「七夕」は中国・日本・韓国・台湾などにおける節供の一つで、「星祭り」とも呼ばれます。
この記事では、七夕伝説やそのゆかりの地・お祭りの見どころについてご紹介していきます。
七夕伝説が残る地域
織姫と彦星は七夕の夜に再会という「願い」を叶えます。
この伝説にあやかり、民衆は「2人のように自分の願い事も叶いますように」と祈りを込めて短冊に願い事を書き、竹の葉や笹に飾るようになりました。古来から、冬でも緑を保ち真っ直ぐに育つ生命力に溢れる竹や笹は、神聖な植物だと考えられてきたためです。
三重の「つ七夕まつり」のような、祭りの後に竹や笹を川や海へと飾りごと流す風習も「けがれを祓ってもらう」といった意味があります。
こうした風習が変化しながらも残り、現代の日本で七夕は「離れ離れになってしまった織姫と彦星が年に1度だけ天の川を渡って会うことができる日」「願い事を書いた短冊を竹に吊るすと叶う日」として、子供から大人まで広く親しまれています。
七夕伝説発祥の地、大阪府交野市「機物神社」
「機物神社(はたものじんじゃ)」がある交野市から隣の枚方市にかけての「交野が原(かたのがはら)」と呼ばれる丘陵地帯は、日本における七夕伝説発祥の地とされています。機物神社は全国で唯一「織姫」にあたる「天棚織比売大神(あまのたなばたひめおおかみ)」を御祭神として祀っています。
例年7月上旬に開催される機物神社の七夕祭りでは、一般的な短冊の他に「はがきの木」が用意されています。
これは文字通り、葉の裏に木の枝で文字を書くものです。はがきの木に書かれた文字は、時間の経過で徐々に浮かび上がってくるようになっています。七夕祭りの日は短冊ではなく、こちらに願い事を書く方も多いようです。
「七夕石」が祀られる滋賀県米原市「蛭子神社」
この地に残る七夕伝説は、星川稚宮皇子(ほしかわわかみやのみこ)と朝嬬皇女(あさづまのひめみこ)の悲恋が元となっています。互いに天野川を隔てた地で仏道の修行に励む中恋に落ちるも、修行中の身であったために叶わぬ恋に終わってしまったというものです。
「蛭子神社(ひるこじんじゃ)」の境内には「七夕石」と呼ばれる朝嬬皇女の墓が、「天野川」を挟んだ対岸の「朝妻神社(あさづまじんじゃ)」の境内には「彦星塚」と呼ばれる星河稚宮皇子の墓が祀られています。
さらに、蛭子神社の由来を記した文献には「7月1日から7日間の間男は蛭子神社へ、女は朝妻神社へ祈りを捧げ、7日目の夜半に男女2人の名を書いた短冊を結び合わせて天野川に流すと恋愛が成就する」といった記述も残っているそうです。
こうした言い伝えにあやかろうと、現在でも7月1日から7日の期間には、双方の神社へ参る人々が後を絶ちません。
翌週には蛭子神社で短冊祈願祭が執り行われることもあり、隠れた恋愛成就のパワースポットとして知られています。
七夕の里で1300年にわたり信仰される福岡県小郡市「媛社神社」
「七夕の里」として知られる福岡県小郡市に位置する「媛社神社(ひめこそじんじゃ)」の歴史は古く、8世紀頃の文献には既にその名が登場しています。
文献には「姫社神(ひめこそかみ)」「織姫神(おりひめかみ)」を御祭神として祀っていた、との記述を見ることができます。
例年、媛社神社の七夕祭りは毎年8月7日に行われます。多くの地域では媛社神社で七夕祭りが行われる頃、既に七夕行事は終了しており、役目を終えた短冊が全国各地から奉納されるのが媛社神社です。
期間中、奉納された短冊は神社の境内に所狭しと飾られ、最終日にお焚き上げが行われます。
一度に色鮮やかな沢山の短冊を見て楽しむことができるのも、媛社神社の七夕祭りの魅力の1つです。
まとめ
今回は日本に残る七夕伝説ゆかりの地を紹介しました。
こうして古くから伝わる織姫と彦星のお話が、時代を経た今も親しまれているのは、とてもロマンチックですね。
日本の夏の夜を賑やかに、そして鮮やかに彩る各地の七夕祭りへ、ぜひ一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。