東京都日野市では毎年1月中旬に、どんど焼きが行われます。地方の農村では見ることのできる伝統行事ですが、東京では中々見ることのない行事。そもそもどんど焼きとはどのような行事かと言うと、昨年の災いを払い、これから一年を何事もなく穏やかに暮らすこと、そして農作物を沢山収穫できることを願って、正月に飾った飾りものなどを市民が持ち寄り燃やす行事です。そんな東京の日野市のどんど焼きをレポートしたいと思います。
行って楽しい日野市のどんど焼き
JR新宿駅から快速で約40分。2020年1月19日に開催された豊田駅近くのどんど焼きに行きました。近くとは言っても、会場が浅川の河川敷だったため、豊田駅から10分程度歩きましたが、近くの山々が綺麗に見えたり、都心とは違った美しい景色が広がっていて、とても楽しんで会場まで歩くことが出来ました。
会場についたら既に沢山の人がおり、どんど焼きための着火を待っていました。松飾り等が高く積み上げられており、受付ではどんど焼き団子と、団子を焼くための枝の配付に長蛇の列が出来ていました。火を扱う行事のため、消防隊の人の配置も厳重に行われており、日野市消防団が第49回東京都消防操法大会で優勝したこともあってか、各所で消防団の気合いの入り方を感じ取ることが出来ました。
豊かな自然と充実の食
日野の豊かな自然の中で、お団子(繭玉)を焼いて食べるのは非常にグルメです。どんど焼きの団子は、正月飾りの神様へのお供えとして家に飾ったものをどんど焼きに持ち寄り、正月飾りや書き初め等を燃やした残り火で焼いて食べます。この団子を食べると、その年は風邪をひかない、虫歯にならない、健康で過ごせる等と言われているようです。
地域によって「繭玉」「舞玉」「生業木(なりわいぎ)」「木団子」「餅てまり」等と呼び名が異なったり、どんど焼きの団子の形状や枝への刺し方等に決まりのある地域もあるようです。日野のどんど焼きでは、1本の長い木の枝の先に、幾つかお団子を刺すというスタイルのようでした。筆者の地元「長野県松本市」では、複数の枝がまとまったものに沢山の小さなお団子を付けて焼くスタイルで、大体雪が降っている中、灯油か何かを巻きながら、どんど焼きをやっていた記憶があります。
日野市のどんど焼きでは、お団子以外にも、自治会で芋煮を提供してくれたり、屋台も出ており、豊かな自然の中、食が充実していました。
どんど焼きと日野の歴史
日野市は今では日野自動車が有名ですが、元々長いの間、農村地帯でした。江戸に幕府が置かれる前から、用水路を整備し「多摩の米倉」とも呼ばれる程の稲作地帯。高度経済成長期によりベッドタウン化し、それに伴い田んぼが無くなって行くのと同時にどんど焼きは姿を消して行ったそうです。ところが、現在じわじわと復活し、市内では現在15ヶ所程で行われているようです。東京は地方出身の方が多く、日野のどんど焼きは、地元のどんど焼きを思い出す機会にもなりますし、そんな懐かしさを感じる伝統行事は、田んぼが無くなりつつあっても、形や場所を変えながら、これからも継承されていくのでしょう。
発展するどんど焼きの今
現在のどんど焼きの様子を動画でお伝えしましたが、雰囲気は伝わりましたでしょうか。小正月になると、サイノカミを祀り、旧年の災いを払い、これから一年の平穏と農作物の豊作を願うどんど焼き。正月飾りや書き初め、だるまやお守りを燃やした火で繭玉を焼いたり、甘酒がふるまわれたりしながら、無病息災を願います。地区ごとに昔から続く習わしも残されていて、ちょっと昔の日野へタイムスリップが出来ますよ。この昔からの風習を今に伝える日野市の「どんど焼き」を体感してみませんか?
日野市観光協会 http://shinsenhino.com/archives/info/181217140551.php