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山奥で行われる供養の踊り。ユネスコ無形文化遺産登録「和合の念仏踊」に行ってきた

2023/9/27
2024/5/21
山奥で行われる供養の踊り。ユネスコ無形文化遺産登録「和合の念仏踊」に行ってきた

イラスト=大東 忍

長野の山奥で人知れずおこなわれる「和合の念仏踊」。新型コロナウイルスの流行のため制限していた地域外からの来場制限が4年ぶりに解除され、開催に至りました。2022年にはユネスコ無形文化遺産に登録された、肉体の躍動と静かな念仏による供養の踊りをレポートします。

いざ、長野県は和合へ

林松寺へ続く階段。

今回訪問する「和合の念仏踊り」は、長野県南端の阿南町の和合という地区で開催される。山間地の谷間に民家が点在する山深いエリアだ。

地元である愛知県でレンタカーを借り、尾張から長野へと車を走らせる。いつまで続くのかと不安になるような山道を、渓流に沿ってひたすら下った。会場である林松寺に到着したのは、18時頃。並ぶ提灯の向こうには階段が続いているが、行先が闇でどのくらい続いているのかはわからない。車を降りて、雨のなか滑らないように気をつけながら石段を登ると開けた場所に出た。ここが和合の念仏踊りの舞台である林松寺だ。

行事の開始時刻よりも1時間ほど早めに到着したが、松の隙間からお寺の前で、ゆったりと回る盆踊りの輪が見えた。十数名の小さな輪だ。

静かな盆踊りの輪が見える。

和合は人口194人(令和5年7月時点)の小さな地区で、1957年に町村合併によって阿南町和合となった。和合の念仏踊りは2022年にユネスコ無形文化遺産に「風流踊」として登録された。300年近く続く「念仏踊り」の行事で、8月13日から16日の4日間、庭入り、念仏、和讃といった儀式を行う。3日目である15日のみ、「盆踊り」もおこなう。先ほど見たのは踊りの輪が、それだ。念仏踊りは、大正時代までは、新仏の家を踊り歩いたと伝えられるが、現在は14日に新盆の家が寺で一緒に念仏供養をする形となっている*1

*1 国指定文化財等データベース、https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/00000903 、文化庁、2023年8月21日閲覧

林松寺の前で扇子を手に踊る。

「庭入り」——力強い身体の躍動

「庭入り」の様子。手前の人はヤッコ。

19時半頃、盆踊りが特に大袈裟な合図もなく解散になり、庭入りの準備が始まった。雨が懸念されたため寺の屋内で念仏踊りを実施することが決まり、道具がお堂の中に運び込まれた。盆踊りに参加していた人たちのほとんどが村の方だったようで、準備に取り掛かる。お寺の縁側で開始を待っていると「中で見てき、ぶつかられるかもしれんけどね」と言われ、どんな激しい踊りなんだろうと、どきどきした。

低く腰を落とす太鼓打ち。

花持ちが持つ柳と花。左からひとつ目と3つ目が柳。ふたつ目と4つ目が花。

準備が整うと「」や「太鼓」、「ヒッチキ棒」や「ササラ」など諸役の面々が行列し「庭入り」が始まる。かつては男性がそれぞれの役を務めていたが、今は少子高齢化の影響もあり、女性も「」や「花持ち」として参加している。太鼓打ちは床につくほどに膝を低く落とし、「ヤッコ」役は纏(まとい)を振る。淡々と進みながらも、さまざまな所作がおおらかに混じる空間は、複雑で見応えがある。

庭入りの行列が一周進み終えると、次は「庭入り(ヒッチキ拍子)」だ。4名の「ヒッチキ」役がふたりひと組で互いの体を勢いよくぶつけながら縦横無尽に跳ね回る。「ヤッコ」役と「」役も負けじと跳ね回る。室内での開催は屋外よりも人数を絞ることもあり、本領発揮とはならないかと開始前は思っていたが、いざ始まってみると、寺を抜けるような美しい歌声と、部屋からはみ出んばかりの勢いを持った「ヒッチキ」や「太鼓打ち」の力強い動き。私の懸念など小さなものだった。

