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【前編】祭り支援の未来を語ろう ~マツリズム・大原×オマツリジャパン・加藤 トップ対談

2025/6/27
2025/6/27
【前編】祭り支援の未来を語ろう ~マツリズム・大原×オマツリジャパン・加藤 トップ対談

全国の祭り支援に取り組む二人、一般社団法人マツリズム代表・大原学氏と株式会社オマツリジャパン代表・加藤優子が膝を交えて語りあう。それぞれ異なる視点やアプローチで祭りを支えてきた両社が、未来を見据えた取り組みを語り合いました。この記事では、両氏の対話から浮かび上がる祭りの本質と、それを支える多角的な取り組みについて迫ります。

 

全国の祭り支援に挑む両社の歩み

加藤:お久しぶりです、大原さん!昨年末に少しお顔を合わせる機会がありましたが、しっかりお話ができなかったので、今日は楽しみにしておりました。

大原:こちらこそ、よろしくお願いいたします。ちゃんとお話しするのはもう6~7年ぶりですね。

加藤:確か、最後にお会いしたのは、昔のオマツリジャパンのオフィス・・・オフィスというよりマンションの一室のようなところに芝生マットを敷いて、夜な夜な祭りについて語る会をやっていて、そこに来ていただいたんじゃないでしたっけ?

大原:伺いましたね。懐かしいです。加藤さんと初めてお会いしたのは、2014年くらいじゃないかな。

加藤:そのころ、もうマツリズムの活動を始めていました?

大原:始めていました。マツリズムの構想というか、祭りで何かをやろうと動き始めたのが2014年ですね。そして初めてのプロジェクトというか、祭り参加ツアーを実施したのがその年の8月。でもその時はまだクロスフィールズというNPOで働いていました。そこを辞めて法人を設立したのは2016年です。

加藤:当社は2014年に1人で法人化して、翌年に株式会社化しましたので、本当にほぼ同じ時期に始めた感じですね。

大原:そうですね。オマツリジャパンについて一番覚えているのが、当時の事業説明資料ですね。資料といっても1枚裏表のチラシでしたけど、おしゃれに作ってあってすごいなーと思いました。

加藤:私の大原さんの第一印象は、英語もペラペラで、すごく優秀な人。それに加えて祭りへの熱い思いがある方だと思っていました。その後、マツリズムができたときに、「祭り」と「ツーリズム」でマツリズムか!なるほどなあと感心しました。

大原:はい、創業当時はツーリズムが主軸でしたので、分かりやすくサービスやプロダクト名を社名にした、そんなイメージです。

加藤:当初は、オマツリジャパンでも体験ツアーのようなことをしていましたよ。例えば、私がオマツリジャパンで最も感動したことの一つに、2泊3日で青森ねぶた祭にメンバーを連れて行ったことがありました。

大原:そうなんですか。

加藤:私はおばあちゃんの家が青森にあったので青森のことには詳しいんですよ。それで、初めて青森ねぶた祭に行くという人がほとんどで、「なんだこれ、めちゃくちゃすごい!」って皆がとても楽しんでくれて。昼間は私が知っている青森の好きな場所を紹介しまくって、皆がとても喜んでくれました。それがすごく楽しくて感動して、夜泣いちゃった(笑)。だって、私が「面白い」と思っているものを皆が「面白い」と言ってくれた上に、お金を払ってツアーに参加してくれたことがとても嬉しかったんです。

大原:それは本当に素晴らしい体験ですね。

加藤:でも、「来年もやろう!」ってなった時に、毎年続けられるものではなかったんです。同じメンバーがもう一度来るわけでもないし、他の地域の祭りに行ったり、神輿を担ぐツアーもしましたが、だんだん参加者が減っていきました。そこでシュンとなってしまう経験があって。それだけに、難しいとは思いますがマツリズムが私の最も感動した体験を続けていることに、本当に尊敬しています。

大原:そこは従業員を抱える株式会社としての運営と、非営利型の一般社団法人としての運営の違いもあるかもしれませんね。

加藤:やっぱり地域に足繁く通ってお話をされて、参加者にも丁寧なレクチャーをして、彼らが参加しやすい環境を整えているのが、続けられている理由だと思いますよ。

大原 学(おおはら・まなぶ)1983年、神奈川県南足柄市出身。2007年早稲田大学人間科学部卒。在学中に祭りの魅力に目覚め、米国留学時にはソーラン節の普及活動を行う。日本GE株式会社、NPO法人クロスフィールズを経て、2016年11月「一般社団法人マツリズム」設立。祭りを通じた地域活性化や文化継承に取り組む。1児の父。

大原:一番多い時は、コロナ禍の前の2019年で年間15回ほどツアーを実施しました。特にタフな祭りに参加するツアーでは事前に歴史や文化のレクチャーをして、当日は裸になって地元の人と祭りをど真ん中で体験するような内容も含まれていました。こうした活動を9年、10年続けてきて、なぜここまでやり続けているのかというと、自分はどちらかというと過去志向なんですよね。たとえば、交際した女性と別れても2、3年引きずるタイプで・・・。

