2023年10月8日、京都市左京区で「八瀬赦免地踊」が開催されます!
美しい切り絵の灯籠を掲げ、道歌を歌いながら暗闇を歩く行列に幽玄を感じるこの祭。この記事では、2021年の現地レポートとともに、2023年の開催情報をお届けします。
目次
「八瀬赦免地踊」洛北の奇祭
京都在住ライターの佐々木です。この記事では10月体育の日(祝日)の前日に行われる京都市登録無形民俗文化財「八瀬赦免地踊(やせ しゃめんち おどり)」をご紹介します。洛北の奇祭とも呼ばれる、希少な地域の伝統を残したお祭りです。
京都八瀬
京都駅からバスで1時間ほど。大原三千院に向かう途中に八瀬はあります。
比叡山延暦寺の麓で、日本海へ向かう鯖街道が通る立地です。
八瀬赦免地踊の源流にある「八瀬童子」とは、どのような人々?
比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(かよちょう/籠をかつぐお仕事)をしていた「八瀬童子」は古くから皇室にご奉仕し、深い繋がりをもつ人々です。
南北朝1336年に後醍醐天皇が比叡山御潜行をされた際に駕興丁を承り、お守りしたことから今も天皇家とのご縁が続いています。そして大喪の礼や大礼(即位の礼)でも興丁として奉仕していました。
(※八瀬童子については本が書けるほど非常に奥深い歴史があるため、詳しくは宇野日出生先生の書籍「八瀬童子―歴史と文化」思文閣出版をご覧ください。)
八瀬赦免地踊の由来とは?
江戸中期の宝永年間、延暦寺との山林結界争いが勃発。主に林業を生業としていた八瀬の人々は自由に山に入れなくなったことに大変困りました。そこで八瀬童子が江戸に出向き、社寺奉行や老中 秋元 但馬守 喬知(たかとも)に何度も陳情しました。そして村が一体となり代表者を支え続けた結果、八瀬に非常に有利な「租税免除(赦免地)」という裁定を勝ち取ります。この思いもよらぬ想像以上の裁定を喜び、秋元 但馬守への感謝の気持ちとして八瀬天満宮の本殿のすぐそばに秋元社を祀った、というのが祭りの起源です。
終戦前まで赦免地踊りは「燈籠踊」とも呼ばれていました。お盆と同じように燈籠を用いて鎮魂をし、秋元但馬守に感謝の念を捧げるお祭りです。
「宿元」で精巧な切り絵の燈籠を間近に見る
四つの地域の「宿元」では切子燈籠を飾り、訪れた人を接待する習慣があります。お祭りの日は親戚の家にあがるような感覚でお邪魔することができ、お菓子やお酒のお振る舞いをいただけます。実際に宿元に行ってみて感じたのは、八瀬にはお店や食事をするところもないため、このおもてなしはとてもありがたく、心にしみました。
「燈籠着(とろぎ)」 女装をした少年たちが燈籠をかぶる
13~14歳の男子中学生が御所染めの衣装を着て、お化粧をします。なぜ女装なのかというと、当時流行していた風流踊り(ふりゅうおどり)に関係しているようです。八瀬では、昔、女官からいただいたという御所染めの衣装を身につけた人々が趣向を凝らし、太鼓などのお囃子で踊っています。盆踊りの源流の踊りと言われる風流踊りを、少年が女装する事で非日常を演出しています。
最近のお祭りの状況を保存会の方々にお伺いしたところ、「なぜ女装?」という少年もいれば、逆にお祭りを楽しみにしていて「やっと燈籠着の番が来た」という少年もいるそうです。多感な年齢の少年たち。宿元での恥ずかしそうな姿が目に浮かびました。
夜19:30ごろになると宿元では新家(しんか/十人頭・じゅうにかしらの最年少者)により「燈籠の用意はできたかよ!」「お〜」という、かけあいが行われます。人々は伊勢音頭を歌いながら、まず門口(もぐち/現在の八瀬出張所)を目指します。20時ごろになると頭(かしら、十人頭の最年長者)の口上が始まります。「四町(よちょう)の燈籠はそろたかよ!」「村の中踊りは揃ったかよ」「音頭取り、太鼓打ち、囃子方、先に出らっしゃれ」と確認の声があがり、頭(かしら)、提灯持ち、音頭取り衆、踊り子、燈籠と順に並び、十人頭が警護し、そこからは静かに神社の石段下まで進みます。
馬場(ばんば)の石段を前にして「〽️忍ぶほそ道 山椒を植えて 行くときひとつ もどるときひとつ しのぶ夜道のめさましよ」と道歌が始まり、闇の中で燈籠の灯りだけがゆらめき、幻想的な雰囲気が漂いはじめます。
この道歌を歌いながら石段をあがる瞬間が祭りの真骨頂。村人たちの「このときだけは昔のように。」と、とても大切にしている鎮魂と感謝を捧げる時間です。お祭りの見に来た方は、ぜひこの石段をあがるときだけはフラッシュを焚かないようにしてください。(真っ暗なため、ほとんど写真を撮るのは不可能です)
燈籠を支える「警護」
