オマツリジャパンでは、「よさこい」をフィーチャーし、魅力あふれるチームをご紹介していきます。今回は北海道・名古屋・関東に拠点を置き、全員が和楽器を演奏するといった試みで、YOSAKOIの新たな可能性を広げ、精力的に活動を行う「グラフィックホールディングスpresents倭奏(わっか)の下畑浩二氏のインタビューをお届けします。
目次
育児や仕事で多忙でも参加できる!倭奏とはどんなチーム?
「懐かしくも新しい日本の祭り」をコンセプトに、YOSAKOの新しい可能性に挑戦し、人々を魅了する演舞で人気の倭奏(わっか)は、2016年に結成されたチーム。各活動拠点である北海道・札幌で6月に開催されるYOSAKOIソーラン祭り、愛知県・名古屋市で8月に開催されるにっぽんど真ん中祭り、10月の東京よさこいでの活動のほか、毎月1~2回ほど地域のお祭りやイベントに参加し、活動範囲は多岐に渡ります。
300近くのチームが参加するYOSAKOIソーラン祭りで、U40クラスで準大賞のほか、優秀賞、新人賞、地方車(じかたしゃ)賞などの受賞歴を誇る「倭奏」の魅力に迫りたいと思います。
---倭奏を結成されたきっかけや想いを教えていただけますか?
「倭奏は2016年に結成されました。もともと妻がYOSAKOIソーランの踊り手だったのですが、結婚をしてよさこいから離れると、子育てが落ち着いてから戻れるチームがあまりないということに気づきました。
YOKSAKOIソーランは、一番エネルギッシュな30代、40代の人たちが練習の頻度などの問題でチームから離れてしまいます。そして、戻ろうと思っても受け皿がなかなかありません。そこで戻れるチームを作ろうと思ったのが倭奏を作ったきっかけでした。」
---具体的にはどのような工夫をされたのですか?
「倭奏は、週に3回の練習という頻度を崩しません。以前主催していたチームでは、6月のYOSAKOIソーラン祭りの前の4月、5月は週に5回ほど練習を行っていましたし、名門と言われるチームのメンバーは、一定以上の出席率が必要になることが多くあります。でも、倭奏は週に一回の練習でも大丈夫です。
また倭奏は、チームを作るときに、どうやったら盛り上がれるか、他チームと差別化できるかを考え、メンバー全員が和楽器を演奏することにしました。この和楽器演奏は、年齢や体力的に踊り子として出演することがきつくなってきたメンバーや踊りが苦手な方が踊らなくてもお囃子として出演できる選択肢にもなっています。」
YOSAKOIソーラン祭りとは?
北海道のYOSAKOIソーラン祭りは、1992年6月に参加10チーム、参加者1000人、観客動員数20万人からはじまりました。高知県の「よさこい祭り」をルーツにしているが、「鳴子を持って踊ること」「曲にソーラン節のフレーズを入れること」だけをルールとして、それ以外は自由。近年は3万人の参加者、200万人もの観客を動員する、北海道・札幌の初夏の風物詩となっています。
---YOSAKOIソーラン祭りの始まりについて教えてください。
「北海道のYOSAKOIソーラン祭りは、北海道大学の学生だった現自由民主党参議院議員の長谷川岳さんが、がんで入院したお母様の看病のために高知に行き、そこでよさこい祭に接し、感銘を受けたのがきっかけです。病床のお母さんの『この祭を見ると元気が出る』と言う言葉から、北海道でもこんなお祭りをやりたいと、1992年に開催しました。その際、音楽には北海道ならではのソーラン節を使うことに決めました。」
---YOSAKOIソーラン祭りの独自性、魅力はどんなところにあるのでしょうか?
「大学生一人の熱い想いから始まったこの祭は、最初の参加10チームから、5、6年で200チーム程になり、爆発的に盛り上がっていきました。
初期の頃は、音響車である地方車(じかたしゃ)を、公道を走れないような巨大なトラクターにしたり、何でもありの、見たことがないほどエネルギーのある祭りでした。それを見て、地域の若者たちは、新しい街札幌で面白いもの、新しいものをやろうと盛り上がり、当時の町おこしブームともリンクし、北海道の全市町村にチームができるくらいの勢いで広がりました。ただ札幌で飲みたかっただけかもしれませんが(笑)」
倭奏の表現の独自性とは?
倭奏の表現には、和太鼓・三味線・篠笛・尺八などの和楽器での演奏、エゾンミュージックさんの楽曲、いおり屋さんの色気ある衣裳などが欠かせません。
---独自性のある倭奏の演舞はどのような経緯で生まれたのでしょうか?
「YOSAKOIソーラン祭りが成熟する中で、YOSAKOIソーランってこういうもの、というようなフォーム、ステレオタイプのイメージが生まれてしまい、似たようなチームも多くなってしまいました。
倭奏はそういったことを打破するために、まずは日本の祭りをテーマに、祭囃子を演奏することをはじめました。それにより、どこの町にも受け入れられ、面白いと思ってくれると思ったのです。
また、名古屋のにっぽんど真ん中祭りに同じような思いをもっていた名古屋の仲間たちが、倭奏の名古屋本部を立ち上げ、北海道にとどまらずに活動を行うようになりました。」
---倭奏の表現で大切にしているものは?
