新潟県・佐渡島は「芸能のるつぼ」だ。神事芸能、風流、獅子舞、盆踊り、人形芝居、地芝居、能楽、狂言、門付け芸、大道芸など数ある芸能を挙げればきりがない。日本の様々な場所からこの地に民俗芸能が伝わり、それが蓄積していった結果である。
今回は芸能が盛んな佐渡島において、ほぼ全島に広がり、最も親しみがある芸能の1つとも言われる「鬼太鼓」をメインにご紹介したい。鬼太鼓は太鼓の音と共に鬼が踊り、獅子舞や翁まで登場することがあるなど、非常に要素が盛りだくさんの芸能だ。この鬼太鼓の素顔に迫ることで、佐渡島の多様な民俗芸能の魅力を掘り下げていくこととする。
佐渡島は芸能のるつぼ!その理由は?
佐渡島は新潟県北部の日本海に浮かぶ島だ。新潟市の佐渡汽船旅客ターミナルからフェリーで約2時間半の場所にある。観光名所として知られる佐渡金山があり、絶滅が危惧される野鳥・トキが生息することでも知られる。
なぜ、この島に日本全国の民俗芸能が次々と伝えられ、蓄積されていったのだろうか?その大きな理由の一つとして、奈良時代から中世末期まで流刑地とされていたため、様々な文化人(記録に残るだけで70数人)が流され、現地住民との接触があったからだと言われる。例えば、承久の乱に関わった順徳天皇、鎌倉幕府打倒を目指した日野資朝(すけとも)、能で有名な世阿弥など、歴史の教科書に登場する人物も数多くこの島に流された。このように重要な流刑地であった佐渡島は、江戸幕府の頃には幕府の直轄地になるなど、中央政権と結びつきの強い土地であったという視点も重要だ。
佐渡島の芸能の始まりについては諸説があるが、「1351年に地頭が舞楽の演舞を許可した」という内容の「長安寺文書」が存在しており、これが佐渡島における芸能の初めての記録とも言われている。
鬼太鼓って何?様々な形態が存在
鬼太鼓は五穀豊穣や厄払いなどの願いと結びついた、佐渡島全域に伝わる民俗芸能だ。鬼、太鼓、翁、獅子などが登場し、家を一軒一軒門付けして回るなど、各地域の祭りと密接に結びつき受け継がれている。
これには主に3つの系統があると言われ、豆をまく翁が登場する「相川系」、太鼓と笛に合わせて2匹の鬼が向かい合って踊る「前浜系」、悪者の獅子を鬼が退治するという鬼の悪魔払いが特徴の「国中系」に分かれる(近年の研究では、潟上系、一足系、豆まき系、前浜系、花笠系の5系統に分類する場合もある)。
例えば、この画像の鬼太鼓は何系だろうか?
正解は「国中系」の鬼太鼓だ。毎年6月の新穂天神まつりに登場し、中央の鬼とその両脇にいる獅子が対峙するのが特徴である。その他の鬼太鼓の形態についてもっと知りたい!という方はこちらの「佐渡芸能アーカイブ」のホームページをご覧いただきたい。
鬼太鼓の起源だが、16世紀の京都で演じられた記録があり、京都方面から伝わったという可能性もある。ただし、起源は未だ不明とされている。佐渡での鬼太鼓の記録として最も古いのは、延亨年間(1744~1748年)の相川まつりの絵図だ。ここには金銀山の抗夫が鬼の面をかぶって太鼓を打ったという記録が残されている。この頃には少なくとも、鬼太鼓が行われていたようだ。
現在でも徳和まつりでは、相川鉱山の坑夫が金を掘る姿を舞に取り入れた鬼太鼓が見られる。少なからず、佐渡島の産業である鉱山や地域のお祭りと深い関わりを持ちながら、佐渡島全土に広まっていったと考えられる。
新穂天神まつりに行ってきた!
それではここから、新穂天神まつりの鬼太鼓をご紹介したい。新穂は新潟市からのフェリーが寄港する両津港から車で約15分の場所にある農業が盛んな地域だ。新穂天神まつりは新穂・馬場・三協・北方といった複数の村にまたがる天満宮のお祭りで、2022年6月24日〜25日の日程で行われた。
今回は25日の夕方からこの祭りを訪問。管明寺を拠点として行われ、提灯行列や神輿、締めくくりの鬼太鼓を拝見した。コロナ禍での中止もあり2年ぶりの祭りの実施だったため、例年にも増して期待感の高いお祭りだったことだろう。こちらが新穂天神まつりのポスターだ。手書きの感じから祭りに対する親しみやすさが伝わってくる。
ポスターの案内どおり管明寺に18時半頃に行ってみると、お神輿の行列が出発するようだ。お寺の境内の中心をぐるりと3周回って町に出て、「チョーサヤ、チョーサヤ」の掛け声とともに回っていた。大人が神輿を担ぎ、子供は行列に参加したり、それを追いかけたりする。これが自然と多世代交流になっており、とても素晴らしい光景に感じられた。
道の途中から「献灯」の文字が書かれた大きな山車も登場!日が暮れると点灯して、夜の町を明るく照らしてくれることだろう。
夜8時になりお寺の境内には円を描くように人だかりができた。そして、いよいよクライマックスの鬼太鼓が始まった!夜の暗い管明寺の境内にまず太鼓の音が響き渡り、それから鬼が登場。それからしばらくして、背後から獅子も現れた。獅子が管明寺の天満宮に近づこうとするのを阻止するように鬼が立ちはだかるのだが、これは悪者としての獅子を寄せ付けない厄払いを表しているようだ。
黒髪の鬼の演舞が終わると、最後に登場したのがこの白髪の鬼だ。先ほどに比べると、鬼の動きは徐々に激しさを増しているように思われた。指先までピーンと伸ばす手さばきが素晴らしく、能の要素を感じる鬼太鼓だった。
当日の演舞の様子は、私のYoutubeチャンネルにも動画を掲載したので、こちらからも是非ご覧いただきたい。当日の臨場感を感じていただけたら嬉しい。
演舞の終了後は拍手に包まれ、鬼との記念撮影が行われた。子どもと鬼との2ショットが行われるなど、和やかな雰囲気に包まれた。
25日の鬼太鼓は新穂中央青年会が担当しており、朝4時から門付けを始め日中はぶっ通しで踊り続けてきたようだ。夜8時の演舞でもこれだけの体力が残っているとは!と非常に驚いた。そして、これからこの演舞の後もまだ回りきれていない家を回るのだという。私は夜の月明かりとともに帰路に着いたが、太鼓の音は町に響き続けていた。
多様な鬼太鼓が地域を繋ぐ
このように鬼太鼓は「芸能のるつぼ」である佐渡において、ひときわ地域に親しまれた芸能であり、各地域で様々な形態を今に伝承している。そのバリエーションの豊富さは、獅子舞や能など周辺の芸能との結びつきによるものであり、佐渡島に芸能文化がどれだけ蓄積してきたのかを物語っているように感じられる。この地域の民俗芸能やお祭りについて関心がある方は、ぜひ鬼太鼓を見てみるのも良いだろう。100地区以上で受け継がれ、年間を通して演舞が行われている。「佐渡芸能アーカイブ」のホームページには、祭りの日程も掲載されているので、ご参照いただきたい。
参考文献
佐々木高史『佐渡のまつり』(2018年10月)
両津市郷土博物館『郷土を知る手引 佐渡ー島の自然・くらし・文化ー』(1997年3月)