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民俗芸能をネットワークし、アップデートする男=新阿弥が描く伝統文化の未来

2025/1/23
2025/2/17
民俗芸能をネットワークし、アップデートする男=新阿弥が描く伝統文化の未来

古の都、京都。2000年の歴史が紡ぐ洗練された文化は、日本人だけでなく、今や全世界の人々の憧れです。歴史的建造物や伝統芸能も多く、世界中から「京都」を体験するために大勢の人々がやってきます。しかし、こと郷土芸能や祭りなど無形の文化財については、他の都道府県同様、その維持や継承が少子高齢化や資金不足から困難になっているケースもあるという話も聞きます。長い歴史を背負うからこそ、新しいことをするのが難しい郷土芸能。そんな中、自らのルーツである郷土芸能の保存・継承にとどまらず、京都各地の郷土芸能活性化のための「共助」の枠組み作りや、民俗芸能の新たな地平を切り拓くため、さまざまな試みをしている方に出会いました。

狂言面を変えるように・・・三つの顔を持つ男

浅野高行―。ダークスーツを纏い、長髪を後ろに束ねた精悍な風貌。名刺には「狂言師」の肩書。しかし普段は会社で働いているのだという。興味をもってお話を伺ってみると、京の三大念仏狂言の一つ「嵯峨大念佛狂言(以下、嵯峨狂言)」の担い手としての顔、新しい伝統芸能「新阿弥(いまあみ)」を率いる表現者としての顔、そして京都各地の民俗芸能保存団体の交流を促す『京都郷土芸能「活性化してやろう会」(以下、活性化してやろう会)』世話人としての顔・・・。浅野さんの精力的な活動は、「これは全国の保存会の方々の持つ悩みの突破口になるのでは」というアイディアの宝庫でした。

この記事では伝統芸能が大好きなカメラマンの佐々木が、浅野さんの活動を通して、これからも地域の宝がキラキラと輝き続けるためのヒントや解決方法のアイディアをお届けいたします。

「活性化してやろう会」で京都全体の郷土芸能の底上げを狙う

写真左が浅野氏。「民俗芸能交流サロン」で司会を担当。

2024年11月、京都芸術センターは、たくさんの人で賑わっていました。浅野さんが世話人を務める「活性化してやろう会」が開く「民俗芸能交流サロン」の集まりです。

「『活性化してやろう会』は、2023年5月に創立した新しい団体です。活動内容は京都を中心にさまざまな民俗芸能の若手がネットワークを作り、担い手の育成や、お互いの課題、対策を共有し、それぞれの民俗芸能に活かしています。京都市の伝統芸能文化創生プロジェクト、伝統芸能文化復元・活性化プログラム採択事業で、今後、文化庁事業で冊子も制作予定です。」(浅野さん)。

全日本郷土芸能協会(全郷芸)や佛教大学の冊子などにも活動が取り上げられた。

会の具体的な取り組みのひとつが、今回の「民俗芸能交流サロン」です。年3回ほど開催していて、お互いの芸の披露だけでなく、ワークショップやクロストークをしています。

「民俗芸能交流サロン」にて。この日は、京都鬼剣舞と和知太鼓のクロストークを実施。

高齢化、少子化、資金不足でどうやって伝統芸能を継承していくか

「私の所属している嵯峨大念仏狂言保存会は、現在、メンバーが少なく、出演人数が足りないため出来ない演目もあります。また資金面ではやればやるほど疲弊する状況です。改善するために何かをしないといけないと強く感じていました。そんな中、2017年から、嵯峨・清涼寺で行ってきた定期公演のポスターをおもしろいデザインで作成してみたところ、京都市の文化財保護課に注目していただきました。」(浅野さん)

ユニークなポスターのデザインが話題を呼んだ。

京都市と接点ができたことで、浅野さんは自身の保存会が抱えている課題は、他の保存団体もまた同じように抱えているものだと意識するようになります。京都市としても、世界から注目される文化都市・京都の貴重な郷土芸能の保存・継承のために、行政として何ができるか、真剣に考えている最中のことでした。