加藤:急になんの話ですか(笑)。でも面白いですね。

大原:一度関わった祭りには来年も行かないと失礼かなという思いもあるんですよね。始めた頃は、自分が楽しいと思った体験を周囲の人たちにも感じてほしいという動機がありました。このツアーは完全にオープンな旅行商品ではなく、基本的にはSNSなどで知り合った友達、あるいはその友達といった範囲でずっとやっていました。その範囲はほぼコンプリートした印象です。

加藤:なるほど、わかります。

大原:ここから参加者をさらに広げるには「ビジネス化」しなければならず、リスク面も考える必要があります。でも、自分が本当にそうしたいかと言われると、そうではないんです。祭りの体験をとにかく色々な人に広げたいという意欲よりも、関わりを持たせてもらった祭りを次世代に残していきたいという思いが強いんですよね。

加藤:その意図は非常に理解できます。

大原:このツアーを拡大していくため、〝マツリテーター(祭xファシリテーター:翻訳者・媒介者)〟を育成して、自分以外の人が参加者をアテンドできる仕組みを作ろうともチャレンジしました。しかし、これは難しかったです。 何人か候補はいましたが、それを他の仕事をしながらやるのは難しい部分もありましたし、地域の祭りの担い手との関係性など暗黙知の部分が多く、自分が持っているものをそのまま他の人に渡せるかというと難しいんです。結局、自分自身がやり続けるという形になってしまいました。

加藤:その感覚、わかります。

大原:そんなことをしている間にコロナが起きてしまいました。あれは大変でしたね。でも、自分と祭りの関係が増えていく一方で、物理的には体が一つなのでどうしようか悩んでいたところもありました。だから、少しほっとした部分もありました。

 

「生きる歓び」と祭りの力――マツリズムの活動について

加藤 優子(かとう・ゆうこ)1987年生まれ。練馬区出身。武蔵野美術⼤学油絵科卒業後、株式会社ピックルスコーポレーションに⼊社。 商品開発とデザインを担当。震災直後の⻘森ねぶた祭に⾏った際、地元の⼈が⼼の底から楽しんでいる様⼦を⾒て、祭りの持つ⼒に気付く。同時に多くの祭りが課題を抱えていることを知り、 2014年に全国の祭りを多面的にサポートする団体「オマツリジャパン」を創業。2児の母。

加藤:なるほど。自分がほぼ担い手として祭りに関わっている分、物理的な限界も出てくるわけですね。・・・この話だけで永遠に喋れそうですけど、マツリズムではツーリズム以外にもさまざまな活動をされているようですね。昨年は能登で大地震があり、かの地の祭りの状況について私たちも心を痛めておりましたが、大原さんは現地にも行かれたそうですね。ぜひ聞かせてください。

大原:はい。能登には2015年頃に初めて行きました。それから昨年1月の震災までに10数回訪れていて、お世話になった方もたくさんいます。まず地震が起きた時、その方たちのためになりたいと思いました。それで自分にできることを考え、傷跡が多く残る中で行われることになった石川県能登町の宇出津「あばれ祭」をお手伝いに行きました。

加藤:宇出津「あばれ祭」は夏に行われる能登のキリコ祭りの中でも一番早い時期に開催される祭りですね。開催されて本当に勇気をいただきました。

大原:すごい祭りです。個人的にも、生きる歓びを感じられる祭りというか、神様への畏敬の念を抱かせるプリミティブな雰囲気がそのままの形で残されているような祭りです。行政にほとんど頼らず、本当に地域の人たちの力で続いてきた祭りなんです。もちろん、まだ宿泊施設を含め日常を取り戻せていない中で、私たちはボランティア団体のご協力で拠点を使わせていただき、全国から集まった28名の支援者とともに能登に滞在し、受け入れてくださる3つの町会に分かれて祭りに参加しました。

加藤:今回、祭りに関わる人員については地域の方の割合がどの程度だったのでしょうか。

大原:地域の方がどのくらいだったかについては詳しくわかりませんが、宇出津では約40の町会があり、それぞれがキリコを所有しています。2024年には、そのうち約30町会がキリコを出していました。担ぎ手については町会によって状況が異なり、私が訪れた川原町では常にそこに住んでいる方が少なく、一つのキリコを担ぐのに約40名が必要ですから、そのうち30数名が地域外――我々以外にも出身者やゆかりのある方々がたくさん来られていたと思います。

加藤:地域の力になりたいという方がたくさんいらっしゃったのですね。

大原:正直なところ、まだ大々的に外から人を呼んで祭りを開催できる状況ではありません。しかし、地域の人たちが自分たちを奮い立たせるために祭りを行ったんです。昨年は能登のキリコ祭りが縮小、もしくは一部開催といった形が主で、多分全体の3分の1程度しか開催されませんでした。でも、肌感覚ですが、今年はもっと多く開催されると思います。隣の街が祭りを開催しているのを見ると、「うちもやろう」となるという相乗効果のような形で復活が進むのではないかと思っています。

加藤:私たちも力になれる方法を考えたいと思います。祭りが地域の方々の元気の源になっているのですね。

 

(後半に続く👉)大原さんの能登での体験からは、地域の人々が祭りに込める強い思いと、その祭りが持つ根源的な力が改めて浮かび上がってきました。そんな祭りの力を未来へどうつなぐのか。後編では、子どもたちへの働きかけや「教育」としての祭りの可能性について、さらに話を深めていきます。

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