能登半島地震の傷痕が残る石川県七尾市石崎町で、2026年8月1日、通常開催を迎えた「石崎奉燈祭」。重さ約2トンの巨大な奉燈(キリコ)が、狭い路地を深夜まで往復する祭りに今年、「最後までやり切る覚悟」を胸に、都会から筋肉自慢の助っ人たちが加わった。地元の担ぎ手と肩を並べ、呼吸を合わせながら歩き続けた約13時間。祭りの輪へ飛び込み、奉燈を動かす一員となった参加者たちは、石崎に息づく誇りと熱気を全身で受け止めた。沿道から見るだけでは分からない、濃密な祭り体験ツアーの記録を届ける。
目次
復興の歩みとともに受け継がれる、漁師町の祭り

石川県七尾市石崎町。穏やかな七尾湾に面したこの漁師町には、地域の人々が一年に一度、特別な情熱を注ぐ日がある。毎年8月の第1土曜日に執り行われる「石崎奉燈祭(いっさきほうとうまつり)」である。
この地ではかつて、京都・祇園祭の流れをくむ風流な山車(だし)が町内を巡っていた。しかし、明治22(1889)年の大火で、家々とともに山車の多くが失われた。その後、漁師たちは復興への願いを込め、奥能登独自の「キリコ」を取り入れた巨大な奉燈を再興した。

高さ12~13メートル、重さ約2トン、胴幅約2メートル、担ぎ棒の長さ約9メートル。太い江曽アテで組み上げられた奉燈が、現在は6基繰り出される。巨大な奉燈は一日をかけて漁師町の路地を進み、東西への往復を繰り返す。民家の軒先をわずか数センチでかすめるスリルとともに、太鼓、鉦、笛の音が町中にこだまする。

石崎奉燈祭を支えているのは、各地区が長年培ってきた誇りと、担ぎ手たちの熱気である。ひと昔前には、法被を着ず、むき出しの体にさらしを巻いて奉燈を担いだ地区もあり、他地区の人間には奉燈を触らせないほど厳格な祭りであった。形は少しずつ変わっても、その誇りの高さと熱量は今も色濃く残っている。

2024年1月1日に発生した能登半島地震では、町内の住宅約300棟が半壊以上となる大きな被害を受けた。それでも「伝統の灯を消してはならない」と、その年も規模を縮小して祭りを執り行い、2025年には通常開催へとこぎ着けた。石崎の人々が、この祭りをどれほど大切にしているかが伝わってくる。

「私も若い頃に少しだけ担がせてもらったことがありますが、この奉燈がものすごく重いんですよ」と話すのは、一般社団法人ななお・なかのとDMOの遠藤敦さん。同DMOでは、関係人口の創出を念頭に、2025年から祭りを体験するモニターツアーを実施している。人口流出と少子高齢化は、この祭りにも変化をもたらしている。約2トンの奉燈を担ぐにはおよそ100人が必要とされるが、近年は地区の人だけで人数を確保することが難しくなっていた。そのため、血縁や学縁でつながる人、さらにその友人というように、地域外から助っ人を迎えることも一般的になりつつある。震災後の祭りでは、県のボランティア派遣制度「祭りお助け隊」も活用された。ななお・なかのとDMOも、首都圏の大学生や社会人に担ぎ手を体験してもらうツアーを企画している。

「昨年参加した学生たちからは、『すごく面白かった』という感想とともに、『体力がないとつらい』という指摘を受けました。確かに、午後2時から翌日の午前3時まで奉燈を担ぐわけですからね」と遠藤さん。そこで今年のモニターツアーでは方向性を変え、対象を「アスリートや自分磨きが好きな人」に絞った。「深夜まで続くハードな祭りです。参加するなら最後まで。そういう覚悟を持った人に特化したツアーとして企画しました」。石川県観光連盟の「いしかわ文化観光コンテンツ造成支援事業」を活用して始まったこの事業は、2027年の旅行商品化を目指している。
赤いズボンに宿る情熱と期待

そして2026年8月1日。石崎の町に、屈強な体つきの男たちが到着した。福島県浪江町の復興イベントを主宰し、全国の筋肉自慢とともに活動する福田雄基さんら「福島ッスル」のメンバー、岸川佳介さん、眞野龍之介さん、寺嶋駿人さん、原島祥太さんの5人である。さらに、前年もモニターとして参加した尾崎俊介さん、小島智空さんの2人が加わり、計7人の助っ人チームが結成された。

