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盛岡市消防出初式をレポート!江戸で大活躍の「南部火消」とは?その伝統を継ぐ活動とは?

2022/1/20
2022/1/21
盛岡市消防出初式をレポート!江戸で大活躍の「南部火消」とは?その伝統を継ぐ活動とは?

毎年1月の第二週に開催される盛岡市消防出初式。2022年は1月9日(日)に盛岡市内中心部にある岩手公園(盛岡城址公園広場)で式典が開かれ、その後、参加者と消防車両のパレードが行われました。

今回はその様子と、盛岡市消防のルーツといえる江戸で活躍した「南部火消」について、その伝統を受け継いで担うお祭りについてもご紹介します。

約500名・30台以上の車両による壮観な消防パレード

出初式は式典からスタートしました。コロナ禍で参加者の規模は縮小となりましたが、消防団長、谷藤裕明盛岡市長が訓示を述べ、参加された消防団員の方たちは自覚を新たにしていたようです。

消防パレード雪の中の出初式

消防パレード出初式は式典からスタート

式典後は大通り商店街、映画館通りへと向かい、およそ400メートルをパレードします。
パレードには盛岡市消防団から約470名、消防ポンプ自動車など30台、そして盛岡地区広域消防組合から20名、はしご車、化学消防車、救助工作車、救急車の4台が参加し、整然と行進しました。

 

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いつもは、地域の安全を守る役目として縁の下の力持ちのような役目が多い中、この一日は「主役」です。堂々と歩く姿に沿道の観覧者は大きな拍手を送っていました。

盛岡市消防のルーツ「南部火消」と江戸の大火との関係は?

盛岡市消防のルーツといえるのが、かつて盛岡が南部藩だった時代に、江戸でも活躍し名声をとどろかせた「南部火消」です。

盛岡市南部火消年表によりますと、1641年(寛永18年)1月29日に起きた「桶町火事」は、夜11時ごろ江戸京橋桶町1丁目北側の薬煎じの松庵より出火し大火となり、民家1930戸、武家屋敷130軒を焼失し、死者は数百人という大惨事となりました。

この大火の時、江戸にいた南部重直公は遠慮謹慎中にもかかわらず臣下を引き連れて消防に大活躍しました。そして、将軍家光公により大変なお褒めをいただきその罰を免除されたといいます。
重直公はもちろん、家臣たちはこの御恩赦に感激し、その後消防の任を大いに研究したそうです。

その後、1650年(慶安3年)には、盛岡城下にも城下火廻番(じょうかひみまわりばん)などの防火組織が設置されています。

消防パレード四分団、い組の半纏と刺し子半纏

一方、江戸では1657年(明歴3年)1月18日 、本郷丸山の本妙寺より出火し、死者は10万7千人余り、「振袖火事」とも呼ばれ、世界三大大火の一つに数えられる「明暦の大火」が発生しました。

この大火に際しても、南部重直公は、自ら率先して士卒を連れ出しその防留に努めました。「その雄姿は他藩の諸侯驚くばかりであって、将軍はこの主従一体の働きを大いにお褒めになった」と南部火消年表に記されています。

また、この大火が江戸の町火消誕生の契機ともなったと同時に、江戸で南部藩火消の名声が高まったそうです。

消防パレード盛岡八幡宮例大祭の山車 南部重直公の雄姿

そして盛岡では1665年(寛文5年)、城下の各町みずからが火防を主とする番所を置くようになり、町民による町火消の歴史が芽生えます。

江戸火消との深い繋がりから同じ様に「組」の歴史も始まり、纏(まとい)や半纏といった火消の文化も発展していきました。

現在の盛岡市消防団は?

消防パレード町を守る消防団 盛岡八幡宮のお膝元 第四分団番屋

消防団員は、他に仕事を持ちながら団員の活動をしている方がほとんどです。その活動はボランティア精神で成り立っています。

最近は、女性団員が増えている反面、男性団員が少なくなっています。そのため、盛岡市内の消防団では、新人の市役所職員が各団体に入団して活動をしています。ですがその後も団員として活動を続けていく人は少なく、消防団全体の悩みとなっています。

南部火消の伝統を守り、担う「盛岡八幡宮例大祭」「裸参り」

盛岡市消防団の方たちは、日夜献身的に消防防災活動にあたるとともに「南部火消伝統保存会」を組織して、お正月の「裸参り」や「盛岡八幡宮例大祭」の山車の運行といった南部火消の伝統行事の保存、伝承活動にも精力的に取り組んでいます。

毎年1月15日頃のどんと祭にあわせて行われ、無病息災や五穀豊穣、無火災などを祈願して裸衆の隊列が参拝する裸参りは、古くから消防分団が主体となり、地域の神社など市内6箇所で今日まで続けられてきました。

手に持つ「はさみ」と呼ばれる3mほどの長い棒や、「くわえ」と呼ばれる三角の白い紙の事前準備、当日の隊列への参加はもちろん、参加しない団員も沿道に立って参加者の「くわえ」を静かに交換しながら観客が列に入ってこないようガードするなどのサポートを行っています。

今年の裸参りは、新型コロナウイルスのために中止になりましたが、盛岡八幡宮のお膝元、八幡町の第4分団と紺屋町の第5分団が一緒に「提灯行列」を行い、コロナ退散を願いました。

消防パレード午後6時、第四分団の番屋を出発

消防パレード各団体の提灯を掲げ静かに進む

消防パレード沿道の皆様から拍手などの応援を受ける

そして、「盛岡八幡宮例大祭」は毎年9月14日~16日の3日間行われ、五穀豊穣や健康に感謝するお祭りです。祭りの主役ともいうべき豪華絢爛な山車の運行は、長く南部火消たちによって担われてきました。

さらに消防団は、各団体の山車作り、お囃子や音頭上げの指導もします。そして祭りの期間、事故がないように参加者の安全を守りながら祭りを行っています。

まとめ

消防パレード市内の消防団の消防車が勢ぞろい

今回の記事では、盛岡市消防出初式の様子と「南部火消」の歴史、その精神と伝統を受け継ぐ活動についてご紹介しました。

出初式のパレードには、地域を盛り上げている消防団の雄姿に日頃の感謝の気持ちを込めて、筆者も拍手を送りました。

いつもは見ることができない、はしご車、化学消防車などに興味のある方も楽しむことができます。来年は、消防の歴史を感じながらお出かけしてみてはいかがでしょうか。

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