「行政の支援では補助金という形が一般的ですよね。でも、この補助金申請では申請業務に慣れている団体が通過することが多いです。嵯峨狂言も市の補助金をいただいていますが、昔と金額がだいぶ違い、私たちが定期公演をしている清涼寺にある狂言堂の火災保険だけで補助金が飛んでしまうような状態です。そこで、同じような課題に直面している京都の郷土芸能の活性化を目的にした会を作り、会として補助金を申請し、京都の郷土芸能全体をフォローしてあげた方がよいというアドバイスを各方面からいただき、京都市と京都芸術センターから成る『伝統芸能アーカイブ & リサーチオフィス(TARO)』の『伝統芸能文化復元・活性化共同プログラム』(令和5年度)に採択されました。」(浅野さん)

嵯峨大念仏狂言「船弁慶」。老朽化した狂言堂の保存修復中は、清凉寺の廊下で披露したことも。

申請に必要な文書を書き揃えるのも小さな保存団体にとってはハードルが高いもの。それぞれの保存団体が担い手不足や資金不足など様々な課題やその克服のための知見を共有しあい、あるいはお互いの芸能のコラボレーションでさらなる魅力を引き出すことで、京都の民俗芸能全体を活性化しようというチャレンジが動き出しました。

「民俗芸能交流サロン」で和知太鼓を京都鬼剣舞の演者が体験し踊る様子

新たな知見の共有が民俗芸能に「進化」と「輝き」をもたらす

こうして発足した「活性化してやろう会」。ほとばしる熱意と共に京都らしい遊び心を備えた名称の団体のもとには、2025年1月現在、複数の団体が集まっています。浅野さん自身、これまでの活動に早速手応えを感じています。

「皆さんの知見を伺う中で、嵯峨狂言もこうであったらいいなと感じることがありました。たとえば鬼剣舞の流派の中では、ワークショップでの面付けなど芸の小出しになるようなことは認められていません。しかし、剣舞をやりたい人には門戸を広くして誰でも入れるというルールです。様々な新しい取り組みをする上で、できることできないことの軸がぶれていると、下の人たちがどっちに行っていいのかわからなくなります。こういう明解なルールがあるのは良いなと感じました。どういうルールが他のところにあって、どのようにしているのか分かるのが活性化してやろう会の利点です。今後は横のつながりをもっと増やすのが目標です。参加団体を増やし、まずは京都市の中堅若手層をメインに繋がって行きたいと考えています」(浅野さん)。

京都鬼剣舞。「民俗芸能交流サロン」にて撮影。演舞中は面をつけ、トークでは「直面(ひためん)」で登壇。

「活性化してやろう会」に参加する保存団体の一つに、「原谷弁財天獅子舞保存会」という団体があります。京都市北区の原谷弁財天の祭礼を中心に活動している太鼓と獅子舞の保存会です。

新しい白の獅子頭は軽いスチロール製に。「京のかがやき」練習風景にて撮影。

「この獅子舞は、もともとは沖縄出身の庭師さんが、故郷の獅子舞を京都で披露したところからはじまりました。自分たちで作る獅子舞で、衣装は網にビニールひもを結びつけて作ります。もう50年以上使っていて、舞うとあたりが毛だらけになり大変です(苦笑)。そこで最近、作り直して2025年からは新しい獅子舞が登場します。新しいものは獅子頭を発泡スチロールで作っており、以前の獅子舞より1Kgくらい軽くなりました。原谷はその名の通り、谷が多い場所。祭礼の際には獅子舞が谷あいの坂道を上がったり下がったりする体力が必要です。ささやかなことではありますが、獅子頭が軽いと獅子舞をやろうという人が増えるのではと期待しています。時代に合わせてそういうアップデートはいいのではないでしょうか。2025年2月8日に行われる京都府主催の民俗芸能ステージ『京のかがやき』では、観光資源保護団体から、参加できる郷土芸能のチームを紹介して欲しいという話があり、この原谷弁財天を紹介しました。ぜひ一度、どんな獅子舞かご覧いただきたいです。」(浅野さん)

元の獅子頭はFRPというプラスチックで保津川下りの舟と同じ素材。

会がきっかけで、まだ広く知られていない郷土芸能が、京都府が主催する大きな舞台に出演する機会を得た、というのは大変興味深いことです。

「京都府が年1回開催しているこの『京のかがやき』では、京都府の職員さんたちが驚くほど、それぞれの郷土芸能がキラキラと輝いています。もともと地域で続いていたものが大きな舞台に立たせてもらうことがきっかけで、『見ていただく』とは何かをそれぞれが掴んだのです。最初は演出家さんの指示に対応できないこともありましたが、自分たちからアイディアを持ってくるほどになったと聞きました。いつもと違う場所で、求められて出演すると自発的に表現するという意識が生まれます。」(浅野さん)

