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REDA舞神楽プロデューサー岡元邦治氏インタビュー|がむしゃらにさらけ出した先に光る個性

マツコ
2022/8/5
2024/3/7
REDA舞神楽プロデューサー岡元邦治氏インタビュー|がむしゃらにさらけ出した先に光る個性

オマツリジャパンでは「よさこい」をフィーチャーし、魅力あふれるチームをご紹介していきます。第4弾は千葉県船橋市を中心に活動を行う「REDA舞神楽(れだまいかぐら)」プロデューサー、岡元邦治(おかもとくにはる)氏にインタビュー。「人間大好き愛情集団」をチームスローガンに、高校生から80代まで幅広い世代が全力で大活躍するチームの魅力に迫ります。

REDA舞神楽とは?初めて振付で表現したのは馬鹿で楽しい人間の魅力

REDA舞神楽メイン写真

「REDA舞神楽」は千葉県船橋市で2000年に発足した社会人チーム。チーム名の中にあるREDAは、活動拠点である船橋市が白鳥の形に似ていることにあり、「白鳥座の神話のもとになったゼウスが、白鳥の姿になって近づいた、美しい女神レダ」から取ったといいます。

チームのスローガンは「人間大好き愛情集団」。全体の三分の一が50代以上、最高齢81歳。110人ほどのメンバーが一丸となり、よさこいを通じて、世代間の交流、青少年の育成、地域とのコミュニケーションを図ろうという想いを持って活動しています。

今回は、「REDA舞神楽」プロデューサーでありながら、よさこいとは別世界であるミュージカル等での演出振付家、LIVEペイントアーティストとして活躍する岡元邦治氏に、「REDA舞神楽」での作品作りやチームへの想いについてお話を伺いました。

――岡元さんとREDA舞神楽の出会いのきっかけを教えてください。

REDA舞神楽 総合プロデューサー 岡元邦治氏REDA舞神楽 総合プロデューサー 岡元邦治氏

私は1975年に仙台で生まれ、小学生の時に千葉へ引っ越し、その後、愛媛で大学時代を過ごしました。将来は海外青年協力隊でバドミントンを指導したいという夢を描き、中学から大学まで、バドミントン部で活動していましたが、肩を壊してしまい志半ばで断念。情熱の行き場を探す日々の中、ひょんな事から市民ミュージカルと出逢いました。小さい子から年配の方まで様々な世代が一つの目標に向かって情熱を傾けているところに生き甲斐を感じ、瞬く間に市民ミュージカルに夢中になりました。その後、プロのミュージカル俳優になりたいという夢を抱くようになり、ダンススタジオにも通い始めました。SUGA IZANAIの國友裕一郎氏と出逢ったのは丁度その頃で、愛媛のダンススタジオで何回か一緒にレッスンを受けたことがあります。十数年後、よさこいの世界で再会するなんて当時は思いもしませんでした。あの時の驚きと感動は今でも鮮明に覚えています。

ミュージカルに夢中な岡元氏大学時代、市民ミュージカルの舞台に立つ岡元氏

大学卒業後、東京の劇団オーディションに合格し、念願であったミュージカル俳優となりました。海外公演も含め日本中を飛び回りましたが、自分の力不足から将来への不安を抱くようになり、その後2003年に現役を引退。大学で教員免許を取得していた為、進学塾や学童でアルバイトをしながら小学校の先生になる為の勉強を始めました。そんな時に、実家近くの千葉駅周辺で「ちばYOSAKOI」と出逢いました。踊り子たちの上手い下手関係なく一丸となって情熱的に踊っている様子が、市民ミュージカルと重なり、自分もこれをやりたい!という衝動に駆られました。でも、練習日が仕事と重なっていることなどを理由に、2年ほど踏ん切りがつかずにいたのですが、プライベートでの大きな変化をきっかけに、自分を変えたい!という強い想いからREDA舞神楽に入会することを決心しました。

――振付を始めるにあたって大切にしていたことはありますか?

