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京都三大祭りとは?いつ開催?祇園祭、葵祭、もうひとつは何?

2022/10/19
2024/3/4
京都三大祭りとは?いつ開催?祇園祭、葵祭、もうひとつは何?

国内外問わず、その魅力で多くの人を惹きつけてやまない古都・京都。
平安の世に大陸から伝わった当時の最先端の文化や風習・年中行事を朝廷の催しに取り入れ、独自に発展させ、継承してきた風土ゆえ、王朝文化の典雅な趣を今も感じさせてくれる祭礼が数多く残り、開催されています。
なかでも、

◎祇園祭
◎葵祭(賀茂祭)
◎時代祭

の3つの祭りは「京都三大祭り」と称されています。
これに「五山送り火」を加えて「京都四大行事」と呼ばれることもありますが、この記事では、祭りの始まりや歴史、内容が似ているようで実は三者三様の、この3つの祭りについてご紹介します。

祇園祭

祇園祭は、日本三大祭りの一つにも数えられ、京都のみならず日本を代表するお祭りです。明治元年(1868年)に改称するまで祇園感神院(祇園社)という名前だった八坂神社の祭礼として、毎年7月1日から31日まで1か月にわたって行われ、京都の夏の風物詩となっています。

歴史は古く、1,150年以上。平安時代前期の貞観11年(869年)、全国で猛威をふるった疫病を鎮めるため、京都の神泉苑で当時の国の数と同じ66本の鉾(ほこ)を立てて行われた「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」が始まりとされています。

祇園祭の最大の見どころは、「山鉾(やまほこ)」と呼ばれるきらびやかな山車(だし)が町中を練り歩く「山鉾巡行」です。
現在のように山鉾が豪華に、祭りが盛大になったのは、室町時代のこと。応仁の乱で京都が焼け野原になり、貴族が去って町人が台頭するにつれ、各町が経済力を誇示するため山鉾を華やかにして競うようになりました。

山鉾の装飾品の中には、当時、西洋やアジアから輸入されたタペストリーなど、現在では入手不可能な芸術的価値が高い貴重品も多く含まれます。
それゆえ山鉾は「動く美術館」とも呼ばれ、「京都祇園祭の山鉾行事」としてユネスコの無形文化遺産にも登録されています。

祭りのクライマックス「山鉾巡行」は、毎年7月17日の前祭(さきまつり)に23基、7月24日の後祭(あとまつり)に11基の山鉾が登場して練り歩きます。両日とも夕方に、八坂神社の三祭神を乗せた3基の神輿が町を渡御するため、それに先立って町を祓い清める目的で行われています。

前祭の前の7月14日~16日までと、後祭の前の7月21日~23日まで、それぞれ3日間は「宵山」と呼ばれる前夜祭の期間です。山や鉾には提灯が灯ってお囃子の音が響き、街中が祭りムード一色に。中に上って内部を見学できる山鉾があったり、さまざまな露店が出ていたりと、山鉾巡行にも劣らない人気で多くの人が訪れます。

その他にも見どころ満載の祇園祭。初めてでも楽しみ尽くす方法を下記の記事で伝授していますので、ぜひ合わせてご覧ください!

◎2022年の開催は?

今年2022年の祇園祭は、例年どおり7月1日(金)~31日(日)に開催。コロナ禍で山鉾巡行は2020年から縮小開催が続いていましたが、3年ぶりに通常通りの形で実施され、2年間中止だった宵山も行われました。

加えて大きな話題となったのが、応仁の乱以前から巡行していて大人気だったのに、何度も焼失に遭い約200年間「休み山」となっていた「鷹山」の復活です!


鷹山は来年2023年以降も、金工品や漆塗りなどによって魅力を増していくとのこと。今後の見どころの一つとして期待しましょう。

祇園祭の詳細は京都観光公式サイトなどでご確認ください。

葵祭(賀茂祭)

©佐々木美佳

葵祭は、元々は「賀茂祭」と呼ばれた下鴨神社と上賀茂神社の例祭です。毎年5月15日に行われ、500名もの行列が京都御所から上賀茂神社まで約8kmの道のりをゆっくりと進み、爽やかな初夏の京都が平安時代にタイムスリップしたかのような光景に包まれます。

祭りの起源は京都三大祭りの中で最も古く、約1500年前の大和時代までさかのぼります。当時は度重なる風水害により凶作が続いていました。欽明天皇が占いをさせると原因は賀茂の神様の祟りだと分かり、それを鎮めるため馬に鈴を付けて走らせ五穀豊穣を祈願したのが祭りの始まりといわれています。

都が京都に移って平安時代になると、天皇が国の平和を願って使者である勅使(ちょくし)を派遣し、祈りを捧げるという国家的な祭りへと発展します。
この勅使が賀茂社へと向かう道中の行列が、次第に注目を浴び大勢の観客が集まるようになりました。これこそが現代でも最大の見どころである行列「路頭(ろとう)の儀」になったというわけです。
また、勅使が賀茂社で捧げる祈りは「社頭(しゃとう)の儀」と呼ばれ、こちらも今の葵祭で変わることなく斎行されています。

