重さ約8トンの曳山同士を全力でぶつけ合う「かっちゃ」で有名な伏木曳山祭(ふしきひきやままつり)。
別名「けんか山」と呼ばれるこのお祭りは、その激しさと神々しさで見るものを圧倒します。この記事では、曳き手たちの熱い魂がぶつかり合う伏木神社春の例大祭・曳山祭について紹介します。
目次
伏木曳山祭「けんか山」とはどんなお祭り?
富山県高岡市伏木地区の人々に長年親しまれているこのお祭りは、伏木神社の春季例大祭として行われています。毎年5月15日に行われてきましたが、2022年からは5月の第3日曜日の前日、つまり土曜日に開催し、その前日の金曜日に宵山(前夜祭)を開くかたちに変更になりました。
最大の見どころは、土曜日の19時半と22時半から行われる「かっちゃ」。各町からの6台の曳山が別の町の曳山と全力でぶつかり合い、お互いの見栄を切りあいます。これこそがけんか山最大のクライマックスといってよいでしょう。
ここからは、主役ともいえる曳山の詳細とともにお祭りの流れをご紹介します。
昼はまったく別の顔!優美で華やかな花山
けんか山となる全面に提灯をまとった姿とはまったく違った姿。「花山」と呼ばれる昼間の曳山はとても華麗で、さらにこの「昼と夜のギャップ」も伏木の曳山の魅力といって間違いないでしょう。
曳山は高さ約8メートル、重さは約8トン。上山(うえやま:曳山の上部)には花笠のついた鉾柱を立て、最上部には鉾留と呼ばれる各町を象徴する標識がついています。神座には大人形と前人形が置かれ、運行時にからくりで動く様も大変見事です。
また、曳山の下部には「付長手(つけながて)」と呼ばれる巨大な丸太が括りつけられており、けんか山となるときに威力を発揮。この部分はとても勇ましい姿です。
曳山は6町それぞれに個性があり、名称も異なります。
●ひょうたん山(中町):子孫繁栄を象徴するひょうたんを掲げ、福禄寿を載せています。
●ささ山(上町):かつて船問屋が軒を連ねた富裕な町。大きな笹りんどうと布袋様が目印です。
●がんがら山(本町):唯一女性の神様・弁財天を載せ、大きな鈴がガランガランと音を立てます。
●せんまい山(寳路町):富貴蓄財の象徴である千枚分銅を鉾留に掲げ、恵比寿を載せています。
●じぃ山(石坂町):大きな「寿」の字と後へいの大輪菊の彫り物が特徴。大黒天を載せています。
●ちょう山(湊町):胡蝶を頂き毘沙門天を載せ、新興の町を象徴するような華やかさを誇ります。
ちなみに、かつては「ほらがい山(十七軒町)」という7台目の曳山も存在していたそうですが、明治時代の大火により消失してしまったそうです。
祭りの前日(宵山)には、山倉(曳山の格納庫)の前に6町の曳山がずらりと並んでライトアップされるので、豪華絢爛で迫力満点の曳山たちをじっくり見たい方におすすめです。
そして祭り当日昼間の「町内曳き」もぜひ見ておきたいところ。万歳を意味する「弥栄(いやさか)」に由来した「ア、イヤサー!イヤサー!」という威勢のよい掛け声が響く中、曳山は威風堂々、町中を練り歩きます。曳き手たちの表情にも日本海に春が来た喜びと、わが町の山への愛情と誇りが満ち溢れているようです。
曳山が通るルートは高岡市伏木地区市街地一帯。伏木の町の中央部「商工会議所」を中心に、奇数年は海側、偶数年は山側を曳き回すのが慣例となっています。
夜の「戦闘形態」への変身がカッコ良すぎる!