実は、入会しての2年間は踊り子として活動していたのですが、当初から振付をやりたいということを総代表には伝えていました。前任の振付の先生が休養を申し出たタイミングで、私は大きなチャンスをいただけることになりました。
最初の作品をつくったときにイメージし大切にしていたのが、チームの忘年会の雰囲気です。当時、REDA舞神楽は80人くらいで活動しており、そのほとんどが女性でした。

REDA舞神楽 演舞の様子岡元氏 REDA舞神楽初のプロデュース「人生は祭りじゃっ!〜馬鹿になれ!〜」

REDA舞神楽では、60歳以上の女性を尊敬の念を込めて「お姉さま」と呼びますが、そのお姉さま達による忘年会の余興があまりにも衝撃的!!本人の名誉を守る為にもここで詳細を公表することは差し控えますが、良い意味で本気の馬鹿なんですよ。脳天が雷でぶち抜かれるようなカルチャーショックを受けました(笑)馬鹿出来る大人たちがこんなにいてくれるんだ、この色を作品に出せたら面白いぞって。当時の私は、ミュージカル俳優で生きてゆくという夢を諦めたばかりで自分に自信がありませんでした。自分と同じような人たちを奮い立たせるような作品を作りたい。そんな背景から、私がプロデュースする初めての舞神楽作品「人生は祭りじゃっ!〜馬鹿になれ!〜」が誕生しました。目標としていたYOSAKOIソーラン祭りでは、関東勢として初となるセミファイナルに進出。念願のファイナル進出が叶うのは、それから4年後となります。

がむしゃらにさらけ出した先に輝く、ありのままの個性

REDA舞神楽メンバー集合写真

REDA舞神楽は、メンバーの平均年齢が40歳、その3分の1が50歳以上、高校生から最高齢81歳までが在籍する幅広い年齢構成の社会人チームです。

――様々な世代の人が輝くように演出で工夫されていることはどんなところですか?

REDA舞神楽では、振付自体はとても簡単なものにしていて、世代によって振付を変えることは基本的にはしません。年齢に関係なく皆、がむしゃらに、体力的にギリギリなところで踊る。楽なところで踊るとお客さんに伝わる力が弱くなるので、年齢が高めのお姉さま達には少し無理をしてもらっています(笑)でも、お姉さま達は驚くほどガッツがあるので、若者達に迷惑はかけられないと自主的に練習を重ねていて本当に頑張ってくれています。

――REDA舞神楽のよさこいを通じて伝えたいことはどのようなことですか?

技術を観るだけなら、プロの舞台やテーマパークのショーを観ればいい。よさこいの感動は、一人一人の生き様、人間ドラマが垣間見えることだと思います。REDA舞神楽は、練習に真面目に取り組める人であれば、踊りの経験が無い人でも大歓迎。技術的な面ではプロには到底敵いませんが、素人にしか出せない「がむしゃらエネルギー」もよさこいの魅力のうちの一つです。

踊りての笑顔観る者を元気にする笑顔が美しい

がむしゃらに踊って無心になった時、キラッと光るその人の飾り気のない個性が見えてくる。それが笑顔だったり、声だったり、踊りだったり、それはかけがえのないよさこいの感動です。年齢を重ねると共に、身体が動かなくなってきたり、立ち位置を覚えられなくなってきたり、音の感じ方が変わってきたりと、踊りを揃える事が難しくなってきますが、老いも若いもが互いを認め合い、何度も何度も練習を繰り返した先に、それまでの苦労や背景を感じてもらえるような泥臭い踊りを目指しています。

REDA舞神楽メンバー年齢に関係なく仲のよいメンバー

よさこいらしくなくてもいい!観る者を驚かせる様々な演出の工夫

演舞の写真

よさこいとは別世界であるミュージカル等での演出や振付もする岡元氏。独創的な表現力は、よさこいの新たな魅力を引き出しています。

――岡元さんならではの演出、振付の工夫はどんなところにありますか?

常に「お客さんをびっくりさせたい」という想いをずっと持ち続けています。私が作品を作る上で大切にしている事は、よさこいと異文化との掛け算。ミュージカルのように、深く現代に響くテーマ性やストーリー性を持たせてみたり、絵本のように各場面の色(衣装や小道具、音の取り方、配置など)に変化をつけ、記憶の引っ掛かりをつけたり。時には、学童時代に子ども達と挑戦していたテレビ番組「欽ちゃんと香取慎吾の全日本仮装大賞」の考え方を取り入れたりもしています。また、空手の型のニュアンスを踊りに取り入れたくて空手を習っていた時期もあります。あまりにも組手での怪我が多くて、そう長くは続きませんでしたが……。

