毎年お盆の時期、奈良県の吉野郡十津川村で盆踊りが行われます。中でも8月13日〜15日の間におこなわれる3地域の踊りは、平安時代末期から続く歴史ある踊りです。
この記事では、2016年、その一つである小原と武蔵の2地域の「大踊り」の現地レポートをお届けします。
目次
ユネスコ無形文化遺産に登録の「風流踊」の一つ!
2022年11月30日、盆踊りや念仏踊りといった日本の民俗芸能「風流踊(ふりゅうおどり)」が、ユネスコの無形文化遺産に登録されることが決定しました。
登録対象となる全国41件の「風流踊」のうちの一つが、奈良県吉野郡十津川村の「十津川の大踊」です。これは紀伊山脈の山深い村に伝わる、まさに秘境の盆踊り。そのために実際にその踊りを目にしたことのある人は、多くないかもしれません。
この記事では、2014年の夏に十津川村を訪れた際の大踊りの模様をレポートしたいと思います。
東京23区よりも大きい秘境「十津川村」
十津川村といえば、まずよく耳にするフレーズが「日本一の広い村」。面積でいうと、十津川“村”は672.4平方キロメートル。参考までに、東京23区の面積が、627.5平方キロメートルです。
そして十津川村でもう一つ有名なのが、「日本一長い路線バス」です。八木新宮特急バスは、日本一大きな村といわれる十津川村、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を通り抜ける、高速道路を使わない路線では日本一の走行距離を誇る路線バス。全長169.8㎞、停留所の数は、なんと168。
というわけで、いろいろと規格外のスケールを誇る十津川村。盆踊り会場にたどり着くのも一苦労で、新大阪駅から電車で一時間の近鉄「橿原神宮前」に到着後、今度はレンタカーに乗って山道を3時間。やっと会場の一つである武蔵地区にたどり着きます。
「会場の一つ」と表現したのは、十津川の大踊りが、村の中でも「小原」「武蔵」「西川」と3つの地区で継承されているからです。私が十津川村を訪れた際は、このうち「小原」と「武蔵」の盆踊りと大踊りを見学させてもらいました。
初めての「大踊り」体験。小原地区の大踊り
8月14日の夜は、小原地区の大踊りを見に行きました。到着すると村の小学校の校庭に、ヤグラが組まれています。見物用のベンチもセッティングされて準備万端ですが、小雨により外での盆踊りは中止に。急遽、小学校の体育館に移動しての開催となりました。
「大踊り」の前に、まずは「ばか踊り」と呼ばれる盆踊りから始まります。この後、ご紹介する「大踊り」と比較すると、儀礼的な「大踊り」に対して、「ばか踊り」は娯楽的な意味合いの強い踊り。「草津節」「有田節」「串本節」「鴨緑江節」など、他所から流入してきた民謡で楽しく踊ります。
十津川の盆踊りの特徴は、扇を持って舞う踊りがあるということ。両手に持った扇を、蝶が舞うようにヒラヒラと操って、優雅に踊ります。時折、両手の扇をカチンと合わせるようにぶつけて、音を出すという所作も面白いです。
ばか踊りの後は、いよいよ「大踊り」。
まずは、太鼓やバチ、扇を持った男女が隊列を組みます。男性が持っているバチには、鮮やかな装飾がほどこされていて、太鼓の音は勇壮ですが、その叩く姿は華麗でもあります。
最初は、足を前後左右に踏み込みながら踊る動作。だんだんと場の熱気が高まってくると、扇を持った女性たちが輪を作り、太鼓役の男たちを取り囲みます。跳ねるような足運びと、激しい扇の動きは、太鼓役を煽るよう。太鼓の者たちは、その熱気に煽られるように「エイサ、エイサ」と叫びながら、熱を帯びて太鼓を叩きます。
この狂乱は、祖霊など見えざる神秘的な存在を降霊させる儀式のようにも見えますし、村の人々が日頃の労を忘れて、ただただ歌や踊りの楽しみに没入していく、そんな究極の遊びのようにも見えてきます。
村の廃校で踊られた、武蔵地区の大踊り
小原地区での興奮の一夜が明けて、翌日は武蔵地区の大踊りを見学させてもらいました。
武蔵地区の盆踊りは、廃校になった小学校の校庭で踊ります(廃校の校舎は、私が訪れた2014年の時点では、郷土資料館として活用されていました)。
小原地区と同様に、立派なヤグラと、それを取り囲むようにベンチが配置されていました。
まずは「ばか踊り」からスタートします。初見で見ると、その踊りはとても複雑で、見様見真似では、なかなかついていくことはできません。二人で組になる踊りもあって、とても興味深いです。
また、ばか踊りの曲は、地域によって異なりますが全部で20曲ほどの数になることもあり、一度の参加ですべてを覚えることは困難。それだけの数の曲が残されているということからも、奥山に住む十津川村の人々が、いかに盆の踊りを楽しんでいたか、ということが伝わってきます。
ばか踊りの後は、「大踊り」です。流れとしては小原地区の大踊りとおおむね同じで、まずは太鼓を持った男性陣と、扇を持った女性陣が隊列を組んで、足の動作を基調とした踊りを踊ります。
静的な踊りではありますが、なんらかの「予兆」を感じさせる動きでもあります。隊列の中には、飾りつけのした笹を持っている人もいて、足踏みをするごとに飾りが揺れる様子が風流です。
踊りは急に激しくなり、太鼓の人たちを取り囲むように扇を手にした女性陣が輪を作ります。飛び跳ねる動きは、どこか青森ねぶたの跳人(はねと)を彷彿とさせます。
踊りと太鼓は段々と激しくなり、歌も次第に掛け声だけになっていきます。盛り上がりが最高潮に達したところで、大踊りは大団円。最後は少し小雨も降ってきましたが、熱気は最後まで冷めませんでした。
十津川の地で時を超えて継承されてきた踊り文化
シンと静まり返った山の中、周囲は完全な闇。その只中に、すずなりに連なる提灯の明かりがあり、人々の笑い声や、歌、そして踊りがある。その状況に置かれることで感じた、過去も未来もすべてがひと続きとなっていくような感覚は、いまも忘れ難いものがあります。
この十津川という地に住む人々が、世代交代を繰り返しながら、この場所でずっと同じ踊りを続けてきたんだろうなという、その感じが誰に説明されることもなく、直感的に理解される、そういう不思議な体験でした。
山奥の祭りということもあり、足を運ぶ機会もなかなか少ないかもしれませんが、ぜひユネスコ無形文化遺産への登録を機に、この踊りの魅力が多くの人に知られることを願います。