天橋立で有名な、京都北部の宮津市に伝わる宮津踊り。2024年の「京のかがやき」で撮影。

「畳一畳」で芸ができれば出演できる場所が広がる

自分たちの芸能をもっと魅力的にするには、という観点でも、他団体との交流から大きな学びがあったと浅野さんは言います。

「『畳一畳で芸が出来る』というのを宮津踊りの人たちから教わりました。一人で行って、場所を選ばず芸が出来ると披露機会の幅が広がります。たとえばホテルのロビーや宴会場に呼ばれたときに、どんなことが出来るかを考えてみるとよいと思います。わたしは嵯峨狂言とは別に、『新阿弥』として一人で様々な場所に出演することで、念仏狂言の決まった動きしかできなかったのが、念仏狂言をベースに即興で動けるようになり、表現力が増えました。初めの頃、写真家さんに撮ってもらった写真を見てみると、グリコの看板のように両手を広げた状態になっていることがほとんど(笑)。でも次の年には、同じ写真家さんから『表現の幅がずいぶん広がったね』と言ってもらうことができました。とにかくやってみて、落ち込んでもブラッシュアップしていくことが大事ですね。」(浅野さん)

「京のかがやき」主催の京都府では来年度の出演団体を探しています。

2025年の「京のかがやき」は、2月8日に開催されます。先に写真などで紹介した原谷弁財天太鼓保存会・原谷弁財天獅子舞、宮津おどり、和知太鼓の他、宇治田楽まつり、福知山踊りが出演します。

また、2月22日にも京都市観光資源保護財団主催「京の郷土芸能のつどい」が、こちらもロームシアター京都という大きな舞台で行われます。出演は京都鬼剣舞、千本ゑんま堂大念佛狂言、壬生六斎念仏、久世六斎念仏のほか、広島の芸北神楽も登場します。ぜひ足をお運びください。

浅野さんのルーツ「嵯峨大念仏狂言」はセリフのない狂言

京都の釈迦堂「清凉寺」に受け継がれる嵯峨大念仏狂言

京都の地域芸能活性化のため、縁の下の力持ちとして働く浅野さん。ここからは表舞台で輝く演者としての顔を紹介したいと思います。
浅野さんのルーツ、京都・嵐山にある清凉寺の舞台で行われる嵯峨狂言は、国の重要無形民俗文化財に指定されている民俗芸能です。台詞はなく、身振り手振りで演じられるのが特徴で、現在は、約二十番の演目が継承されています。清凉寺の年中行事「お松明式」のほかに、春と秋の定期公演なども行っています。

嵯峨大念仏狂言 土蜘蛛 民俗芸能をネットワークし、アップデートする男=新阿弥が描く伝統文化の未来2018年に修復が終わり、新しい狂言堂がお目見え。2階が舞台になっており、見上げて鑑賞するつくりになっている。(写真提供:嵯峨大念仏狂言保存会)

「記憶」をつなぐことで地域に芸能が残る

「わたしは嵯峨狂言を嵯峨小学校の部活『嵯峨狂言クラブ』で始めました。狂言歴は35年ほどになります。数年は嵯峨小の中の部活動の一つでしたが、現在、小学校の部活からは外れてしまいました。近くの地域にはユネスコ無形文化遺産にも登録された『六斎念仏』があり、こちらは小学3年生の学習発表会のテーマとして取り入れられています。嵯峨狂言も六斎念仏のように小学校の学習活動のひとつになってくれればと思っています。保存会では『嵯峨子ども狂言クラブ』を十数年前に立ち上げていますが、こちらは狂言に興味がある子どもたちが参加しているのみ。でも授業なら地域の小学生が一通り一度は習うことができます。一貫して地域の小学生が一度は通る仕組みがあれば地域に文化として、また子供さんたちの『記憶』として残ります。そうやって地域に根付かないといけない。地元である嵯峨嵐山でパイプを作ることが大切です。」(浅野さん)