――獅子の衣裳も印象的でした。

REDA舞神楽 演舞の様子

赤の獅子毛は、見た目のインパクトにこだわりました。当時、YOSAKOIソーラン祭りでは、まだまだ無名のチームだったので、先ずはインパクトのある衣装で「REDA舞神楽」というチームを覚えてもらわなければならない。その為に、他のチームが取り入れていないアイテムを探していました。衣装の打ち合わせで見た資料の中に、真っ黒の獅子毛で般若のお面をかぶった少し気味の悪い写真があって、一気に心を奪われました。これだ!って。その後も獅子毛は舞神楽作品の中に度々登場し、チームを印象付けるアイテムとなっています。

地域とともによさこいを。お客さんを巻き込む工夫の数々

演舞の様子

「遊び」と「ライブ感」のある独自のよさこいを追求しているREDA舞神楽の演舞は、観客も巻き込み、皆で楽しむ姿が印象的。新しい感覚のよさこいは、魅力に満ち溢れています。

――舞神楽独自のよさこいを追求されていますが、それにはどういった想いがあるのでしょうか?

よさこいは公道を使っての大音量の踊りです。私たちはそこに青春を懸けているけれど、興味のない人にとってみれば暴走族と同じかもしれません。だからこそ観ている人を楽しませるだけのクオリティーと、観ている人と一緒に楽しめる工夫をすることが、よさこいが地域に貢献するうえで大切だと思っています。

――具体的にはどんな工夫をしているのですか?

踊り子がお客さんの方を向いて手拍子を煽ったり、コール&レスポンスやウェーブなど初見でも簡単に出来る仕掛けが多いですね。中には、「Y、O、S、A、K、O、I」とアルファベットを身体で表現したり、エンディングポーズで全員一斉に寝っ転がってみたり、踊り子の背中を走って驚かせてみたり。様々な方法でお客さんを巻き込み、驚かせ、共に楽しむ工夫をしています。祭りは、踊り手よし、主催者よし、お客さまよし、三方よしでなければならない。踊り手だけが楽しむ祭りでは、地域の方々に愛されないと思っています。

REDA舞神楽の演舞の様子

技術だけではない、ファミリーチームの頑張りでよさこいを盛り上げる

演舞の様子

コンテストでは学生チーム、学生OBOGチームの躍進が目立つ。幅広い年齢構成のREDA舞神楽が目指すところはどこにあるのだろう。

――多くのお祭りが中止となった昨今、REDA舞神楽が踊る上で大切にしていることは何でしょうか?

コロナ禍において様々な祭りが中止となり、チームとして目標が定まらずモチベーションが上がらない期間が続きました。千葉県でも、多くのファミリーチーム、ジュニアチームが影響を受け、解散及び活動休止のチームが増えています。だからこそREDA舞神楽のような様々な世代が活動するファミリーチームが頑張らないと、よさこいが若手だけのダンスコンテストのようになってしまう。老いも若いもが一緒になって感動を作り上げる、人と人とを繋げてゆく祭りの要素を大切にしてゆきたいと考えています。

――最後に読者の皆様に一言お願いします!

REDA舞神楽岡元さんチームメンバーについて語るときの“笑顔”が印象的なインタビュー時の岡元氏

この夏、ちょっとでもよさこいに興味を持ったら、ぜひ自分に合ったチームを探してみてください。そこには人生観が変わるくらいのとてつもない熱量が渦巻いています。私は自分を変えたくて、勇気を出して一歩踏み出したら人生が大きく変わりました。「さらけ出す=馬鹿になれ」ということをよさこいを通して体験できたことがとても大きかったのかもしれません。人間、悩んだ時は、大きな声を出して全力で走れ、全力で歌え、全力で踊れ。そこに共感してくれる仲間がいるのは、よさこいのとても大きな魅力です。

今後のREDA舞神楽のスケジュールですが、8月7日には埼玉県朝霞市の「彩夏祭」、9月には栃木県下野市の「下野YOSAKOI与一まつり」、新潟県新潟市の「にいがた総おどり祭」に出演させていただきます。
どうか1日も早く平穏な日常が取り戻せますように。そんな願いを込めて厄を払うべく鳴子を鳴らして来ます。

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