昼間の町内曳きが終わると、16時ごろ曳山が山倉に戻ってきます。そこで、それぞれの曳山はご神体を降ろし、花飾りを取り、約360個もの提灯を身にまとった提灯山、すなわち戦闘形態「けんか山」に変身します。暗闇のなか煌々と光り輝く提灯は、曳き手たちの闘志を象徴するようです。これから始まる「かっちゃ」を前に、曳き手たちの緊張感が伝わってきます。
メラメラと燃え盛る闘志をまとった6山は、昼間と同じように町内を曳き回され、祭りはますます盛り上がります。そして、いよいよクライマックス、19時半と22時半から「かっちゃ」が行われます。「かっちゃ」は「かちあう」が訛った言葉といわれており、その言葉の通り、曳山と曳山を激しくぶつけ合うのです。
勇ましい山鹿流出陣太鼓が鳴り響くと、曳き手たちの掛け声、そして地響きとともに曳山が勢いよく動き出し、全力でぶつかり合います。その激しさといったら、ぶつかり合う付長手の鉄輪同士が火花を散らし、8トンもの曳山が衝撃で浮き上がるほどです。
「かっちゃ」に勝敗はつきませんが、数回に渡るぶつかり合いの中で、日本海の男たちの熱い魂を感じることができるでしょう。言うまでもなく「かっちゃ」には危険がつきものです。そのため、祭りといえども当日曳き手たちは酒を断ち、女性曳き手たちのかっちゃ参加も禁じられているそうです。
2023年 伏木曳山祭 開催情報
●開催日:2023年(令和5年)5月20日(土)
●時間
昼の部…集合 8:45、曳出 9:00
夜の部…曳出 18:40、終了 24:00
かっちゃ…一部 19:30頃~、二部 22:30頃~
●会場:伏木地区市街地一帯(かっちゃ会場は法輪寺前、本町広場)
※宵山は 5月19日(金) 19:00~21:00まで、山倉前にて花山のライトアップを実施
※今年の曳山のルート詳細は曳山順路図(PDF)ご確認ください
伏木曳山祭の由来は?けんか山に込められた想い
伏木曳山祭は、諸説ありますが「日本三大喧嘩祭り」の一つに数えられるほど有名なお祭りです。
実は神輿や山車、曳山をぶつけ合う荒々しい喧嘩祭りは日本各地で行われています。ハレの日の無礼講から喧嘩が許される場合や、喧嘩の勝敗で吉凶を占う儀式的な場合など、「喧嘩」が持つ意味合いは祭りによってさまざまです。伏木曳山祭の「喧嘩」にはどのような意味が込められているのでしょうか?
曳山祭の起源とかつての伏木町
伏木曳山祭・別名けんか山の始まりは、江戸時代後期。布師浦(ふしうら)の蔵ヶ浜(ぞうがはま)に建立された伏木神社は、波浪の侵食を受けて何度か遷宮していましたが、波にさらわれそうになったため1814年(文化11年)9月24日、現在の地に遷されることとなりました。
この時、神幸供奉として伏木曳山が造られ、ご神体を運んだことから、曳山行事になったといわれています。
富山県は、かつて越中国(えっちゅうのくに)として栄え、豊かな自然を活かした産業とともに発展してきました。746年に国守として万葉歌人・大伴家持(おおとものやかもち)が赴任したことから、「万葉の里」と呼ばれ、深い歴史を今に伝えています。
伏木の町は、かつて越中国の国府が置かれ、北前船(大阪と北海道をつなぐ海上輸送ルート)の寄港地として、日本中の産品が集まる海陸交通の要所として繁栄しました。
伏木町は1942年(昭和17年)に高岡市に編入されますが、その後も伏木港は富山県の重要な外港となっています。しかし、富山県全体にいえることですが、近年は人口減少が著しく、現代の伏木は長閑な港町といった趣を湛えています。
長い冬に縛られた心と体を、春のけんか祭りで解き放つ!
富山県のもう一つの特徴、それは「冬が長い」ことです。気候は日本海側気候に属し、豪雪地帯に指定されています。風上の能登半島が風を弱めるため雪雲が停滞しやすく、深く重い雪は長い年で5月まで残ります。
そのため、富山の人々は長い間、雪とうまく付き合いながら生きてきました。富山の県民性ともいわれる勤勉さやがまん強さ、たくわえ(貯金)や譲り合いなど物や人を大事にする気持ちはこのように培われたといわれています。美味しい食べ物や地酒が多いのも、雪に閉ざされた暮らしを楽しいものにしようと先人たちが努力した結果なのかもしれません。
それでも、長い冬が終わり、雪が溶ける春の訪れは富山の人々にとって大きな喜びです。北陸日本海における春の到来を意味する5月〜6月は、「冬を越えたこと」を祝うかのように富山県各地で祭りが開催されます。
伏木曳山祭以外にも、福野夜高(よたか)祭、津沢夜高あんどん祭、岩瀬曳山車(ひきやま)祭、庄川夜高行燈(あんどん)、となみ夜高まつりのように、けんか祭りの形式をとる祭りが多いのも特徴。まるで、冬にため込んだエネルギーを一気に放出するかのようです。
けんか祭りは、がまん強い富山県民たちが日頃の不満やストレスを解き放ち、身も心も開放ガス抜きするためにも重要な行事なのかもしれませんね。
熱いパワーが集まる祭り・けんか山は、活力の源
春の訪れを喜び、魂を解放する。そして新しい季節へ向かう活力を得る。伏木曳山祭には、この地ならではの特別な想いが詰まっているように感じます。
静かな雪国の人々が熱い闘志を奮い立たせ、ぶつかり合う瞬間は、私たちにも大きなパワーをもたらしてくれるはず。今年は伏木曳山祭・けんか山を間近で感じてみてはいかがでしょうか?