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鬼を退治する方相氏に注目!由来は?なぜ4つ目なの?善行が逆に自らを苦しめる、悲劇のヒーローの裏側に迫る

2023/2/9
2024/3/8
鬼を退治する方相氏に注目!由来は?なぜ4つ目なの?善行が逆に自らを苦しめる、悲劇のヒーローの裏側に迫る

日本全国各地で行われる節分祭。鬼を追い祓う方相氏(ほうそうし)を見たことはあるだろうか?方相氏は黄金四つ目の仮面を被り、赤と黒の衣装を着て童を多数従え、鬼を追って歩く。昔は熊の毛皮を被った獣神であったとも言われる。

その恐ろしげな風貌を持つ存在はなぜ生まれたのだろうか?今回は方相氏が登場する節分の追儺(ついな)において、鬼を祓う方相氏に着目して様々な謎を紐解いていきたい。

方相氏の起源は中国にあり

古来、人間に対して疫病を流行らせる神がいると信じられており、それを「疫鬼(えっき)」と呼んでいた。追儺はその疫病神を追い払う儀式として「鬼やらい」とも呼ばれ、新しい年を迎えるための年越しの行事だった。

方相氏の語源とは?

方相とは四辺に区画された結界のことで、方位除けや陰陽五行説に由来する。つまり、この方相の災厄を駆逐するための役職が「方相氏」とも言われている。また方相氏の氏とは官名で、中国の殷の時代の職能的氏族の名残だという。

京都の吉田神社の大元宮にある方相氏の木像

方相氏はいつから存在した?

方相氏の歴史は今から三千年前、中央アジアから黄河中下流域に移動定着し、同名の王朝を築いた周の時代に遡る。周代の官制について記した『周礼』という書物には「方相氏は熊の皮を被り、黄金四つ目の面をつけ、赤黒の衣装に盾と鉾を持ち、数多くの役人を従えて悪い鬼を追い払った」という内容が書かれている。

熊の皮を被った理由とは?

なぜ熊の皮を被っていたかというと、熊が敵を退散させる力がある霊獣と考えられていたからで、実際に「猛獣であり怖い」という感情を呼び起こす。それにより疫病の鬼を威嚇するのだ。また、方相氏が従者を引き連れていることについて、獣神である方相氏が神獣を従えているという解釈がなされることもある。つまり、方相氏は元々獣神だったことを示している。

日本における追儺の始まり

ここまでは中国の方相氏の話。日本でも追儺の歴史は古く、今から1300年前に遡る。日本の方相氏の変遷について見ていこう。

古来の追儺は牛を作った!?

8世紀の記録である『続日本紀』によれば、慶雲3(706)年、文武天皇の時に、疫病が流行って多くの命が失われたため、その年の旧暦の大晦日に、土の牛である「土牛(どぎゅう)」を作って、鬼やらいを始めたのが始まりと言われている。方相氏ではなく、牛を作ることで厄祓いを実現していたという事実にはびっくりだ。

追儺に方相氏が登場した

ただ弘仁12(821)年に成立した『内裏式』には、方相氏の記述が登場する。「方相は大男で、黄金の四つ目仮面をつけ、黒と朱の着物を着て、右手に戈(か)を左手に盾をもち、やらいの声をあげながら先導して戈で盾を打つことを3回行う。」とある。

吉田神社の追儺式に登場する方相氏の存在は、この古式の形態を受け継いでいるとも言われている。ただ吉田神社の追儺には鬼が登場するが、これは後から追加されたもので、初期の追儺には存在しない。また、追儺の初期の呼び方は「大儺(たいな)」である。

吉田神社の追儺式に登場する方相氏

方相氏の性格とその特徴

それではここで方相氏はどのような存在なのか、詳しくみていきたい。

なぜ方相氏は4つ目なのか?

真相は定かでないが、一説によれば、妊婦が胎児と合わせると4つ目を持ち、邪視(睨むことで厄を祓うこと)の性質があると考えられていた。

またある説によれば、中国において方相氏は葬送の列を先導することがあり、墓の四隅の鬼を祓うため4つ目になったのだという。方相氏が描かれた明器(死者とともに墓に納められた器物)が墓の四隅に置かれる場合もある。ちなみにパリのセルヌーシ美術館所蔵の明器の土偶に描かれた方相氏は目が2つだが、実は背面にも2つの目があるらしい。

これは以前取材した日本の長野県の両面宿儺(りょうめんすくな)の像とも、どこか重なるものがある(詳しくは両面宿儺って読める?あの人気漫画でも知られる鬼神発祥の地に潜入取材!をご覧いただきたい)。

両面宿儺は2つの顔と4つの手を持つ(後ろ側にもう1つの顔がある)

仲介者として活躍してきた

中国の『周禮』という書物には、方相氏について「狂夫4人」と記されている。狂夫とはどのような身分かは定かでなく、他のどの官職にも登場しないことから、「通常の身分制度から逸脱した者」のことだと考えられる。

そして具体的なビジュアルイメージはわからないが、「非日常的な衣服」を身につけていたらしい。それゆえ日常の外に出たもの、すなわち邪気を外の世界に追いやる者としてふさわしいと考えられた。つまり異界と交渉をもつ追儺にふさわしかったのだ。