「ヒッチキ拍子」の様子。ヒッチキ棒を持つものとササラを持つものが激しくぶつかり合う。

庭入りの各役の作り出す風景は本当に美しいものだった。過剰とすら思えるほどにいきいきとした姿は、厳かでありながらも力強く優雅で、人という存在を超えた精霊の姿を連想した。庭入りが終わると、住民の方が「これ(庭入り)は余興だでね」とおっしゃった。

「念仏・和讃」——歌を精霊に捧げる

「念仏」の様子。庭入りと異なり、空間が静寂に包まれる。

続いては「念仏」。堂内に、太鼓を手にする者、バチを構える者が対となって、3組並ぶ。3人の男性が手にした太鼓を太鼓打ちが叩きながら静かに念仏を唱える。先ほどまでの庭入りの激しさから一転、じっくりと刻まれる音に耳を傾ける。彼らの後ろから、紙垂(しで)の付いた菅笠(すげがさ)でゆったりと仰ぐ役もある。その光景が、いっそう落ち着きを感じさせる。

そして最後におこなわれたのが「和讃」だ。和讃には「野辺の送り」(天寿を全うした人)・「釘抜き」(若くして亡くなった人)・「血の池」(子供を産んで亡くなった人)など複数の唄がある。亡くなった人の年齢によって歌う歌が決まっていたが、近年はすべての歌をひととおり歌うようにしているそうだ。音頭取りがゆったりと歌うのに続いて、太鼓打ちが威勢よく復唱していく。軽く膝を屈伸させて左右にゆったりと揺れ動き、一節を歌い終える度に力強く太鼓を打つ。

「和讃」の様子。ゆったりと時間が流れる。

長時間の和讃で数名の太鼓打ちの手は太鼓に何度も何度も打ち付けられ、血が滲んでいた。相当な量の歌詞が歌いあげられた。気づけば和讃が始まってから50分くらい経っていた。彼らは普段はそれぞれの生業を持っている。このひとつの行事をここまでのかたちに仕上げるのにどれほど苦労したろうと思うほどに、その姿は美しく、誇り高いものだった。

和讃の際の太鼓打ち。静と動が共存する動作が特徴的。

和合の念仏踊における供養のかたち

林松寺前の看板

和合の念仏踊は8月13日から16日の4日間で実施される。初日と最終日は林松寺だけではなく和合地区の開祖とされる宮下家と地区の神社である熊野社をめぐり、それぞれで庭入りを行う。

私が体験した堂内での念仏踊りは、お堂を抜けるような威勢のよい声と踊りで、厳かでありながらもいきいきとしたものだった。この日は堂内での開催だったが、屋外の闇のなかでおこなわれたとき、それはどんな供養の空間になるのか見て見たくなる。

和合の念仏踊は、ユネスコ無形文化遺産指定において「盆の新仏供養を主たる目的としたかけ踊に、念仏踊りが結びついた形態を持つ下伊那地方にみられる盆の芸能の特色を示している。なかでも本件は、踊りの所作がより芸能的に展開しており、地域的特色や芸能の変遷の過程を示して重要である」とされている。アクセスが容易とはいえない和合地区だが、ぜひ、この地域の特色を豊かに示す和合の念仏踊による供養のかたちを実際に目にして欲しい。

※和合の念仏踊りは開かれていながらも、地区のプライベートな行事です。事前に阿南町役場(教育委員会)へ連絡を入れてから伺うことをおすすめします。

<参考文献>
大橋克己「念仏踊りの現在とその民俗継承——長野県下伊那郡阿南町和合地区の事例——」『比較民俗学』25、pp164-191、2011年
久保田裕道「和合の念仏踊り」『「下伊那のかけ踊り」』調査報告書 平成二十一年度 文化庁「変容の危機にある無形の民俗文化財の記録作成の推進事業」、pp.41-52、2010年
中村浩「和合の念仏踊り」『信濃』[第3次]14(9)、pp.574-587、1962年
三隅治雄「和合の念仏踊り」『民俗芸能』(76)、pp.8-16、1995年

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