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血を吐き釜茹でにされる亡者…千葉県の地獄劇「鬼来迎」の世にも 恐ろしい世界観に迫る

2023/8/29
2024/3/5
血を吐き釜茹でにされる亡者…千葉県の地獄劇「鬼来迎」の世にも 恐ろしい世界観に迫る

ホッホッホーという鬼の叫び声が聞こえる。物語から抜け出てきたかと錯覚する恐ろしい光景…。全国的にも非常に珍しい地獄劇「鬼来迎(きらいごう)」での一幕だ。

千葉県山武郡横芝光町虫生の広済寺に伝わる、世にも奇妙な行事の真髄とは?2023年8月16日に現地を訪れた様子とともにお届けしよう。

鬼来迎とは何か?

「鬼来迎」は、毎年8月16日に広済寺で行われる全七段からなる地獄劇だ。その芝居の演目は地獄の苦しみを描いた「大序―賽の河原―釜入れ―死出の山」の四段と、広済寺建立縁起を物語る「和尚道行―墓参―和尚物語」の三段からなる。

全劇において通底する物語は、因果応報や勧善懲悪といった要素を含んでおり、その展開にも着目いただきたい。昭和51年には国指定重要無形民俗文化財に指定され、日本全国でも珍しい地獄劇として注目を集めている。

地獄に連れられた亡者の物語

それでは、当日の様子を振り返っていこう。2023年は8月16日の15時半ごろから、千葉県横芝光町の広済寺にて1時間ほど行われた。広済寺までは横芝駅から徒歩45分ほどかかるので、今年は初の試みとして往路2本、復路2本の無料バスも走っており、大変ありがたかった。

ここからは、全七段でそれぞれどのような物語が展開されたかについて振り返っていきたい。

生前の罪の審判が降りる「大序」

最初の「大序」の場面では、登場する鬼婆(おにばば)に赤ちゃんを抱いてもらうと健康に育つとも言われており、赤ちゃんを抱えた家族連れがカメラ片手に列をなす。「虫封じ」と呼ばれ、わめき声の原因ともなる「疳(かん)の虫が騒ぐ」ことを防ぐ意味合いもある。

これは鬼という「魔」が、災厄という「魔」を祓う考え方だ。ここでは亡者を苦しめるはずの鬼婆が赤ちゃんを泣かせることで、逆に「健康」という福をもたらすのは非常に興味深い。人々に福をもたらす怖い存在、例えばなまはげや獅子舞などとも似た善悪両義性を感じる。

この「大序」では虫封じの後、地獄の閻魔の裁き所がクライマックスとして存在する。閻魔大王、倶生神(くしょうじん)、鬼婆、黒鬼・赤鬼が次々と登場し、最後に登場するのが亡者だ。

閻魔大王(左)、倶生神(右)

鬼婆(右)

黒鬼(右)

赤鬼

白い服を被ったのが亡者

生前の罪を判じることになり、「娑婆国中の大悪人」という判が下ると、鬼たちが亡者を連れ去っていく。

地獄の閻魔の裁き所に関しては、こちらの動画も参考にしていただきたい。

鬼に襲われるが救われる「賽の河原」

さて、亡者には次々と苦しみが降りかかってくる。子供の亡者達が石を積んで遊んでいるところへ、黒鬼・赤鬼が出てきて捕らえようとする。そこへ地蔵菩薩が現れ鬼を打ち払って亡者達を救い出す。ここでは無事に菩薩に救われたのだ。

亡者が吊るし上げにされる「釜入れ」

しかし、再び場面は一転し、地獄の釜茹でが始まる。亡者は逃げ惑うけれども、しまいに鬼婆によって釜に投入されてしまう。

茹で上がった亡者は、鬼によって棒に吊るされて運ばれていく。首を切って食おうとしているように思われる。

窯の中で茹でられる

亡者の首を吊るし上げて退場

口から血を出して苦しむ「死出の山」

次もなかなか恐ろしい光景だ。亡者はお椀を手に持たされる。しかしそれはなんと火が飛び出す椀だった。爆発して煙がもくもくと立ち込める。その後、「死出の山」へと追い上げられた末、その頂上で背後から大石を頭に直撃させられ、口からビュッと血を流す。散々な目に遭わされた亡者は意識朦朧としているようだ。

それから観音菩薩が現れて、亡者を救い、鬼と問答をかわして悠々と退場する。鬼は非常に悔しがって亡者の卒塔婆を抜き取る。そして、「さては成仏いたせしか」とそれを投げ捨て怒号を発するのだ。ここで、亡者は苦難の末、菩薩によって成仏されたこととなる。

手元のお椀が燃える

死出の山に登らされる

大石をぶつけられる

血を吐く

観音菩薩によって救済される

さて、7演目のうち最後の3演目「和尚道行―墓参―和尚物語」は現在、演じられていない。ただし、この演目はこれからご紹介する「鬼来迎の起源」と話の展開が同じと言われている。それを踏まえながら、演目の様子を想像していただけるとよいだろう。

鬼来迎の起源は?

この珍しい地獄劇の成立は鎌倉時代初期に遡る。薩摩の国の石屋(せきおく)和尚という人物が諸国を遊行していた時、虫生(むしょう)の里で真夜中に「妙西信女(みょうさいしんにょ)」と書かれたまだ新しい墓を見つけ、その前で鬼が娘の亡者を鉄棒で責める様子を目撃してしまう。

その翌日、石屋和尚は墓参りに来た娘の父・安芸守とその妻と出会い、昨夜に見た地獄のような光景について伝える。それを聞いた安芸守は自分の悪行を悔いて、娘の墓堤を弔うため建久7年(1196年)の夏、慈士山地蔵院広西寺を建立した。

その後、石屋和尚と安芸守夫婦が亡き娘の卒塔婆をたてて苦しみや困難から菩薩の力で救われた情景を夢に見た鎌倉の彫刻師が虫生の里を訪ねてきた。そして鬼面を彫ったことで、地獄劇「鬼来迎」が生まれた。この物語を表現するのが、「和尚道行―墓参―和尚物語」の三段でもある。

参考:横芝光町商工会ホームページ「鬼来迎」解説ページ

得体の知れない沼に導いてくれる

鬼来迎を初めて拝見して、改めて人間の想像力の素晴らしさを感じることができた。実際にこのような昔話は存在しそうだが、それを実際に本格的な民間劇の形で語り継ごうとしたのは並々ならぬ想いがあったに違いない。

実際に身体的な所作として地獄の様子を詳細に想像したのだろう。例えばホッホッホーなどの鬼の叫び声はどのようにして成立したのかは気になるところだ。想像を膨らませながら地獄劇を眺めることは、スリル満点の恐ろしさの裏にある、何か得体の知れない沼に我々を導いてくれる。

この底知れぬ沼の魅力は、中世の人々が広めてきた仏教思想に対して、一般民衆が帰依するきっかけを作ってきただろうし、国指定重要無形民俗文化財として貴重なものを受け継ごうとする現代人の心にも訴えかけるものがあるように感じた。

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