ユネスコ無形文化遺産「京都の六斎念仏」。嵯峨野六斎念仏より「越後獅子」。

例えば、お隣の福井県池田町は各神社にたくさんの「能面」が残されていることから「能楽の里」として知られていて、能面美術館や能楽の里歴史館があり、町のあちこちに能関連のオブジェが置かれています。「嵯峨狂言もそういった地域の活性化のひとつになりたい。」と浅野さんは言います。歴史のある嵯峨狂言を継いで行くのに、どんな苦労があるのでしょうか。

「現在の嵯峨狂言のメンバーは50代、40代、20代、あとは小中学生です。中学生主体の若葉会も結成され、保存会もなんとか発足50周年を迎えましたが、次の1年、さらに次の1年をどうしたら継続できるか知恵を絞っています。若い人に活動を継続してもらうにはどうすればいいか、この狂言を保存継承していくにはどうするのか・・・。たとえばこのほど、17年ほど途切れていた演目の復活を提案しました。稽古をやり始めると、特段、身振り手振りが思い出せない、踊りの仕方がわからず稽古ができないなどの困難もなく、公演できるまで進んだので無事に復活演目として皆様に披露したのですが、稽古していく中で演者の中でなぜ今までこの演目をやらなかったのか?という話になりました。私自身が昔、この演目に出たことがあるのですが、それは17年よりさらに前の34年も前、私が13歳のこと。しかし、身振り手振りの記憶は残っており、稽古の中では役立ちました。過去の記憶や技術を伝える側の視点として指導者がきちんと導いていけるかが重要だと感じました。技術が未熟だと指導していても劣化したコピーになってしまいます。芸能は写真一枚で腰の位置が高い、など良し悪しが分かってしまう。十八番(おはこ)は守って、変化できるところは恐れない。また批判されることも受け入れて継続する。その姿勢が大切なのではないかと考えています。」(浅野さん)

嵯峨狂言の若手集団「若葉会」。学生の女の子たちが演じている。

千本ゑんま堂と壬生にあって、嵯峨にない――収益のための仕組み作りを。

地域芸能は活動のための資金面で苦労しているところも多いと聞きます。嵯峨狂言は2018年に補助金で、ようやく老朽化した狂言堂が修復できましたが、浅野さんに会の懐具合を尋ねると、「張子の虎です」との回答。なかなかお伺いしづらいお金のことですが、実情と今後のためのアイデアを聞きました。

千本ゑんま堂大念佛狂言「千人切り」。源為朝に金剛杖で斬られると厄除けになるとされている。

「京都には嵯峨狂言以外に『三大念仏狂言』と呼ばれている千本ゑんま堂大念佛狂言、壬生大念佛狂言があります。千本ゑんま堂の舞台では、必ず最後に『千人切り』という演目が演じられます。この演目の主役、源為朝に金剛杖で斬られると厄除けになるとされていて、お客さんを順番に斬っていくのです。そして、為朝に斬ってもらうには、演目で使われた『矢』を有料で購入する必要があるのです。この矢自体も泥棒除けになるとされています。壬生狂言では『炮烙割(ほうらくわり)』という演目があり、購入したほうらく(素焼きの土器)に願い事を書いて奉納すると、演目の中でほうらくが割られ、自分の書いた願いが演目の一部になります。どちらも仏教の教えとして成立しています。見ていただく方が教義に基づきお金を払いたくなるような演目は、嵯峨狂言にも必要だなと感じています。募金箱を持って、グッズ販売をしてもほとんどあがりはありません。」(浅野さん)

「炮烙割(ほうらくわり)」は壬生寺での節分の恒例行事。

演目の中で、お客さんを満足させながら、お金を集める仕組みを持つという、他の二つの狂言が築いているシステムからも気付きを得て、浅野さんは嵯峨狂言を未来に繋ごうとしています。

現在の嵯峨狂言は募金システム。

「新阿弥(いまあみ)」は、嵯峨狂言を未来に残すための試み

そして、浅野さんにはもう一つの顔があります。冒頭でも紹介した、令和発の伝統芸能を掲げて活動する「新阿弥」。嵯峨狂言を元にしながらも、そこにとらわれない自由さで狂言や舞を創作し、異文化とのコラボレーションも積極的に行っています。