現在の路頭の儀には2つの行列があり、勅使の役目をする近衛使代(このえつかいだい)を中心とする「本列」と、その後ろに斎王代(さいおうだい)を中心とする「斎王代列」が続きます。

斎王というのは、平安時代に皇室の未婚の女性から選ばれて賀茂社に奉仕した女性のことです。現代では京都市民の女性から1名が選ばれ、斎王に代わる「斎王代」としてその役割を担います。美しい十二単をまとった斎王代は、腰輿(およよ)と呼ばれる輿に乗って優雅に都大路を進むのですが、その華やかな姿はまさに葵祭のヒロインです。

ちなみに葵祭の名前の由来は、賀茂社の神紋である二葉葵にちなんで社殿には葵を飾り、祭りに参加する人々はみな葵を身につけることからきています。

「路頭の儀」の前に、葵祭では様々な儀式が「前儀」として行われています。例えば、5月3日に下鴨神社で行われる「流鏑馬(やぶさめ)神事」は、日本三大流鏑馬の一つとして有名です。5月5日には上賀茂神社で「賀茂競馬(かもくらべうま)」が行われ、2頭の馬の勝敗でその年が豊作かどうかを占います。

5月12日には上賀茂神社で「御阿礼神事(みあれしんじ)」が、下鴨神社では「御蔭祭(みかげまつり)」が執り行われます。いずれもコロナ禍でも中止せずに斎行された、神霊を賀茂社に迎えるための大切な神事です。

◎2022年の開催は?

今年2022年の葵祭は、流鏑馬神事や賀茂競馬、御蔭祭などの神事は行われたものの、祭りのハイライトである路頭の儀の行列が新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となってしまいました。来年こそは完全開催できることに期待しましょう。

葵祭の詳細は京都観光公式サイトなどでご確認ください。

時代祭

毎年10月22日に開かれ、「動く歴史風俗絵巻」とも呼ばれる総勢2,000名もの行列で秋の京都を彩るのが「時代祭」です。祇園祭や葵祭と同様にとても雅で華やかなお祭りですが、他の2つの祭りが千数百年の歴史を持っているのに比べとても新しく、今から130年ほど前に始まりました。

祭りが始まった明治28年(1895年)は、平安京に遷都してからちょうど1,100年という節目の年。当時の京都は幕末の戦乱による荒廃と衰退から、復興と近代化を遂げている途上でした。そこで「平安遷都千百年紀念祭」を行い、同年に「第四回 内国勧業博覧会」開催も誘致して、見事な経済回復を実現させたのです。
このとき紀念祭の象徴として創建されたのが平安神宮であり、創建を祝して時代行列を行ったものが現在の時代祭の始まりとなりました。

時代祭では、明治維新から江戸時代、安土桃山時代、室町時代へと時代をさかのぼっていき、桓武天皇が平安京を築いた延暦の時代まで、8つの時代で20の行列が登場します。目の前に千年を超える京都の文化が蘇る様はまさに圧巻の一言です。

使用される衣装・祭具・調度品は合計で約1万2,000点にのぼりますが、そのすべてが精密な時代考証を重ねたうえで再現された本物。千年以上にわたって京都市民が培ってきた伝統工芸技術の粋が凝縮され、細部にまで京都人の心意気と誇りがふんだんに織り込まれているのです。

時代祭は、開催開始の翌年から平安神宮の祭礼となっており、時代行列の終盤には、ご祭神である桓武天皇と孝明天皇をのせた2基の神輿「御鳳輦(ごほうれん)」が練り歩く「神幸列」が巡行します。

両祭神に一年に一度、京都市内の安泰と繁栄、進化をご覧いただいて、京都市民の平安を祈る祭礼が「時代祭」の真の意義です。各列はこの神幸のお供をする行列となっています。

時代祭が始まった経緯や時代背景から、各列の詳細などは下記記事で詳しく紹介しています。ぜひ併せてご覧ください!

◎2022年の開催は?

コロナ禍で中止を余儀なくされていた時代祭ですが、今年2022年は10月22日(土)に通常開催されます。
例年どおり、総勢2,000名の大行列の先頭が京都御所の建礼門前を正午に出発し、約2㎞の道のりを進みます。平安神宮への到着は14:30頃の予定です。

すべての行列を椅子に座ってじっくり、ゆっくりと観られる有料観覧席は京都御苑、御池通、平安神宮道の3か所に設けられます。

有料観覧席の詳細とチケット購入は、京都観光オフィシャルサイトのこちらのページなどからご確認ください。

まとめ

今回は「京都三大祭り」と称される、祇園祭、葵祭、時代祭をご紹介しました。
3つの祭りは起源や目的、内容は違えども、いずれも京都という町に刻まれた歴史と育まれた文化が、誇りと情熱をもって祭りという形で表現されているように感じられます。

逆にいうと、京都三大祭りは千数百年もの京都の歴史と文化を一度に実感できる貴重なチャンスです。興味をもった方はぜひ祭りの期間に訪れてみてはいかがでしょうか。

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