宮崎県の海岸沿いのほぼ真ん中に位置する川南町。例年であれば「フェスティバル イン トロントロン」という名のお祭りでにぎわっていた。しかし、新型コロナウイルスの流行により中止を余儀なくされた。
口蹄疫から10年で復興を遂げた町民の強さを見せつけるかのように、今回も再び立ち上がり「川南町民エール花火大会2020」が開催されることとなった。
フェスティバル イン トロントロンとは?
「トロントロン」とかわいらしい響き。この由来は諸説あるが、雄大な尾鈴山を背に湧き水の多い土地であり、その湧き水の音が「トロントロン」と響き渡ったところから、という由来があるそう。川南町を象徴するかのように交差点名や通りの名前にも使用されている。
毎年夏頃に若者連絡協議会(以下、若連)が主体となり、町で一番盛大なお祭りと締めくくりの花火大会「フェスティバル イン トロントロン」が行われている。その歴史は今年で34年。
34年前に10名ほどであった若連の元祖「トロントロンSS」が始めた音楽祭が年を追うごとに盛大となり「フェスティバル イン トロントロン」と名を変え、また口蹄疫の時には花火大会のみを行い、時に町民にとっての励みとなり川南町は歴代の若者によって盛り上げられてきた。
-若連って?
町内の農協、漁協、商工会青年部、SAP会議(SAP:Study for Agricultural Prosperityの略で農業繁栄のための学修の会)のおおよそ40代くらいまでの若者の異業種間交流の場でもあり、イベント時の主催となり町を盛り上げていく。
PRIDE OF KAWAMINAMI~主催者の想い
2020年実行委員長にはいちご農園を経営する若者が選任された。町民が笑顔で楽しむ姿を思い描きながら会議を重ね、前年までを参考に催し物も熟考した。
…ところが、コロナ禍の中、会議すら開催できなくなった。SNSなどを使用して実行委員会内でなんとか話し合いを続けた。しかし、とどめを刺すかのようにイベントや飲食店等への自粛・休業要請。
中止を決断するしかなかった。
34年の歴史を持つお祭りが途絶えることになった。
-10年前。家畜伝染病である口蹄疫が大流行し、町の人口の10倍に当たる16万7千頭の牛や豚などの家畜が殺処分された。
あの時も町の人々は伝染病の蔓延を食い止めるために尽力した。
川南町民には口蹄疫を乗り越えた強さがある。
このまま終わる訳にはいかない。
「若者が元気に町民を引っ張っていく町でなければ」
一度は諦めたフェスティバルの開催。花火大会だけでも開催しようと、再び立ち上がったのである。
町民を元気づけるための町民向けのエール花火とした。
実行委員の誰もが前例がなく経験のない事である。100名余りの人数を強みに、みんなで相談し合い作り上げていき、花火大会当日を迎えたのであった。
川南合衆国 川南町ってこんなところ
川南町は戦後の開拓地であり、青森県十和田市、福島県矢吹町と並ぶ日本三大開拓地の一つである。
開拓者たちの出身地が全都道府県に及び川南合衆国と呼ばれるほど。
現代ではサーフィンのメッカとなっており、キラキラと輝く青い海でのサーフィン目当てに全国各地から移住者がやってくるという。
広大な宮崎平野には取れない作物はないのではないか?というくらい様々な農産物が生産される。
また、口蹄疫から立ち直って畜産業も盛んである。「ランチにはお肉を!」と地元の人からのおすすめも。
この「かわみなみPLATZ」は九州では珍しく高速道路のパーキングエリア併設型施設で、一般道からも入店できる施設である。
お土産品も充実している。
川南町で作られている「NEXT716」のバナナも人気で1本600円超と高級品でありながら、無農薬で作られているので皮まで食べるバナナとして人気だそう。
おいしいものが次々と目に飛び込んでしまい、今後も足を運ぶことになりそうだ。
10年目の願いの花火
今年は自宅周辺からの観覧を推奨とした。
会場まで遠い町民にはライブ配信も用意した。
どの方法で観覧しても公平になるよう音楽花火を構成しなかった。
10年前のあの状況を乗り越えた時と変わらぬ「フロンティアスピリット」を讃える花火が打ち上がった。
銀一斉が川南の夜空と未来を明るく照らし川南町民エール花火大会2020の幕を閉じた。
街のどこへ行っても若者が元気で優しくたくましく、元気をもらった。
来年はフェスティバル イン トロントロンが盛大に行われることを祈る。