一方で追儺の際に方相氏は、君主が着用するがごとく素晴らしい服装を身につける。元々身分制度から逸脱した者が、なぜこのような服を着るのだろうか?元々節分が季節の変わり目であるかのごとく、方相氏は季節と季節、城市と城外、日常と非日常など、それぞれの局面を繋ぐ仲介者としての性格があったことが伺える。

吉田神社の追儺式に登場する方相氏

大きくて重たいのは力士と同じ

鬼を踏みつけた密教系の金剛力士像のポーズは、方相氏に由来する。そして、力士と方相氏の共通点は「大きく重い」ということにある。大地を活性化させるために大地を踏む行為「反閇(へんばい)」が見られ、これは相撲の四股と似た考え方である。

ちなみに現在行われている寺社などでの節分行事では、大相撲の力士が社殿から大衆に向かって福豆をまくことがあるが、これは悪鬼を追い払う方相氏の身代わりとして登場している場合もあるという。

善行が逆に自らを苦しめる

ところで、古代においては方相氏が鬼を追っていた。しかし、平安末期になると、方相氏の姿が恐ろしいことから逆に鬼だと考えられる事例が散見されるようになる。

本来は人の役に立つために凄まじい形相をしているのに、それに対する誤解や曲解もあったのだろう。もしくは、「毒を持って毒を制する」という知恵とも解釈もできるかもしれない。異形につきまとうのは悲哀なのだ。

これは異形だからという理由にはどうやら留まらない。この疫病や悪鬼を祓う力が、時の政治を転覆させる力さえ持っているという解釈まで生まれてくる。

マダラ鬼神の善悪はいかに?

この方相氏の善悪両義的とも言える構造は、様々な祭りにおいて散見される。例えば、京都太秦の広隆寺で行われる牛祭に登場する「マダラ神」は赤鬼、青鬼の四天王を従えて、厄を祓う神として登場する。しかし、薬師堂の前で1時間近く祭文を読んでいると、見物の者から野次を浴びせられて、最後には堂内に押し込められてしまう。これと同じ構造である。

ちなみに以前、広隆寺と共に日本二大鬼祭とされる、茨城県桜川市の雨引観音のマダラ鬼神を取材した。こちらは覆面をした鬼形の職人たちが毎晩現れて仮本堂の制作を始めたという「善い行いをした鬼」のストーリーになっており悲壮感はない。

茨城県桜川市の雨引観音のマダラ鬼神

獅子舞は厄を祓うはずが、逆に退治される

方相氏の仮面は追儺面と呼ばれるが、法隆寺や興福寺で見られるように、方相氏の代わりに仏を守護する毘沙門天が描かれた行道面が転用される場合もある。行道面は推古天皇20年(612年)百済の味摩之(みまし)によって伎楽が伝来した際に、伎楽面などと共に伝わった。

伎楽の行道に登場する獅子は道中の厄祓いを担う存在であり、全国に獅子舞として根付く。これが日本の北陸などの一部の地域では「獅子殺し」として退治されるべき対象に変わってしまっているのは興味深い。厄を祓う獅子舞が逆に厄として祓われてしまっているのだ。

ちなみに、以前オマツリジャパンで取材させていただいた富山県射水市高穂町の獅子舞は、一見天狗があたかも獅子を薙刀で退治するような格好だ。しかし、「これ以上立ち入らせまい」とするため、獅子殺しまではいかないようだ。つまり、獅子に対する解釈にも地域差がある。

富山県射水市高穂町の獅子舞

サンタクロースも悪者!?

この方相氏の善悪両義的とも言える構造は、各種の信仰にも見られる。民俗学者の柳田國男は妖怪は神が零落した姿としているし、賽の河原で閻魔とともに死人を見聞する奪衣婆(だつえば)は本来子どもにやさしい咳の神である。

また、これはヨーロッパのサンタクロースの起源となった聖ニコラウスの信仰などとと同様である。子供にプレゼントを与えるはずのサンタクロースが、ある地域では子どもを連れ去ったり、子どもを喰らうため恐れられたりする場合もあるようだ。

このように、追い払うものから追われるものへの転化を引き起こしている例は数知れず、様々な祭りや信仰の文脈との繋がりを感じさせる。

方相氏から祭りを深く理解する

このように方相氏は数多くの信仰と本質的な部分を共有しあい、お互いに影響し合いながら、成立してきた歴史がある。一年の終わりと始まり、死と再生、邪を退け福を招く除災招福、農作を祈願する農耕儀礼、仮面と邪視の信仰、数え切れないほどの連続性の中に、その存在を捉えることができる。節分の追儺に登場する方相氏を掘り下げることは、さまざまな祭りや信仰への理解を深めることにもつながるのだ。

<参考文献>
設楽博己『顔の考古学 異形の精神史』(2021年1月,吉川弘文館)
浜本隆志『異界が口を開けるとき 来訪神のコスモロジー』(2010年3月,遊文舎)
小林直弥『演劇総合研究(15)2002 p.11~22 追儺の研究–方相氏が芸能に与えた影響』
田中宣一『邪神と雑神(成城学園創立100周年記念号)』(2017年6月)
高戸聰『集刊東洋学 = Chinese and oriental studies (通号 98) 2007 p.1~19 方相氏の原初的性格』

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