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西宮神社の「福男選び」はいつ・何のために始まった?その歴史に多大な影響を与えたものとは

2023/1/2
2024/3/8
西宮神社の「福男選び」はいつ・何のために始まった?その歴史に多大な影響を与えたものとは

午前6時の大太鼓の音とともに、表大門からなだれこむ参拝者たち。彼らは本殿を目指し全力疾走し、えびす様への新年初参詣を目指します。これが、えびす宮総本社「西宮神社」の十日えびす開門神事・福男選びです。

迫力ある走り参りの様子や、見事一番を獲得した縁起の良い「福男」の存在はニュースでも報じられ、福男選びは全国的に広く知られるようになりました。

ところで、えびす信仰は日本全国に浸透していますが、福男選びは西宮神社独特の神事だそうです。福男選びはなぜ始まり、どのような歴史を歩んできたのでしょうか?

今回は文化人類学、民俗学の研究者であり、長年西宮神社の開門神事講社を務める荒川 裕紀先生に、時代の変化とともに移り変わってきた、福男選びの意味やカタチについてお話をお伺いしました。


荒川 裕紀(あらかわ ひろのり)准教授
1977年大阪生まれ。甲南大学文学部卒業、甲南大学大学院人文科学研究科修士課程修了、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は文化人類学。北九州工業高等専門学校准教授などを経て、明石工業高等専門学校准教授を務める。西宮神社開門神事講社の理事として、安心安全な福男選び神事の運営に心血を注ぐ。

十日戎とえびす信仰について知っておこう

福男選びは十日戎(とおかえびす)という祭礼の一部。荒川先生のお話を紹介する前に、ここでは十日戎をはじめとしたえびす信仰について解説します。

十日戎は、漁業の神、商売繁盛の神、五穀豊穣の神として有名な「七福神」の一人、えびす様をお祀りする祭礼です。「東の酉(とり)の市、西の十日戎」といわれるように、十日戎は通称「えべっさん」と呼ばれ関西を中心に盛り上がりを見せます。十日戎の慣習は関東以北にも見られますが、恒例行事として深く根付いているのは関西地方といえるでしょう。

多くの場合は毎年1月9日から3日間行われ、9日を宵戎(よいえびす)、10日を本戎(ほんえびす)、11日を残り福と呼びます。

境内にはえびす様への参拝者はもちろん、縁起物の「福笹」とそれに飾る小判や米俵、鯛などをかたどった「吉兆」を求める人々、商売繁盛を願って熊手や福箕(ふくみ)を露店で選ぶ人たち、立ち並ぶグルメ屋台で舌鼓を打つ人々などでごった返し、3日間で100万超もの人が訪れる場所もあるほどです。

大規模な十日戎が行われる神社は、福男選びの舞台である西宮神社(兵庫県西宮)のほか、今宮戎神社(大阪府大阪市浪速区)や、堀川戎神社(大阪府大阪市北区)、京都ゑびす神社(京都府京都市東山区)、柳原蛭子神社(兵庫県神戸市兵庫区)などがあり、それぞれ多くの人々で賑わいます。

西宮神社の福男選びとは?

十日戎は、全国のえびす様をお祀りする神社で行われますが、福男選びは西宮神社独特の神事です。その発祥は鎌倉・室町時代頃まで遡るといわれており、深い伝統と歴史があります。
西宮神社の福男選びは次のような流れで行われます。

西宮神社では1月9日に宵戎が行われ、1月10日午前0時になるといったん全ての門が閉ざされます。神職は「居籠もり(いごもり)」をし、本殿では非公開の十日えびす大祭が厳かに執り行われます。

午前6時に表大門(通称・赤門)が開放されると、一番にお参りしようとする参拝者が一斉に走り出します。このレースさながらのアツイ走り参りを制し、本殿へ早く到着した1番から3番までの参拝者がその年の「福男」に認定されます。

昨年はコロナ禍の影響で「福男選び」は中止。約500人の参拝者はゆっくり歩いて本殿を目指した

近年は参加希望者が増加しており、5,000~6,000人にものぼるそうです。スタートに有利な先頭108人とその後ろの150人(2023年は100名程度予定)は、先着1,500名(2023年は1,200名予定)の中から抽選で決められます。

本殿までは230メートル程ですが、直線あり、カーブあり、スロープあり、転倒者続出の石畳ありと、楽なコースではありません。くじ運や体力、瞬発力、俊敏性を備えた者だけが、福男になれるというわけですね。見事福男になると、神社から認定書や木彫りのえびす様、法被(はっぴ)などさまざまな縁起物が授与されます。

福男はえびす様から一番に御利益を授かったとてもありがたい存在。たくさんの人から握手攻めにあったり、写真撮影を求められたりするんだとか。たくさんの福を持っている福男は、福を分け与える存在としてありがたがられるそうです。

次ページで「福男選び」の始まりと歴史をご紹介!

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