彼らが車から降りると、集まっていた担ぎ手たちがざわめいた。あの体格のいい男たちは、いったいどの地区の助っ人になるのか――。そして、そろいの赤いズボンを目にした一人が、ぽつりと「赤か……」とこぼした。「それぞれの地区にどんな助っ人が来るのか、気になるんだと思いますよ」と、遠藤さんは地元の人々の心理を説明する。
「赤」は、彼らが合流する東三区のシンボルカラーである。石崎の町は東一区から東四区、西一区から西三区までの計7地区に分かれており、それぞれが固有の町内カラーと、奉燈の背に大書された言葉を掲げて意気を競い合っている。

「約2トンの巨大な奉燈を動かすと聞いたとき、僕らの筋肉が役に立つと直感しました」と福田さんは意気込みを語る。出発前、フロント・ダブル・バイセップス(Front Double Biceps)のポーズを決めたメンバーの顔には、頼もしい笑みが浮かんでいた。

「これを担ぐのか」から始まった自分との戦い

午後2時。快晴の夏空の下、いよいよ各地区の奉燈が動き出す。実際に目の前に立つと、「おお、これを担ぐのか」と、その巨大さに驚く声も上がった。座布団が巻かれた太い担ぎ棒へ、メンバーが初めて肩を潜り込ませる。

運行を指揮する青年団支部長の笛が鳴ると、奉燈に乗った少年少女によるお囃子が始まる。かつては男子のみが女装して乗るのが決まりだった。

太鼓・笛・鉦の音に合わせて「サー!」という咆哮。続く「ソーレ! イヤサカサー!」の掛け声で、奉燈が宙に浮く。「イヤサカ」は、町の繁栄や大漁を願う「弥栄(いやさか)」に由来するともいわれる。これほど大きなものが、人の力だけで持ち上がるとは、にわかには信じられない。「ソウリャ、サッカサイ、サッカサーサイ!」。激しいお囃子と掛け声の中、奉燈は進み始める。担ぐには、足運びや独特のタイミング、担ぎ手同士の呼吸を合わせることが欠かせない。「足が逆だ!」と、地元の担ぎ手から張り詰めた声が飛ぶ。初めて参加する人がリズムをつかむには、しばらく時間がかかる。


午後3時を過ぎると、太陽は容赦なく真夏の光を注ぎ、担ぎ手たちの体力を奪っていく。「重さは大丈夫だけど、信じられないほど暑い!」。隊列の内側に入ったメンバーの一人が、その過酷さを語る。周囲は汗まみれの担ぎ手たち。隙間なく肩と肩が触れ合い、アスファルトの照り返しと人の体温が重なる。トレーニングジムとはまったく異なる環境である。



普段からトレーニングマシンで重い負荷に慣れていても、ときには不自然な姿勢を保ったまま担がなければならない。時間とともに、筋肉へのダメージが蓄積していく。「腰が痛いと思っても、一度そこに入り込めば、途中で力を抜くことはできない。自分が肩を引けば、その分だけ隣の担ぎ手に重量がのしかかるから」と福田さん。それでも、沿道から「すごい筋肉ですね!」と声を掛けられると、笑顔で応じる。ツアーで用意したそろいの法被には、絞れるほどの汗が染み込んでいた。

足並みがそろい、無心で担ぎ続けた深夜

午後4時半、堂前広場に6基の大奉燈が集結した。大漁祈願祭と、それに続く大迫力の乱舞が始まる。観衆の頭上には、「魚満浦(ぎょまんうら)」(東一区)、「福無極(ふくむきょく)」(東二区)、「志欲静(しよくせい)」(東三区)、「智仁勇(ちじんゆう)」(東四区)、「襲銀鱗(おそうぎんりん)」(西一区)、「満祥雲(まんしょううん)」(西二区)と、地域の願いを託した吉祥の言葉が舞い踊る。
前夜祭の和倉温泉駅前
なお、西三区の奉燈は「慶雲飛(けいうんひ)」。堂前広場の乱舞には参加しないが、前日の前夜祭では、石崎町にある和倉温泉駅のロータリーで演舞を披露し、観光客を迎えながら祭りの機運を高める役割を担っている。

各地区が意気を示す乱舞は激しく、次の動きを予測できないほどの迫力がある。祭りを支える奉賛会のベテランたちは、観客の安全を守るため規制ロープを張る。その外側からは、家族や友人、長年のファンが声を張り上げ、担ぎ手たちを見守っていた。


