栃木県那須地域の獅子舞というと、何を思い浮かべるだろうか?栃木県の中でもとりわけ獅子舞の伝承数が多い那須地域では、16地区で一人立ちの三匹獅子舞が行われている。今回、インターネットで検索したところ、那須塩原市の那須野が原博物館で大規模な獅子舞をはじめとした民俗芸能の展示を行っていることを知った。展示内容も凝っていて、獅子舞に対する熱い思いを持った方々がいるのでは?と直感的に感じた私は、早速現地に向かった。
博物館へGO!看板やポスターも発見
那須野が原博物館は西那須野駅から徒歩で30分。バスも運行しており、駐車場もある。ここで開催されている今回の特別展は「舞い踊る伝承-那須地域の獅子舞・城鍬舞・念仏踊り-」と題して実施。2021年10月9日(土)~12月12日(日)の期間で開催されている。
博物館に向かう途中、地域の個人商店の窓ガラスにこの特別展のポスターが貼られているのを見かけた。また、道路の交差点に大規模な看板も設置されていたので、企画者の熱量が伝わってきた。
那須地域の獅子舞の特徴とは?
館内に入ると、獅子舞をはじめとした民俗芸能の祭り道具が出迎えてくれた。今回は取材ということで、那須野が原博物館の学芸員・坂本菜月氏に展示について詳しく解説いただいた。「那須地域には様々な獅子舞があります」と教えていただき、獅子頭、衣装、太鼓など全ての地区がそれぞれ独自の形態を伝承していることを知ることができた。
1998年の栃木県の調査によれば、県内に伝承される獅子舞の数が63件で、そのうち16件が那須地域とのこと。春と秋に祭りが行われることが多く、五穀豊穣を願い風害を避けるなどの意味を込められたものが比較的多く見られるようだ。
那須地域にとって、獅子舞とはどのような存在なのだろうか?展示を拝見する限りでは、やはり身近な自然を対象に祈りを捧げているような印象が強く、神社への奉納に最も重きを置いているように感じられた。放っておけば獅子頭同士が噛み合うなどの言い伝えを持つ地域があるくらいで、獅子頭には魂が込められているような感覚を持っている地域の方も多いだろう。
日本全国には神社への奉納無しに地域の各家を回って舞いを披露する獅子舞も存在するが、那須地域で各家を回るのは三本木の獅子舞のみである。人口減少で担い手が減る中、獅子舞のどこを簡略化してどう変化していくのかは注目すべきポイントで、那須地域では神社への奉納に重点が置かれているという点は非常に興味深い。
獅子舞を次の世代に伝えていく工夫
ここからは、各地域に根付いた祈りをどのように次の世代に繋いでいるかに注目していきたい。今回の展示を通して知ることができた那須地域の獅子舞運営の工夫について、5つのポイントに絞ってご紹介していく。これだけの事例に触れられるのは、博物館の大規模展示ならではの醍醐味である。
①年齢制限を撤廃!多世代が担い手になれる仕組み
那須地域では、多くの地域で保存会が主体となり、獅子舞が実施されている。日本全国には青年団や子供会、獅子連など様々な運営形態が見られる中で、保存会という組織運営がされているのは何故なのか?興味深いところだ。
昔、那須地域では獅子を力強く舞うことで災厄を払うという意味から、若者組などを中心として若い演者が獅子を踊るということが多かった。しかし、担い手不足や高齢化などもあり、その年齢制限を撤廃して担い手を募る方法に変化していったところが多い。今では60代でも保存会員として伝承に携わっている場合もあるという。社会情勢などに適応してうまく組織形態を変化させながらも獅子舞を次の世代に繋いでいる印象だ。
② 60年ぶりの奇跡!?関谷の城鍬舞の復活
一度途絶えた民俗芸能を新しい運営形態によって復活させた例もある。それが関谷の城鍬舞(しろくわまい)の事例だ。城鍬舞は獅子舞とは異なり田植踊りを起源とする芸能ではあるが、お膳を逆さにしたような花笠をかぶる役が存在するなどの共通性がいくつか見られる芸能である。
関谷の城鍬舞は大正11年(1922年)に途絶えたが、60年後の昭和57年(1982年)に復活した。その功労者となったのが、復活当時に80歳だった大塚秷(いなお)氏だ。青年団OBによる復活の機運の高まりを受けて、演目や構成、衣装などの記憶を半年かけて呼び起こした。それに呼応するように、「城鍬舞復活期成同盟会」が結成され、支援体制が組まれた。その結果、地元有志によって復活を遂げ、愛宕神社に奉納されるようになった。復活後は城鍬舞の保存会が結成されて今に至る。ここでは青年団OBや大塚氏の個人的な思いのみならず、それに呼応するように「城鍬舞復活期成同盟会」という支援体制が組まれたことが興味深い点である。
③ 獅子舞が途絶えても、獅子頭を奉納!