スロバキアの三味線奏者MKさんとコラボ。インバウンド向けに曼荼羅茶(京都市東山区)にて不定期公演を実施。

「コロナ禍でいよいよ何かしなければと始めたのが新阿弥の活動です。正直、保存会からもついてくる人がいるだろうと考えていましたが、実質的にはひとりで動いている状態です。個でスタートできるかは未知数でしたが、調べてみると新しい面も3~5万円前後で比較的安価で作れるとわかりました。衣装も『sou・sou』という京都発の新和装ブランドがもともと好きだったので、こちらを使っています。新古典芸能として現代の方々に訴求するという目的も一致していると思います。能狂言の衣装の値段からすると10分の1くらいで、見栄えもいい。面は富士山やアマビエ、花火など、江戸以降の近代文化で現代人なら誰でも知っているということをテーマに創作面を作りました。普段の舞台と違い、出演する場所によっては狭かったり、音が鳴らせない時もあります。制限がある中でどうやるかを考え、鳴り物がNGであればおりん(鈴)なら使える、と静けさを引き立たせるものを取り入れたりしています。」(浅野さん)

新阿弥「花火」。花火舞を京都創造ガレージにて撮影

浅野さんは、舞台芸術が好きで、若い頃に東京で役者をしていたこともあるそうです。
「嵯峨狂言はセリフがない狂言なので、身振り手振りで振りをします。役者の経験は嵯峨狂言と違う表現方法がたくさんあり、勉強になりました。また舞台にあがる上で演出など全体が見られるようになったのも良かったです。例えば、嵯峨狂言の演者として、千本ゑんま堂と念仏狂言の人気演目『土蜘蛛』をコラボした時のことです。舞台装飾として、千本ゑんま堂では垂れ幕は舞台の上に、私ども嵯峨狂言では足を隠すように舞台の下に設置するのですが、上下どちらにもつけてしまうと幕に覆われてガチャガチャしてしまいます。舞台では『観客に見ていただく』という視点で全体を見る必要があります。このように東京での役者経験は、嵯峨狂言だけでなく、新しい創作『新阿弥』の活動にも役立っています。」(浅野さん)

大人気の演目「土蜘蛛」のコラボ。蜘蛛の糸の投げ合いは必見。

新阿弥として立った舞台は、寺院はもとより、京都劇場、神社の境内、露天の円山公園、店舗内など大小様々。コラボレーションの相手は、殺陣チームに和太鼓、獅子舞、スロバキア出身の三味線奏者、尺八奏者、ハンドパン奏者、高校の吹奏楽部とも。演目も、壬生が近い会場なら新選組をモチーフにした剣舞や、子どもの多い場所では獅子舞を取り入れた舞で場を盛り上げます。

嵐山秋花火での法輪寺特別観覧席に出演。(写真提供:新阿弥)

今回の取材で、私は2024年11月15日〜12月8日まで、紅葉の名所として知られる嵐山・鹿王院でのライトアップ拝観で行われた新阿弥のパフォーマンスに複数回お邪魔させていただきました。行くたびに面や衣装が違うため、何度行っても新しい発見がありました。また、この模様がテレビで放送された後、お祝いに駆けつけてくれた方をはじめ、新しいお客さんが目に見えて増えていきました。着物を着ている方も増え、新阿弥という新しい芸能が、目の肥えたみやこびとの間に波紋を広げていくように感じています。「嵯峨狂言さん、がんばってはんねん」「新阿弥という新しい伝統芸能なんだって」という声が聞こえてきたのも、取材をしていて嬉しかったことです。

鹿王院のライトアップでは日替わりで面と衣装を変えて出演。

嵯峨狂言を、〝未来が描ける〟芸にする決意

活性化してやろう会の活動や、新しいコラボ活動を考えたり、芸の披露の場を求める営業に、いわゆる普通のお仕事も抱えながら、積極的な活動をする浅野さん。一番そばにいるご家族や、これからを担う子供たちへの思いも聞かせてくれました。