「もっと精出せ! ふらふらするな!」と、規制ロープを越えそうな勢いで叱咤する高齢の女性もいる。石崎町の出身ではないというその女性は、「私、石崎の奉燈が一番好きでね。毎年一番前で見てるの。だって胸がドキドキするでしょう?」と、目を輝かせながら話してくれた。担ぐ人だけでなく、声を掛け、見守り続ける人の存在もまた、祭りの熱をつくっている。

「よばれ」の記憶と、束の間の休息

午後6時。堂前広場での乱舞を終え、参加者は地域の集会所で夕食を取った。能登には「よばれ」と呼ばれる、祭りの日に親戚や知人、近所の人を家へ招き、料理でもてなす風習がある。奉燈が通る路地でも、家の窓を開け放ち、訪ねてきた人に冷たいお茶やビールを振る舞う光景が見られた。

「石崎町の『よばれ』は豪華なんですよ。石崎エビ、シャコ、それと赤西貝。三つの海の幸が大皿いっぱいに出てくる。石崎のおおらかな気風が感じられます」と遠藤さん。

前年のツアーは少人数だったこともあり、青年団支部長の家で「よばれ」にあずかったという。今年はボランティアの参加人数が増え、集会所での食事となった。奉燈を担ぐことに加え、地域の人と食卓を囲み、言葉を交わす時間も体験の大切な一部である。その意味は、前年から参加した二人の言葉から、後に浮かび上がってくる。


この時間、石崎漁港の夜空ではドローンショーが行われ、花火が打ち上がった。堂前広場に並ぶ大奉燈とドローン、花火の競演に、大きな歓声が上がる。それを合図にするかのように、再び広場へ担ぎ手たちが集まってきた。

午後8時。明かりをともした奉燈の夜間運行が始まると、参加者たちの感覚にも、はっきりとした変化が表れた。再びけたたましく鳴る鉦と、「サー!」の咆哮。奉燈が進み始めると、福島ッスルの岸川さんは「この鉦のリズムが頭から離れなくなってる、と思ったら、担ぎ方もすっと体に溶け込んできた感じがする」と振り返る。肩は擦りむけ、痛みを増している。それでも、約2トンの奉燈を大勢で一体となって動かす快感に、参加者の顔に自然と笑みがこぼれる。


とはいえ、道のりはまだ遠く続く。これから6基の奉燈が連なり、町の東西を往復する。昼間の暑さは和らぎ、かすかに海風も感じられるが、蓄積した疲労は奉燈の動きにじわじわと表れる。太鼓・笛・鉦が鳴っても担ぎ棒の一角が上がらず、バランスを崩す奉燈。後続もリズムを崩し、運行の遅れの焦りと相まって、担ぎ手の肩へさらに重さがのしかかる。深夜が近づくにつれ、観光客だけでなく、助っ人の担ぎ手も少しずつ減っていった。

午前0時過ぎ。祭りは再び最大の見せ場である「大奉燈堂前乱舞」へ突入した。ここからが、担ぎ手たちの意地の見せどころである。先頭の西一区から順に、各地区の奉燈が激しく揺れ、舞い踊る。肩はとうに限界を超え、体力も尽きかけているはずである。それでも太鼓の連打は止まらない。各地区が見せる凄まじい意地と執念に、担ぎ手からは「まだやるのか!?」と驚きや、「いやあ、すごい」という称賛の声が自然に上がる。「だったら、俺たちも引くわけにいかない」ーー参加者たちの負けん気にも火がつく。他地区の意地に引っ張られるようにアドレナリンを絞り出し、ただひたすら奉燈を押し上げた。



そして午前1時、2時……。町の西端に着いた一行は、休憩所に座り込んでいた。

懐から取り出したあめ玉と小さなビスケットを分け合って食べる。空腹のまま激しい運動を続け、筋肉の分解が進む状態を避けるためだという。これほど過酷な状況でも体づくりを意識する、そのストイックさには驚かされる。




ここから再び堂前広場を通り、自分たちの地区へ帰らなければならない。闇の中、家々の間を縫うように進む帰路は、果てしなく長く感じられた。太鼓の重い地鳴りと、耳の奥に染みついたお囃子のリズムを頼りに、一歩ずつ足を踏み出して担ぎ続ける。


午前3時を回り、東三区の奉燈が元の路地へ静かに収められたとき、参加者たちは最後まで役目を果たしていた。奉燈を率いた青年団支部長が、かすれた声で担ぎ手たちをねぎらうと、運行の無事をたたえる拍手が静かに鳴り響いた。