「プロデューサーとして物を作るときに大事にしているのが、化学反応です。自分では手に負えないくらいの化学反応が起こった時に、想像以上のものができます。そのため、振付は道外の、天空しなと屋の中村信幸先生にお願いし、衣装は名古屋のいおり屋さんにお願いしています。
衣裳は、倭奏のメンバーがデザインしたものをいおり屋さんやと一緒に完成させるので、倭奏ならでは。衣裳にはこだわりがあります。祭りは晴れ舞台なので、衣裳は派手でなくてはなりません。着ただけでテンションが上がり、写真を撮りたくなるようなものです。衣裳を見てメンバーになってくれる人もとても多く、嬉しく思っています。
また、楽曲はエゾンミュージックさんと一緒に作っています。和楽器や民謡の専門プロダクションで、祭囃子を演奏することをコンセプトに、というお話をしたところ、楽曲の中の和楽器のフレーズを作ってくれて、メンバーに教えてくれています。
様々な化学反応が起こって、北海道ならではでありながら北海道をこえていく倭奏の表現が生まれています。」
祭囃子の継承へ よさこいが地域への還元できること
倭奏の演奏は和楽器の演奏による祭囃子が魅力の一つです。しかしこの祭囃子の担い手が年々減っていると言います。同時に、和楽器の継承者も不足している状況もあります。
---YOSAKOIソーラン祭り等での演奏だけでなく、地域のイベントでも祭囃子をされているそうですが、この取り組みについて教えてください。
「『和楽器の演奏を』ということでエゾンミュージックさんに相談をした際に、先生方が喜んで協力してくださった背景には、和楽器の継承者不足の問題もありました。
私の育った町、江差の祭りのような日本の伝統的な祭りでは、小学生になったら太鼓をたたく、中学生になったら笛を吹く、と言うことが当たり前で、先輩から教わってきました。しかし、人口減、そして教える世代が年を重ねて、その次の世代、40代、30代、20代と言う世代が全く祭りにかかわっていない、そのため祭囃子の中止も相次ぎ、また和楽器を演奏できる人もどんどん減っています。
私達が和楽器の演奏をはじめたことで、逆に地域の祭りに呼ばれるようになりました。よさこいは地域と関係なくコミュニティを作って参加出来るところが魅力となって、北海道で広がりましたが、和楽器を取り入れることにより、逆に地域に貢献、還元できることもあると感じています。」
新たな時代のYOSAKOIソーランへ
2022年、YOSAKOIソーラン祭りは31回目の開催を迎えます。
---下畑さんが想像する新しいYOSAKOIソーランとはどのようなものでしょうか?
「私が生まれ育った道南の江差町には姥神大神宮渡御祭という370年続く、北海道で一番古い祭りがありました。ニシン漁で栄えた港に、近江商人たちが入ってきて、地元京都の祭りで労をねぎらう祭りです。この祭では3日間かけて祭囃子の山車が町中を練り歩きます。それをまわりではやし立て、楽しい気分になる、この祭りが私の原点にあります。
YOSAKOIソーラン祭りは、札幌が200万都市であり、交通規制をかけると生活動線が止まってしまうため、ステージがメインの祭りとして発展してきました。祭りの成熟とともに、踊りのレベルも上がり、ショーとしての完成度は高くなりました。ですがその分、楽しそう、と思ったらすぐ参加に一歩踏み出せる敷居の低さが失われてしまったところもあります。
私自身は、倭奏の踊りを見て、すごかったより、楽しかったと思ってもらいたい、と思っています。来年は見るだけでなく参加したい、と気軽に言えるような、そういう祭りになっていきたい。原点の江差のお祭りのように、祭囃子をやりながらパレードをするようなことを完成形として描いています。」
コロナ禍での活動。これから目指していくこと
2021年も前年に引き続き、新型コロナウイルスの感染拡大という事態に見舞われYOSAKOIソーラン祭りも、2年連続中止が余儀なくされました。
---YOSAKOIソーラン祭りの開催が6月5日(水)~9日(日)で発表されました。2年連続中止となったあと、目指したいYOSAKOI像を教えていただけますか?
「コロナウイルスの感染拡大で、様々な影響がありました。稽古の時に必ず一回はメンバー一人一人に話しかけるようにするなど、コミュニケーションを何より大切にしてきたのに、私語を慎まなければならないなど……。お祭りのある日常がどれほどありがたかったかをこの二年間、すごく感じています。
お祭りは生活の一部、張り合いなのです。それを皆さんに一緒に感じていただけるように、長谷川岳さんのお母さんが高知のよさこいを見て『元気になるよね』とおっしゃったような、みんなが元気になるような作品の作り方、チームの在り方をしていきたいと思います。
私にとってYOSAKOIソーランは、ライフワーク、生き甲斐です。そして、祭りは非日常で、わくわくする晴れの日です。みんなでわくわくできる、喜びあえる高揚感、社会人になるとなかなかありません。それを街を舞台に体験できて、日本中、世界中の人とつながれる、こんな素敵なものはなかなかないのです。ぜひ多くの方にオンラインでも、生でも触れていただき、人生の可能性を広げていただきたいと思っています。」