令和2年は大変な年となりました。第3波ともいわれる新型コロナウイルスの感染拡大が今も続いています。世の中は自粛ムードに包まれていて、秋のお祭りも春夏同様に中止が相次ぎました。春に開催予定だった祭りを秋に延期しても、その秋のお祭りでさえも開催ができず、悔しい思いをしている人たちも多くいるのではないでしょうか。私もその一人です。祭りで春夏秋冬を感じる生活をしていたため、もう年末なのかと感じます。
そんな中でも諦めず祭りの雰囲気を楽しもうとしている人たちがいました。毎年4月の第3週土曜日と日曜日に、愛知県の下半田地区で行われている山車祭り。この祭り関係者が営む居酒屋が知多半田駅近くにあります。
居酒屋から始まる、祭りの火を絶やさない伝承の動き。コロナを乗り切り、祭りを発信しようとする人たちを取材しました。
愛知県半田市は山車祭りの宝庫
愛知県半田市。愛知県知多半島の中央部に位置するこの市は、山車祭りの宝庫です。江戸時代から醸造業や運送業などで栄え、商業や製造業を中心に発展してきたこの町では、豪華で精密な彫刻が施された、立派な山車がいくつもあります。例年3月から5月にかけては「春の山車祭り」として山車祭りが次々と週替わりに開催されています。5月3日と4日に開催される「亀崎潮干祭」は国の重要文化財に指定され、2016年にはユネスコ無形文化遺産にも登録されました。5年に1度開催される「はんだ山車まつり」では、市内10地区市内31輌の山車が横一列に並ぶ姿を見ることができます。
今回の舞台もその10地区の一つ「下半田地区」です。半田山車祭り保存会のHPによると、下半田地区の山車祭りは、業葉神社と山之神神社の祭礼で、1739年(元文4年)から既に存在していたとのことです。神輿の警護役として4台の山車の巡行が行われていて、儀式のほかに山車の上では三番叟も行われます。そして、この地域の人たちは山車のことを「おくるま」と呼びます。
下半田地区の隠れ家的居酒屋
下半田地区にある知多半田駅から徒歩5分ほどの場所にある隠れ家的な和・洋酒屋「ジャポネ」。花札のような看板が目印のこのお店では、パスタやサラダ、自家製のカレーなど様々な料理がリーズナブルな価格で楽しめます。
店内に入るとまず目に入るのが、こちらのミニチュアの山車。店長の手作りです。
ボーダーの帽子をかぶったこちらが、店長の新美茂さんです。ジャポネの店長であり、下半田地区の南組に所属する祭り人であり、ミニチュア山車作りの師匠とも呼ばれています。
新美さんがミニチュアの山車を作り始めたのは小学4年生の時。当時から祭りが大好きだった新美さん、おもちゃ屋さんに行っても山車の模型がなくがっかりしたとのこと。「京都の山車のプラモデルも買ってもらったこともあるが、車輪が動かなくてショックを受けた。どうしても動く模型が部屋に欲しいと思い、自分で作ることにしたのがきっかけ」とのこと。完成した時はとても感動し、祭りがない時期でも縄を引いて遊んでいたそうです。
社会人になると仕事で東京へ行くことになり、山車祭りから離れた生活をしていた時期もありましたが、下半田地区へ帰ってきてお店を開くようになってからは、再度祭りにのめりこんでいったそうです。
小学生から始めた山車づくり、作った山車は全部で30台ほどに。新美さんのこだわりは、縮尺にこだわらないこと。自分の好きな角度から見てかっこよく見えるように作っていくとのことです。最後にバランスをよくすることで、自分だけのオリジナルの山車を作っています。そんな新美さんの祭りにかける思い、師匠としてミニチュアの山車にかける思いが今ではほかの祭り人たちを巻き込んでいます。
手作りの山車で伝統継承
店が休みの日曜日には地元の小学生、中学生、大人が集まりミニチュア山車づくりをする会を開催。コロナ禍という事もあり、マスクをしながら黙々と作業をしていました。この日集まったのは中学生とその親御さんなど、6人。
自分が制作しているミニチュアを持ち寄り、思い思いに作業を進めていました。その中の一人、中学2年生の杉浦成さん。
下半田地区の中組に所属し、約10年祭りに関わっています。新美さんの影響から去年の冬から作り始め、今ではお父さんまで一緒に作るようになりました。自分の好きな山車を、世界に一つだけの山車を作れることが魅力的で、うまくできるととても楽しいと語ってくれました。また、自分は1台も作り上げていないので、師匠の山車を見るとすごいと感じるとも話してくれました。
細かい作業はもともと好きだった杉浦さん。自分の組の山車の写真を見ながら作る姿は、真剣そのもの。
新美さんのこだわりはオリジナルを作るという事だけではありません。作り方を教えながら、「山車に使われている部材の名前なども教えている」といいます。今の子どもたちは携帯やゲーム機で遊ぶことが多く、大人と一緒に何かを作ったりはしないので、自分が山車作りを通して祭りを次の世代に引き継いでいくことをしているそうです。
また、もう一つ新美さんにはこだわりがあります。それは「お金をかけない」という事。
「子どもの頃はそんなに良い木を買うお金の余裕もないし、精密に木材を削ったりする道具もないので、ホームセンターなどで購入できる木材で一緒に作れるように教えています」と新美さんは言います。掘り起こすような作業は使う道具も特殊であるため、その部分は厚紙で代用したり、100円均一で購入してきたり、新美さんが使っている塗料をみんなで使いまわしたりするとのこと。「お金をかけず、自分だけの立派な山車を作ってほしい」と語ってくれました。
次の世代へ魅力が引き継がれていく
新美さんと一緒に作り方を教えているのは、新美さんの一番弟子、木全将太さんです。今年の1月に山車を作り始め、すでに2台完成させました。師匠は木全さんの父の後輩で、作り始める以前から仲良くしてもらっていたとのことです。始めは自分には作ることができないと思っていたそうですが、教えてもらいながら制作し、完成したものを手にした時はとても感動したとのことです。
そんな木全さんは、自分が作るだけではなく地域を超えて、山車作りの良さを沢山の人に知ってもらおうとYouTubeを開設、山車作りを広めるユーチューバーとしても一歩を踏み出し始めました。
下半田地区の居酒屋から世界へ。祭りにかける思いが引き継がれたその後は、別の記事にてご紹介します。