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国宝「仁科神明宮」式年遷宮祭をきっかけに、信濃大町の魅力を再発見!

更新日:2020/6/8 岩©han
国宝「仁科神明宮」式年遷宮祭をきっかけに、信濃大町の魅力を再発見!

国宝、仁科神明宮。
長野県大町市の市街地から約6キロ。北アルプスの峰々を見渡すことの出来る丘陵地に、かつてこの地を支配していた豪族「仁科氏」が伊勢神宮を創祀(そうし)されたと伝えられている。地元出身である私にとっては見知った神社であるが、建築学や民俗学に縁がない限りは存在すら知らない神社であろう。

式年遷宮祭期間中、仁科神明宮の参道には提灯が立ち並んでいた。

祭り提灯が灯る拝殿

仁科神明宮の「神明造」の社殿は、伊勢神宮と同じ様式であり、「式年遷宮祭」が行われることでも知られている。

640年もの長いあいだ一度も欠かすことなく奉仕された例は、全国にも全くないことであり、まことに貴いならわしといわなければならない。
※国宝仁科神明宮パンフレットより引用

とあるように、式年遷宮のしきたりを頑なに守ってきた祖先たちには頭が下がる思いだ。長野県民らしい真面目さの表れともいえるかもしれない。

長野県大町市にこのように素晴らしい国宝が存在することは、学校の授業でそういえば習ったなぁ…という程度の認識だったが、2019年の本年、20年に一度の「式年遷宮祭」が開かれると聞きつけ、この貴重な瞬間に立ち会うべくお祭りに足を運んでみた。

伊勢神宮と同じ「神明造」の社殿

写真右:本殿、左:中殿 本殿と中殿を繋いでいるのは「釣屋」と呼ばれる。

仁科神明宮の造りは伊勢神宮と同じであり、「神明造」と言われる建築様式である。仁科神明宮は現存する最古の神明造と言われており、1636年(寛永13年)に建立されたものが現在にも残っているという。
今回の式年遷宮祭にあたり、国宝に指定されている本殿・釣屋・中門が修繕されたほか、鳥居なども改修されたのだそうだ。

工事期間中、一時的にご神体にお遷りいただく「仮宮」

工事期間は2018年末~2019年10月。約1年の工事期間を経て新しくなった本殿は、無垢な木材と檜皮葺の屋根が神聖な雰囲気を醸し出し、境内は真新しい木の香りで満たされていた。
ふと、第6感が強い幼馴染が「仁科神明宮の建つエリアに入ると空気が変わる」と話していたのを思い出した。シックスセンスなど露程持ち合わせていない私にも、その神聖さが感じ取れる様な気がする。歴史の重みがズシズシ伝わってくる様な、不思議な感覚だった。

資料館に展示されていた、前回(1999年)改修時の屋根材「檜皮葺」

資料館に足を運ぶと、今回の遷宮祭に伴う改修工事によって、葺き替えられた屋根材が展示されていた。前回の式年遷宮は1999年…20年の時の重みを感じさせる。

真夜中に行われる神事

燈籠で照らされた境内は幻想的な雰囲気

造営修理工事の期間中、仮宮にお遷りいただいていたご神体を、新しく修繕した本殿に遷す儀式は、真夜中の0時に開始。ライトアップされた境内は幻想的な雰囲気に包まれていた。

神事の様子がモニターに映し出されていた。

鳥居をくぐると、境内には大きなモニターが設置され、神事の様子を同時中継でモニター越しに見られるように工夫されていた。儀式は20名近くの神官と氏子たちによって厳粛に行われ、参加者たちはモニター越しにその様子を見守る。
そしていよいよご神体にお遷りいただく準備が整った。すべての灯りが消され、仮宮からご神体をお移しする。モニターも真っ暗で何も映らない。
深夜、暗闇の中で厳かに行われる神事。20年に一度という式年遷宮祭ならではの厳粛さが感じられる。

神事を終え、退席する神職たち

儀式を無事に終え、神社を後にする神官たちは、どこか安堵の表情を浮かべているように見える。20年に一度の神事ともなれば、相当緊張していたことだろう。心の中で「お疲れ様でした」と、敬意と共に労をねぎらった。
それにしても寒い。もっと暖かくして来ればよかった…。

奉納神楽は盛大に

ご神体を仮宮から本殿にお移しする神事は、祭り初日に無事に終了した。2日目には神楽の奉納が行われる。長野県の無形民俗文化財に指定されている「奉納神楽」の他、周辺地域の神社から獅子舞や神楽が奉納された。

長野県無形民俗文化財「奉納神楽」の一場面

どれも今までに見たことがないものばかり。地元長野県出身とはいえ、このように民俗芸能を間近で見る機会はほとんどなかったことに気付く。
厳粛さを感じさせる舞もあれば、滑稽でどこかおかしい舞もあった。地元とは言え、まだまだ知らないことが多い。

周辺の神社から獅子舞が奉納された

仁科氏の足跡を辿って…

仁科神明宮の建立に携わった「仁科氏」に興味を持った私は、お祭りの翌日、戦国時代に仁科氏が城を構えていたと伝えられる「森城址」を訪れるべく、木崎湖畔を目指した。こうして仁科氏の足跡をたどってみると、知らなかった地域の魅力を再発見できたような気がしてくる。

仁科氏を祀った「仁科神社」は木崎湖の畔に建立されている。

さて森城址だが、ここにはかつて城が構えられていたことを感じさせるものはほとんど残っていない。
平安時代から戦国時代にかけて約900年もの長きにわたってこの地を支配した仁科氏も、最後は武田信玄によって滅ぼされた。かつての居城跡には「仁科神社」が建てられ、仁科氏が祀られている。神社周辺はとてもきれいに整備され、仁科氏が滅亡した後も、この地域の人達によって大切に守られてきたことを感じさせる。

小熊山の頂上から見下ろす「木崎湖」その向こうに大町市の市街地が臨める

仁科神社から更に足を延ばして、木崎湖が見下ろせる小熊山の頂上まで登ってみた。登ったと言っても登山ではない。車で頂上まで登れるのである。紅葉は既に終わりかけ、天気も抜群に良いわけではないが、なんと美しい景色だろう。
この景色だけでも一見の価値はあるが、仁科神明宮、そして仁科氏が納めたこの大町市地域一帯の魅力を、周遊しながら味わえたらどんなに良いだろうか。

終わりに

地元大町市の国宝である仁科神明宮。社会科見学で行ったことがある…という程度の知識であったが、20年に一度の式年遷宮祭に参加することでその魅力と価値を再発見することができた。
仁科氏によって開かれ、仁科氏によって栄えた長野県大町市。その歴史と文化を辿ることで、点と点だったものが線となり、この地域の魅力が浮き彫りになってきた。
また20年後の式年遷宮祭にも足を運ぶことが出来る様、この地域の伝統としてお祭りが続いていくことを願う。

おまけ… 仁科神明宮「式年遷宮祭」の限定御朱印。

この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
故郷・長野県を愛するフリーランス

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