「私には小学生の娘が2人いますが嵯峨狂言を教えるつもりはありません。自分から習いたい、というなら教えますが、プロの狂言でもないのでお金にならないスキルを無理に教えても・・・。ピアノや楽器は腕を磨けば一人でも仕事して役に立ちますが、果たして彼女らの将来どんな役に立つだろうか?現状ではそんな疑問が先に出てきます。教える側が疑問を持った不安定な状態で教えてはいけないと思います。それならば『狂言やったらええやん』『大きくなったらこの方面で活躍できるよ』と自信を持って継承させたい。次世代の先、次々世代の担い手にハッキリとそう答えてあげられるか、明るい未来を提示してあげられるかが大事だと思います。新阿弥はそんな可能性のひとつになれるような試みでありたいです。」(浅野さん)

梅小路公園のジョイナスマルシェにて。(写真提供:新阿弥)

数々の取り組みは、娘さんだけでなく、多くの子ども・若者たちへ地域民俗芸能の希望を見せるための挑戦なのです。そのためには、自分たちの世代がどれだけ〝かっこいい〟背中を見せられるかだと自らを律します。

若手の集団「若葉会」による土蜘蛛

「若い世代や子供たちは芸の吸収が早い。先輩たちも勉強をしていかないといけません。先輩が成長していなければ、子どもたちは『また同じことの繰り返しだろうから今日は稽古に行かなくていいや』と思うでしょう。大きくなるごとに学校生活や部活動、新たな趣味などにも出会い、だんだん担い手としての興味から離れていきます。私が高校生の頃は毎週土曜日の夜の稽古に行っても誰も来ませんでした。ただ歩き方の練習や立ち回りの所作稽古。終わりまでの2時間は実力が伸びてるのかもわからない自主稽古ばかり。現代はSNSで今日の稽古は何人が来るかもわかるのでいい時代になったな、とは思いますが、逆にSNSなどの発達で古典芸能や日本の伝統芸能に『肌で触れる』ということから離れていくのも加速している気もします。せっかく興味を持って地元狂言を習いに来てくれている次世代、次々世代の担い手にしっかりと『継承』という襷(たすき)を渡せるか、ということをいつも考えています。私たちの狂言だけでなく全ての地域伝統芸能に携わる者にとって、この目に見えない襷は年々、重く感じられているのではないかと思います。私はすでに肩にかけたら身体が潰れてしまいそうです。この襷を軽くすることは容易ではありませんが、教え方はもちろん地域伝統芸能の担い手としての考え方やメソッドを植え付けて育ててあげれば、襷をかけても揺るがないよう体幹を強くしてあげることはできるのでないかと考えています。次、次々世代の担い手自身が『私は伝統芸能継承者です』という自発的な視点で進めていってもらう形に整えてあげたいと思います。」(浅野さん)

渡月橋ライトアップ。お店もお寺も閉まるのが早い地域での観光の目玉。

民俗芸能は、民による芸能。もともとそれ自体を生業としない地域の人々によって支えられてきた芸能です。それゆえに、その継続のためにはお金の問題が立ちはだかります。歌舞伎や能のように、とまではいかなくても、その地で見るべき観光資源として見てもらえるかどうかという目線も必要とも言えます。嵐山は、京都における一大観光地ですが、有名な渡月橋や竹林の道、天龍寺などの寺院など以外は、人通りも少ないのが実際です。ここに嵯峨狂言がある、ということは観光客にまだまだ知られていません。

新しい狂言堂で「土蜘蛛」を披露。(写真提供:嵯峨大念仏狂言保存会)

「残念ながら、地域の方々にとっても我々、嵯峨狂言の認知度は低いです。地域を盛り上げられるツールとして弱いのも実情です。お寺の法事では見たことがあるけれど、存在を知らなかった、という地元の方も多いです。地域の活性化に繋がるよう嵯峨狂言の会長や副会長、事務局長が地域の方々との交流会を開催してくださっているおかげで、少しづつ繋がりも太くなっているように感じます。2024年は清凉寺にある夕霧太夫の供養祭で太夫道中とコラボさせていただく試みも始まり、今年も継続できればさらに連携し活性化していけると思います。」(浅野さん)

地元の清凉寺「夕霧祭」では最高位の芸妓・島原太夫と太夫道中を披露。

そんな地域に対しての連携力強化、また次、次々世代育成に向けての取り組みは時間との闘いだ、と浅野さん。次の世代が育つまで、既存の担い手が狂言を続けていられるか。中堅の担い手として焦りも感じていると言います。