この燈籠をかぶった少年の隣にいるのは「警護」。燈籠着を経験した20歳の男性が支えます。熊本県で有名な「山鹿灯籠まつり」の灯籠はこの八瀬の燈籠を模したと言われています。八瀬では燈籠が大きく、一人では不安定なため、警護の支えが必要です。
道歌「〽️まわれまわれくるりとまわれ 十五夜の月の輪のごとくー」
「〽️みな手をふりゃれ みやこぐるまのわのごとく」と音頭に合わせて燈籠着と警護が屋形を廻ります。
最後の歌は「狩場踊」。燈籠は「警護」が頭にいただき屋形の周りを回ります。「〽️いざや かえらん わがやどへ」のくだりで足早に石段を駆け降りて行きます。
「花摘み踊り」小学生の少女たちによる踊り
踊り子は11~12歳の八瀬小学校の女の子たち。花笠をかぶり、手甲脚絆(てっこうきゃはん)をつけ、友禅の着物と緋縮緬(ひちりめん)の小袖を旅からげにして踊ります。「津島踊」は手ぬぐい、「花摘踊」は花籠、「汐汲踊」は桶、「屋形踊」では団扇を使います。
この年は音頭取りに合わせて「花摘踊」「屋形踊」「御所の踊」の3曲が奉納されました。
音頭は「道歌」「汐汲踊」「花摘踊」「津島踊」「忍び踊」「屋形踊」「御所の踊」「茶摘み踊」「白糸踊」「狩場踊」の10曲が口伝で伝承されています。
新発意(しんぼち)による三番叟(さんばそう)
燈籠が練り込むとまず、「三番叟」の口上が始まります。
三番叟は民俗芸能では一般的に場清めの意味を持つこともあり、冒頭に行われることが多い演目です。この演目を芸能の先導役である新発意が担っています。燈籠廻しや、余興(芝居)をはさむことを″狂言をなす″とも言い、俄狂言に相当します。この三番叟が民俗芸能の古い形態を残していることから、八瀬赦免地踊りは無形文化財に指定されました。
一般的な祝いの舞としてではなく「芝居」というのが赦免地踊りの三番叟の特徴です。
新発意が酒を飲ます役と受ける役となり、「のぅのぅ新発意衆、村の持ち合わせの御酒がござる。酒は千石も万石も有るほどに、ごゆっくりと飲まっしゃれ」「ありがとうございます」と盃事が行われます。
以上、赦免地踊りのレポートでした。
取材にあたり八瀬郷土文化保存会にお話しを伺ったところ、一年神主「高殿(こうどの)」など古き良き時代の風習が今も残る部分と、時代に合わせてゆるやかに変っている部分があることを感じました。
また旅行会社やテレビなどの取材で「八瀬童子」に注目が集まっても、普段は静かな村へ適正人数に来てもらい、どう迎え入れたらよいのか。(例えば近年は海外からも祭りを見に来る人もいます。しかし境内の大きさから、葛藤も見受けられました。)住民の「八瀬童子」に対する思いも戦前と戦後では違いがあるようです。
「八瀬童子」に興味がある方は京都の三大祭りのひとつ「葵祭」を見にいくことをおすすめします。葵祭は勅使祭(御所の祭)のため、100名ほどの八瀬の人々も参列しています。
また地域に受け継がれてきたお祭りが見られる日がやってきますように。
八瀬赦免地踊(やせ しゃめんち おどり) スケジュール
10月体育の日(祝日)の前日
(※通常時の日程です。コロナの影響により開催が変更・中止になる可能性あり)
9:00 左京区役所八瀬出張所にて燈籠作成
昼 「秋元社 例祭」 御神楽 御湯の式 奉納
15:30 各町宿元にて燈籠展示開始
(宿元の場所は毎年変動。八瀬天満宮社で地図を配布)
19:30 燈籠が各宿元を出発 4つの宿元から門口(左京区役所八瀬出張所前)に集合
20:00 門口(売店(南)の北側集合) → 出立の儀礼(5~6分) → 行列が秋元神社へ出発20:30 秋元神社 石段下にて道歌開始 → 秋元神社にて踊りの奉納(※フラッシュ厳禁)
21:30 終了予定
交通:バス「ふるさと前」下車 徒歩5分(祭りの日の帰りは臨時バスあり)
住所:京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮境内社秋元神社(雨天・京都市立八瀬小学校体育館)
TEL:八瀬郷土文化保存会事務局 075-724-0255
2023年の開催情報!
日時:2023年10月8日(日)19:00〜
場所:八瀬秋元神社(京都府京都市左京区八瀬秋元町)
※雨天の場合は京都市立八瀬小学校体育館
アクセス:
バス/京都バス「ふるさと前」徒歩5分(京都駅から:京都バス17・18系統、四条河原町から:京都バス16・17・18系統、国際会館から:京都バス19系統
最終の京都バス「ふるさと前」からの出発時刻
・四条河原町行 21時50分
・国際会館駅行 21時33分
<臨時バスのご案内>
八瀬赦免地踊終了時刻に合わせて「ふるさと前」バス停を22時00分に発車。17系統の経路内「ふるさと前」〜「出町柳駅」の各停留所に停車します。