毎年秋に行われる、谷保天満宮例大祭の古式獅子舞を取材した本シリーズ。後編では9/22の稽古締めと、2023年は4年ぶりの開催となった9/23の宵宮祭、9/24の本祭の様子をお届けします。
前編は下記からご覧ください。
例大祭前日に行われる最後の稽古
9月15日の獅子迎えの儀から一週間、本番にかけて数度の稽古が行われる。練習用の獅子頭をつけての、本格的な稽古だ。宵宮祭の前日は「稽古締め」と呼ばれ、最後の稽古が行われる。本番前の空気を感じたく、お邪魔させていただくことにした。
稽古とはいえ、獅子頭をつけての舞いは初めて見ることになるので、楽しみでもあり、自分が舞うわけでもないのに少し緊張もする。
こうやって実際の演舞を見てみると、獅子舞を構成する要素は決して獅子のみならず、ということがわかってくる。もちろん獅子はスターともいえる大きな存在ではあるのだが、獅子と同じくらいの激しさで立ち回る天狗、途中から舞いの中に飛び込んできて場をかき回す道化、調和のとれた美しい笛の音、獅子舞にナラティブ(物語性)を吹き込む歌、それらが一体となって「獅子舞」という場をつくりあげているのだ。
稽古の後は、稽古締めの直会(なおらい)が盛大に行われる。このタイミングで、2023年の例大祭を機に、19年間務めてきた獅子を引退するという竹内学さんに、伝統ある獅子舞の大役でもある獅子を務めるというのは、どういうことなのか、本番前の意気込みとともに、その思いを聞いてみることにした。
今年で引退、でもまだまだ修行の身です
――出身は谷保ですか?
竹内:もちろん。中平という地区から出てるんですけど。
――お祭り自体は子どもの頃から好きだったんですか?
竹内:もう、ずっと。中平の青年会で万灯をやってました。(獅子舞の)お先払いをする側だったので、獅子舞なんか見たことなかったんです(笑)。
獅子舞を始めたのは、保存会の方々から「お前、やってみねえか」と声をかけられたのがきっかけですね。「谷保天満宮の祭りは獅子舞が一番」だと、「せっかく谷保に骨を埋めるんだったら、二番より一番の方がいいべ」って言われて(そんなことを言われたら入るかと)。当時は突っ張ってたから(笑)
――荷が重いなとは思わなかったですか?
竹内:もちろん、それはあった。やっぱり初めて保存会の門を叩いた時は、右も左もわからずアウェーって感じ。ひとりぼっちでしたね。
――舞いを身につけられたと感じたのは何年目ですか?
竹内:まあ、いまだに修行の身ですよ。俺は雌獅子を3年やって、小頭を6年、その後は大頭。大頭が一番長いんですけど、苦労をしながら(やってきました)。先生たちもいろいろと教えてくれるんですけど、やっぱり苦しかった、辛かったですね。
以前は物流業をやっていたんですけど、祭りの時期は稽古で仕事を休まなければいけなかったので、その兼ね合いが難しかった。農家さんのような自営業ではないので、私らのような会社員はなかなか。
――今回、なぜ引退されたようと決めたのですか?
竹内:コロナ禍でお祭りができなかったのが大きいですね。新メンバーが入らない中で、保存会員の高齢化も進みました。獅子も、俺の下には小頭と雌獅子がいるんですけど、本来は段階的に上にあがっていかなくちゃいけないんですよ。後継者が見つからないからって、いつまでも俺が大頭の座にいると、上にあがっていくこともできないし、獅子舞の保存をしていくことも難しくなってくる。そういうこともあって、後継者が見つかってないんだけど、いったん区切りをつけて引退して、小頭と雌獅子を上にあげることにしました。これからは後継者探しと、指導役を務めるつもりです。
――やはり大頭、小頭、雌獅子でそれぞれやっていることや、求められる技術は変わってくるのでしょうか。
竹内:違いますね。例えば、大頭は一番のリーダーなので、舞いながら他の獅子に指示を出してるんです。後ろに下がりすぎてたら、もっと中心に来いよとか、太鼓のテンポが間延びしたら、合図を出して太鼓を合わせるようにしたりとか。みんなを誘導してあげなくちゃいけない。
――激しく舞いながら全体も見なければいけない、かなり難しいことですね。厳しい面もありそうですが、やはり舞い終わった後の達成感というのはあるんですか?
