諏訪上社で開催される神事「御頭祭(おんとうさい)」に関する展示を見ることができます。私自身、実施にここを訪れてみて、この古くから続く神事を知ったことで自然に対する敬意を再確認するきっかけにもなりました。

長野県諏訪大社の御頭祭とは?

御頭祭は、諏訪上社で毎年4月15日に開催されます。別名「酉の祭」とも言われ、正式名称「大御立座(おおみたてまし)神事」です。この行事の最大の見所は、鹿の首75頭をはじめ猪の首や魚、雉などを生贄として供えるということ。近世までは、実際に生きた動物を捕らえて供えていましたが、近年は剥製を使用しているようです。それにしても、なぜこのような恐ろしい神事が行われてきたのでしょうか。詳細を知るべく、神長官守矢史料館を訪れました。

古代の御頭祭を再現!神長官守矢史料館で御頭祭の展示を見る

2020年8月30日、実際にこの史料館を訪れてきました。最寄りの茅野駅からは徒歩35分。駅からは散歩感覚で歩いてみました。途中、川や公園、神社などを見ながら、地域の雰囲気を味わうことができます。この看板を左手に進むと、到着です。

こちらが神長官守矢史料館。建築家の藤森照信さんのデビュー作で、4本の柱は地元産の木を使っているのだとか。中世の信仰をイメージしたモチーフとなっています。この史料館の名前にもなっている神長官の守矢家は、大和朝廷の勢力が及ぶ前からこの地にいた族長で、中央勢力に破れた後は祭祀の実権を握るようになりました。その守矢家の敷地内にこの史料館は建てられています。

中に入ってみると、御頭祭に関する大迫力の展示があります。これらが祭りに向けて生贄に捧げられた動物たちのようです。天明4年(1784年)3月6日に博物学者であり紀行家でもあった「菅江真澄」が見聞してスケッチしたものを再現した展示となっています。

こちらは、うさぎの串刺しや猪の頭皮、鹿皮です。とても衝撃的な展示ですね..。

こちらは捧げられた猪や鹿たちです。実際に捧げられるのは鹿だけでも75頭なので、この倍以上の数が捧げられます。菅江真澄がいた頃、生きた動物たちが生贄に捧げられるという様子は想像し難いですが…実際に動物たちの剥製を目の当たりにすると、普段何気なく食べている肉に対しても感謝や畏怖の念が湧いてきます。実際、この神事の時に鹿の肉や脳、味噌煮などを食べるようです。

生贄になる際に、なぜか耳が裂けた鹿がいるようです。神の矛にかかったからとの説明書きがありますが、諏訪大社七不思議の1つであり、真相は解明されていません。

こちらは、御贄柱(おにえはしら)と呼ばれるものです。桧の柱にコブシの枝や柏の葉などをつけています。かつては少年を象徴的に生贄に捧げる儀式「おこう」が存在したようで、その時に使用された柱です。ただ、生贄に捧げるといっても、のちに神官によって解放されるという儀式が行われていました。

なぜ生贄が行われるようになったのか?

御頭祭における生贄の儀式はなぜ行われるようになったかについては、定かではありません。いつ始まったのかという資料も残っていないようです。だだ、諏訪という地域は仏教伝来以前から、肉を食べる狩猟の文化があったことは事実でしょう。諏訪は食料が乏しい寒冷な山間部だったので、仏教が伝来した後も古来の肉を食べる習慣が残ったという可能性もあります。少なくとも、人間に恵みをもたらしてくれる自然に感謝する意味で、この生贄の儀式が今日まで行われてきたということかもしれません。

この守矢家の敷地内には、諏訪信仰と関わりの深いミジャグチ(御左口神)を祀る場所もあります。また、近くには諏訪上社前宮、上社本宮などもあり、見所は満載です。これらも合わせて訪れ、御頭祭に込めた想いを想像しながら、散策してみるのも良いでしょう。

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