獅子舞が途絶えてしまったとしても、獅子頭を地域の人々の守り神として次世代に繋いでいく動きもあるようだ。
平成5年(1993年)から休止している下厚崎の獅子舞は、地域の雷神社に獅子頭の奉納のみ行う習慣がある。同じく休止中の高林の獅子舞も高林神社にて獅子頭を奉納している。60年ほど休止している小島の獅子舞は御不動様に獅子頭を奉納する。小島の獅子舞の場合、集落20軒が獅子頭奉納と獅子舞道具の保管をそれぞれ持ち回りで担当する。
このような動きは那須地域の様々な場所で見られ、やはり信仰心の強い地域であることを再確認させられる事例だ。
④ 次の世代に伝えねばという使命感!三本木の獅子舞
獅子舞を次の世代に繋ぐことに対して、非常に熱い思いを持った地域もある。それが、三本木の獅子舞だ。獅子舞の奉納を中断していた時に伝染病に襲われたという言い伝えがあり、奉納を再開して今に至る。それもあってか、戦時中も男性たちが出征して不在のなかで、女性たちが獅子舞を演じたと言われ、途絶えさせてはいけないという強い気持ちのもとで受け継がれている。
毎年7月には病魔退散の願いを込めて、獅子が集落の家を一軒ずつ回る風習がある。これは昔は当たり前だったが、現在、那須地域では三本木しか行っていない非常に珍しい風習である。また、演目数が22も存在していたり、獅子が踊りながら声を発して歌ったり栃木県内では珍しい特徴が見られる。祭りの日程は現在、3月24日に近い日曜日と7月は土用の入り前後の日に集落を回ることとなっている。このように、強い使命感と熱い想いを持って獅子舞を伝承している地域もある。
⑤ 小学校が獅子舞に積極的に関わる動き
次の世代を担う子供達が獅子舞に積極的に関わっていくような動きもある。2019年に大原間小学校では、児童が地域に積極的に関わることを目的として「獅子舞クラブ」なる団体が発足した。そして、三本木の獅子舞との交流が行われた。獅子舞クラブのメンバーは15名で、17回の練習を経て、「大原間オリンピック」というイベントで獅子舞が披露された。この活動は今後も継続が検討されており、三本木の獅子舞を受け継ぐ担い手の輩出が期待されているようだ。
また、小学校自体が民俗芸能の運営主体に組み込まれる場合すらある。こちらは獅子舞の事例ではないが、百村(もむら)の百堂念仏舞は2011年の東日本大震災の影響で奉納ができず、翌年も子供の減少により中止となった。このように、災害や疫病で一度祭りが途絶えるとその後に復活困難となる場合も多い。しかし、市民の「なくしたくない」という想いから、百村地区だけでなく、穴沢小学校の6年生が担い手になることで再開に至ったようだ。現在は小学校の統合により、高林小学校がそのあとを引き継ぎ、担い手を継続して今に伝わっているという。
お祭りの担い手にも響く展示
今回の特別展「舞い踊る伝承-那須地域の獅子舞・城鍬舞・念仏踊り-」は、2021年12月12日までの開催となっている。まだ見に行けていない方は、ぜひ足を運んでいただきたい。新型コロナウイルスが流行する中で、疫病退散の願いがこもっている獅子舞の本質的な祈りの部分を再確認できる展示である。
また、それに加えて、今回紹介させていただいたように、那須地域の方々にとって獅子舞はどのような存在で、どのような工夫をしてそれを次の世代に繋いでいるのかを知ることができる展示となっている。祭りファンの方はもちろん、お祭りの担い手の方々にもぜひご覧いただきたい展示だと感じた。那須塩原市の公式Youtubeでは、各地域の獅子舞の動画を配信中とのことで、こちらもぜひ合わせてご確認いただきたい。
【那須野が原博物館】
●住所:栃木県那須塩原市三島5-1
●アクセス:JR宇都宮線西那須野駅からゆーバス西那須野内循環線「那須野が原博物館」下車、徒歩すぐ。駐車場あり。
●開館時間:午前9時~午後5時(展示室への入場は午後4時30分まで)
●休館日:月曜日(休日の場合は開館)、くん蒸期間、年末年始(12月29日~1月3日)
●観覧料:一般 300円(250円)、高校生・大学生 200円(150円)、小学生・中学生 100円(50円)
※( )内は20名以上の観覧料