竹内:もちろんある。終わった後の達成感はすごいですよ。稽古の後もそうだし、宵宮祭、本祭が終わった後の達成感というのはね、我々やった人間にしかわからない。この感覚は、誰もが味わえるものじゃないですからね。
――でも19年やって、まだ修行の身というストイックさもすごいです。
竹内:今日が一応、稽古終いということなんですけど、まだまだ反省点はありますよ。ただ、宵宮と本祭が終わって、勇退式を迎えた時に、よくやったな、自分の舞いができたな、と思うことができたらいいなと、そんな感じです。
稽古の成果が発揮される、宵宮祭の獅子舞
本祭の前日の夜は、「獅子舞宵宮参り」という行事が行われる。各氏子集落ごとに氏子役員らが行列を組んで谷保天満宮に参詣するという行事で、高張提灯・ササラ・金棒などに先導されて甲州街道を歩いてくる浴衣姿の行列はとてもにぎやかである。
宵宮参り終了後、参集殿では古式獅子舞が行われる。本来は野外で行われるものだが、あいにくの雨模様となったため、屋内での開催となった。
全員が正式な衣装をつけて獅子舞を演じる姿を見るのは今回が初めてだったが、やはり稽古の時とはまた違った緊張感と、儀式としての格式の高さを感じることができた。そしてなにより、獅子舞を見守る観衆がいるということで、祭りとしての華やかさや熱気もさらに加わったように思う。
このような変化を感じられるのも、稽古から見させていただいたからこその役得とも言えるだろう。あらためて、ありがたい機会をいただけたのだと実感する。
そして、明日はいよいよ本祭である。余韻を引きずりながら、この日は参集殿を立ち去った。
堂々たる本祭の獅子舞、そして勇退式へ
本祭は、正午の万灯行列から始まる。スタート地点となる谷保駅前に到着すると、各町会の万灯が既に勢揃いしていた。
万灯は毎年新しく作られ、そして解体される。飾りつけの鮮やかさに加えて、そのような儚い存在であることも、万灯の美しさをより際立たせているのかもしれない。
万灯の行列は甲州街道側から参道を通り、次々と神社の境内に入場してくる。行列の最後尾を務めるのは下谷保町会であり、その後ろに獅子たちが続く形だ。
獅子たちが、神楽殿前にある土俵の前に集合すると、いよいよ獅子舞が演じられる。
これまでに稽古締め、宵宮、そして本祭と、三度の獅子舞を見学させていただいたが、やはり最後も飛び切りの演舞だった。ことに、これを機に獅子舞を引退する竹内さんのことを思うと、いまどのような心境で最後の舞いをしているのだろうかと想像してしまうし、いま目の前で繰り広げられている光景に、特別な感情を抱かずにはいられない。笛の音が、いつも以上に切なさを増して聞こえてくる。
また新しい挑戦が始まる
獅子舞が終わっても、本祭のお楽しみはまだまだ続く。ここからは夜まで神輿の巡行である。神輿は各町会から出されるが、今回は下谷保町会の神輿に同行させていただいた。
最後に、獅子舞を終えた竹内さんに、「いまはどんなお気持ちですか?」と声をかけると、次のような答えが返ってきた。
「終わったら終わったで、また新たな始まりみたいなものを感じてます。やっぱり指導をしていかなきゃいけないし、後継者も探さないといけないし、そこに尽くしていかなきゃいけないですからね。今日は、お客さんもたくさん来ていただいて、天気も晴れて、本当によかったです。達成感はやっぱりありますよ」
そう言って竹内さんは、うまそうにお酒をあおる。例大祭は終わったが、また来年に向け、獅子舞の稽古は早くも翌月からスタートする。次の後継者が見つかるまでは、空席となっている雌獅子の役は竹内さんが務めるそうだ。
引退を前にして「まだまだ修行の身ですよ」と答えた、竹内さんの言葉はやはり印象的だった。一個人が獅子舞という芸能をモノにするには、19年という歳月だけではまだまだ足りないらしい。しかし、いつまでも同じ座にとどまることは許されない。新陳代謝を繰り返しながら次の世代へとバトンタッチされていくというのが郷土芸能の宿命だからだ。
「(体力が落ちてきているとはいえ)まだまだ獅子舞はできるとは思うんですよ、自分としては。でも、体が動けるうちに後継者育成に専念した方がいいだろうなと自分なりに考えたうえでの決断です。これでも遅いくらいなんだけどね」
また次の年、獅子役にはどんな顔ぶれが揃うだろうかと、この原稿を書きながら思いを馳せる。伝統の継承というのは、決して容易な仕事ではない。立ちはだかる壁は途方もなく大きい。しかし、祭りの担い手たちは、決して目の前の危機に対して手をこまねいているのではない。少なくとも、竹内さんは19年のキャリアに終止符を打つという決断を下した。その強い意思は、未来への大きな一歩となるはずだ。
<参考文献>
くにたち文化・スポーツ振興財団, くにたち郷土文化館 編「くにたちの祭り : 企画展」