濃密な時間が残したもの


モニターツアーを終えた「福島ッスル」のリーダー、福田さんは、「このお祭りをまったく知らなかったけれど、こうして深く関われたのはすごくうれしい。地域の人々にとって、これが年に一度の生きがいであり、とてつもない情熱が注がれていることを肌で感じられた」と、石崎の人々の思いに触れた喜びを語る。
2年目の参加となった尾崎俊介さんと小島智空さんは、今年初めて参加したメンバーとは異なる、リピーターならではの感想を語った。

「1年ぶりに奉燈を担いで、去年初めて参加させていただいたときのことがよみがえりました。今年は自分のことを覚えていてくださる方もいたのですが、やはり最初は、一つの船に乗っているような感覚になるまでに結構時間がかかるんですよね。自分としては、それを打破していく過程が祭りへの没入感や達成感につながりました。それも、この祭りに参加する楽しみ方かもしれません」(尾崎さん)。

「僕も今年で2回目なので、タイミングなどが分かっている分、去年より祭りに入り込めた感覚がありました。『福島ッスル』の皆さんにも『よばれ』を体験してもらいたかったですね。地元の家に上がって、おじいちゃん、おばあちゃんと話したり、ご飯を出してもらったりした『よばれ』の体験が、休憩時間も含めて本当に良かったです」(小島さん)。

「福島ッスル」の岸川さんは、「普通に生きていたら、人生で絶対に体験できなかった。今後何かつらいことがあっても、あのしんどいお祭りを最後まで頑張れたんだから、乗り越えられると思える。本当に来て良かった」と振り返る。過酷だった一日を思い出しながら、参加者の間には笑い声がこぼれた。奉燈を担ぐ行為そのものが、参加者に強い印象と達成感を残したことは、それぞれの言葉から伝わってくる。
約13時間に及ぶモニターツアーで参加者が得たのは、最後まで担ぎ切った達成感だけではない。地元の担ぎ手と肩を並べ、同じ掛け声に力を込めるうちに、石崎の人々が祭りへ注ぐ情熱を、自分自身の感覚として受け取っていた。初参加のメンバーが語った驚きと喜び、そして2年目の二人が感じた、前年より深く祭りへ入り込めたという実感。それらは、この体験が一度きりの見学とは異なる、濃密な時間であったことを示している。

石崎奉燈祭は、沿道から見上げるだけでも圧倒される祭りである。だが、奉燈の重さを肩で受け、掛け声を合わせ、夜明け近くまで町を歩いて初めて見える景色もある。決して楽な体験ではない。だからこそ、最後まで担ぎ切ったときの高揚感と、大勢の力で巨大な奉燈を動かす一体感は、鮮やかな記憶となって残る。
祭りを支える力になりながら、その土地の文化を体で知る。石崎奉燈祭のモニターツアーは、地域外の人が祭りの内側へ一歩踏み込み、石崎との関係を育てるきっかけとなった。参加者たちの充実した表情は、この祭りが新たな担ぎ手を引きつける力を持つことを物語っていた。

<石崎奉燈祭をもっと知る>
和倉温泉お祭り会館デジタルミュージアム:https://wakura-omatsuri.com/musium/
ショートムービー「石崎奉燈祭」
デジタル紙芝居「石崎奉燈祭」
能登の祭りに、もっと深く関わってみたい方へ
石川県七尾市の「和倉温泉お祭り会館」では、能登の祭り文化やその魅力を紹介しています。
また、地域では祭りを「見る」だけでなく、祭りの準備や担ぎ手など、実際に祭りを支える活動に参加できる機会も設けています。この記事を読んで、能登の祭りをもっと知りたい、実際に地域を訪れて祭りに関わってみたいと思った方は、ぜひ和倉温泉お祭り会館の情報もご覧ください。

▶「和倉温泉お祭り会館」
公式HP:https://wakura-omatsuri.com/
所在地:〒926-0175 石川県七尾市和倉町2部13番地1
開館時間:9:00~17:00(※入館は閉館の30分前まで)
休館日:毎月第2、第4水曜日、年末年始
交通アクセス:
- のと里山海道 和倉ICより 車で約6分
- JR和倉温泉駅より 車で約6分
- JR和倉温泉駅より 徒歩約20分
駐車場:大型バス5台、普通車(軽自動車)89台(無料)
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/wakura_omatsurihall