「普段、嵯峨狂言の定期公演では3日間で9演目をしていますが、将来は出演者不足で公演が出来ない場合が出てくるのではと危惧しています。そうなれば開催する日数を減らすか、各日の演目を減らすかなどの対応も備えていかないといけません。でも、ただネガティブに捉えるのではなく、他の芸能・芸術とコラボして、その9演目を埋める方法もあるのではないかとも考えます。たとえば嵯峨狂言の演目には『花盗人』というものがあるのですが、『花盗人』を題材とした絵画を募集したり、曲を演奏したり、過去の同演目の映像を上映したり、地域のアーティストと交流しながら伝統を守るような日が来るかもしれません。もちろん、公演できなくなるような日が来ないことが一番ですが・・・。」(浅野さん)

演目「花盗人」。(写真提供:嵯峨大念仏狂言保存会)

伝統と革新。融合へ向け、「歩みを止めない」

実際に動くことで見えてくることもあるのも事実。嵯峨狂言という看板があるから、活性化してやろう会や新阿弥の活動が活きてくる。賛否両論はあるけれど「まずは動いてみる」。深謀遠慮しながら前に進み続ける浅野さん。

「鹿王院ライトアップも、期間中の平日に、何か芸能などの目玉が作れないか?という依頼から始まりました。しかし民俗芸能の担い手は、普段は仕事を持って働いている人が多く、1カ月もの長い間、動ける人はいません。しかも数人規模の出演が必要。これに応えられる団体はないと思います。境内の中で『魅せる』ことが出来る演目が必要なため、新阿弥が出演することになりました。」(浅野さん)

鹿王院ライトアップでは広い境内の中で即興の舞を披露。

鹿王院にとっても初めての試みでしたが、境内の竹林や本堂に神出鬼没に狂言師が現れて舞を舞うと、近い距離で狂言を見ることができるということで新鮮さを作りだすことができ、評価は上々。有名なツアーコーディネーターやインフルエンサーが、多数見物にやってきたそうです。しかし、新阿弥の活動が、嵯峨狂言ほか地域芸能の未来とどう調和するのかについては、フロントランナーならではの葛藤、あるいは自らの芸能を追究する個のアーティストとしての葛藤も垣間見えました。

使用面「十六」は笛の名手、平敦盛

「鹿王院に限らず、新阿弥で手応えをつかみ、この場所なら嵯峨狂言や他の伝統芸能を呼べるのではと、活性化してやろう会でつながった京都の伝統芸能団体と、地域の観光資源さんやイベンターさんをつなぐ切り込み隊長のような役割を担っていきたいと思い、行動しています。新阿弥から伝統芸能を見てもらうきっかけ作りですね。新阿弥は嵯峨狂言はじめ伝統芸能の前座だからこそ動きやすいです。でも、うまく共存していくにはまだまだ理解してもらえないことも多く、葛藤もあります。自然に馴染むのは数十年後かもしれません。『あの時、動いておいて正解だったな。』という時が来るのを信じて突き進みます。」(浅野さん)

新選組「総司面」。「森蘭丸」や八犬伝「犬坂毛野」など新阿弥での美青年役は主にこの面です。

伝統を守るだけでなく、新たな形で未来へ繋げていく。その先には、どのような「令和の伝統芸能」の姿が描かれるのでしょうか。過去と未来を繋ぎ、新たな物語を紡ぐ挑戦者。今後の浅野さんの活躍が楽しみです。

嵯峨狂言「土蜘蛛」。

出演スケジュール

嵯峨大念仏狂言

3月15日 清凉寺 お松明式
4月第一日曜、第二土曜、第二日曜 春の定期公演
10月26日に近い第二日曜 秋の定期公演

新阿弥

不定期公演 祇園の曼荼羅茶にて、三味線奏者とのセッション
2025年2月16日 東福寺塔頭光明院 夜間公演
2025年2月23日 京都創造ガレージ 夜間公演

活性化してやろう会 関連民俗芸能イベント

2025年2月8日 京都府主催「京のかがやき」祇園甲部歌舞練場 大劇場
2025年2月22日 京都市観光資源保護財団主催「京の郷土芸能のつどい」ロームシアター京都
2025年2月28日 活性化してやろう会主催「民俗芸能交流会」京都芸術センター

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