日本人にとって、欠かすことのできない年中行事のひとつが、初詣です。
現代では、無病息災はもちろん、恋愛成就や合格祈願、商売繁盛といったように、目的に応じてそれらに御利益がある神社仏閣に足を運んで参拝する方も多く、年末が近くなると神社仏閣の広告やテレビCMも増えてきます。
しかし、そのように初詣のために人々が遠出をするようになったのは、実は最近のお話なんです!
今回この記事では、意外と知られていない初詣の成り立ちや、時代に合わせてどのような変化を辿っていったかをご紹介します。
年始に神社仏閣に挨拶に行く理由とは?
そもそも、なぜ年明けに神社仏閣へ挨拶へ行くのでしょうか。
その理由は、旧年を無事に過ごせたことに感謝の意を神様に捧げるとともに、新年が良い年になるように社寺にて願掛けを行うためです。
初詣へ行くと、神様に感謝を捧げ願い事をしたり、お守りやお札を買ったり、絵馬に願いを書いたりします。
一方、家庭では、お正月にはお雑煮を食べたり、正月飾りを飾ったりしますが、これらの正月行事も、実は初詣と同じように、神様への感謝を捧げて新年の願掛けをするためのものだったのです。
初詣と鉄道の意外な関係
今でこそ、お正月に神社へ参拝しに行く行事を初詣と呼びますが、この「初詣」という言葉は1885年の『東京日日新聞』で用いられたことがきっかけとされており、もともとは「年籠り」という名の行事でした。
年籠りの習慣は少なくとも平安時代からは存在したと言われており、初詣とは違い、その土地の氏神様がいる神社に参拝に赴きます。
そこで、大晦日の夜から元旦の朝まで一晩中神社にこもって五穀豊穣や家内安全を祈願するという、大変ハードな行事でした。
また、当時は土地によって祈る方角も大切とされていました。
それが明治時代になり、鉄道が発達してきたことで、人々が場所や方角に縛られる事がなくなり、好きな場所へ参拝するようになりました。
こうして、年籠りから現代の初詣へと変わっていったのです。
川崎大師の鉄道プロモーションがはじまり?!
大正時代、当時は横浜~川崎間には各駅停車の汽車が走っていました。そんな中、大正時代の神奈川県民の初詣スポットとして人気を博したのが川崎大師。当時参拝者は三が日で100万人にのぼり、とても各駅停車だけでは人数が捌けなくなってきました。
1872年には急行列車が川崎に停まるようになります。これがきっかけで、鉄道会社と初詣という新たなプロモーションが始まり、日本の鉄道会社による壮絶な参拝客の争奪戦の火ぶたが切って落とされることになります。
鉄道会社による参拝客の争奪合戦!
1872年の横浜~川崎間の急行列車開通をきっかけに全国各地で鉄道会社による参拝客の争奪戦が始まりました。
神奈川県では、その後川崎大師の人気にあやかって、1899年に後に京急電鉄となる大師電鉄が、官営鉄道の川崎駅付近と川崎大師をつなぎました。
これがいわゆる「参詣鉄道」というフレーズが誕生したきっかけです。
その後、大師電鉄は品川へ延伸し、官営鉄道と激しい集客競争を繰り広げます。
その盛り上がりが新聞で急速に広まり、東京近郊・関西地域でも初詣が広まっていったのです。
時代の移り変わりとともに、国民的行事へと浸透していく
こうした争奪戦を経て、鉄道のプロモーションと同じくあらゆる神社仏閣の御利益が広く知られるようになりました。
そして、人々が電車に乗って初詣に行くという国民的行事が浸透していったのです。
2021年は新型コロナウイルス蔓延の影響で分散参拝が呼びかけられ、「オンライン初詣」という新たな試みも本格化しました。
今後も時代の変化に合わせて、初詣はその姿を変えていくのかもしれません。
まとめ
今回は、初詣の意外な成り立ちと、その変遷について時代のながれと一緒に解説をしてきました。
鉄道の発達が、初詣の浸透にこんなにも貢献していたことに驚いている方もいるのではないでしょうか。
しかし、いつの時代も神様に感謝する気持ちだけは決して変わりません。
これから、どんなに姿かたちを変えようと、その気持ちだけは人々に受け継がれていくことを想像すると、とてもロマンティックですね。