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阿波踊り界の異端児 東京三鷹 寶船(宝船)米澤渉氏 インタビュー <その1>「踊りだしたら命懸け」

2018/11/1
2024/3/7
阿波踊り界の異端児 東京三鷹 寶船(宝船)米澤渉氏 インタビュー <その1>「踊りだしたら命懸け」

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」。

阿波踊りは400年以上前に徳島から始まり、今や北海道から広島まで各地に広がる一大フェスティバル。かく言う筆者も、見るだけに飽き足らず、東京高円寺で阿波踊りを踊るようになってしまった一人です。

そんな全国に広がる阿波踊りの「連」の中でも、東京三鷹市を拠点とする「寶船」は、ひときわ異彩を放つ存在。彼らは阿波踊りを主軸に新たな日本芸能の可能性に挑む、プロフェッショナル・パフォーマンス集団です。世界各地に熱狂的なファンを持ち、その活動は現在年間300ステージ、世界38都市まで広がっています。

その激しい踊りゆえ、時に「あれは阿波踊りではない」とまで言われる寶船。そのスタイルを貫く、プロデューサー兼リーダーである米澤渉さんにお話を伺いました。

寶船プロデューサー兼プロメンバー『BONVO』のリーダー 米澤渉氏

1.日本唯一のプロの阿波踊り集団

寶船はこれで生計を立てる「プロ」の団体です。ほかの連ではメンバーは別の職業を持ち(仕事に支障が出るくらい没頭してしまう踊る阿呆もたくさんいますが)、阿波踊りはあくまで趣味というのが普通です。そんな中、寶船ではどうしてこういう形を取るに至ったのでしょうか。

米澤氏:
東京都三鷹市で生まれ育ちましたが、父親が徳島出身だったこともあり、子供のころから三鷹の連で踊っていました。折しもJリーグが始まったころ。サッカーやバスケをする友達の中で、「阿波踊りをやっている」というのが恥ずかしくて言えずにいました。

成長するにつれ、ブルースをベースとした音楽を始め、全国ツアーをするまでになりましたが、自分の演奏は外国の音楽がルーツであり、次第に「自分は何になりたいのか」という葛藤を抱えるようになりました。その中で自分の中にあったのが「阿波踊り」でした。

父親が劇団をやっていたので、価値あるパフォーマンスをしてチケットを売るというのは自然な流れでした。そして、自分が演奏していたライブハウスで「阿波踊りをやりたい」と掛け合ってみると、「面白いからぜひやって」と快諾。その話題性からチケットも即ソールドアウト。現在はプロメンバー5人、セミプロ、一般メンバーを含め50名ほどが在籍。年間200公演、これまで訪れた国は20か国を超え、世界を股にかけ公演を行っています。

ライブハウスで行われた寶船の公演

2.阿波踊り界の異端児、寶船

阿波踊りと言えば、徳島で生まれた伝統芸能で、一糸乱れぬ女踊りと、ダイナミックな男踊り。軽やかな鳴り物。そんなイメージを抱く方が多いと思われます。

筆者の所属する高円寺 和樂連。「阿波踊り」と聞くと一般的にこういったスタイルを思い浮かべる人が多いであろう

それに対して「寶船」は、「踊りだしたら命懸け」を体現する極めて激しいパフォーマンスで知られます。

寶船の激しいパフォーマンス。一般的な阿波踊りの連との違いは一目瞭然

浴衣の女踊りはなく、全員が赤い法被。派手なメイク、隊列は組まず、髪を振り乱して踊る。鳴り物(楽器)は、締め太鼓を中心とした打楽器のみ、という独特の個性を持ちます。どうやってこのスタイルを確立されたのでしょうか。

米澤氏:
子どものころ「阿波踊りをやっているというのが恥ずかしかった」と言いましたが、興味を持ってもらえるよう、観てもらえるよう突き詰めたらこの形になりました。

阿波踊りはもともと街中で繰り広げられるダンスバトルのようなもので、激しく、心のままに踊るものでした。それが大阪万博以来、「文化のアイコン化」が進み、阿波踊りと言えば、集団でそろった動きをするもの、和楽器を使うもの、という型にはめられたものになりました。長い歴史の中で、物資のなかった戦後は寄せ集めの浴衣を着、バイオリンやトランペット、フライパンを持って踊った時代もありました。現在の多くの連のような形が定着したのはごく最近のことです。

大正時代 阿波の盆踊り 『近代庶民生活誌 第8巻 (遊戯・娯楽)』

文化は常にアップデートされていくものです。マネ、トレースしているだけでは終わってしまいます。伝統はイノベーションの連続なので、一つの形を提唱するのが寶船の役割だと思っています。

徳島や高円寺の大きな連の方とも仲良くさせていただいていますが、その方たちが本丸を守っているとしたら、寶船が足軽としてアナーキーで異端なことをやっているんだと思います。有名連が取れないリスクを、インディペンデントに活動する僕らが取っていく。それによって、阿波踊りに興味を持ってくれる人が増やしていくことが、僕たちの役割だと思っています。

エネルギーが爆発する寶船のステージ

3.米澤氏にとって阿波踊りの魅力とは?

米澤氏:
踊る、という人間の本能を開放できることですね。普段はカギを掛けてしまっていますが、お祭りというハレの場では開放することができます。阿波踊りは非常に簡単で「手を上げて足を運べば阿波踊り」という言葉があるくらいで、誰でも踊れるハードルの低いものです。そこに生演奏が加わるライブ感。こんなお祭りはそうそうないです。

僕たちは学校の芸術鑑賞・体験事業にも力を入れています。心に問題を抱えた子どもたちが多く通う高校で、半年間踊りと鳴り物を練習し、最後に文化祭で発表するというプログラムを行いました。初めは「阿波踊りなんて」と言っていた生徒たちが、ファンになって夏のお祭りにはすべて来てくれ、文化祭では見事に踊り切り、「人生でこんなに拍手をもらえたことはない」と言って泣いていたんです。本能から出る欲求を満たし、自己肯定感を高めるという体験は、人生において大きな意味を持つものだと思います。

高校で行われたプログラム。踊りに打ち込み、やり遂げた感動は、生徒たちにとって忘れられない経験となる

4.阿波踊りがもたらす地域への影響とは?

米澤氏:
「その時期、その地域に帰ろうと思える理由」になると思います。人を外から集めてくる文化の引力であり、仕事や年齢、利害関係を超えて出会える化学反応を起こしてくれるものです。お祭りの時に同窓会や年に一回の飲み会があったり、初恋の子にばったり会ったり。町内会やボランティアを通じたコミュニティの繋がりを与えてくれるものでもあります。高円寺阿波踊りでは小学生から大人まで、たくさんのボランティアが掃除や設営などたくさん関わってくださっています。これが逆に徳島にも広がっているそうです。

踊ったり、お神輿を担いだりという行為は、それがなくても生きていける、一見意味のないことです。でも、その意味のないこと、バカなことを、全力で力を合わせて、心を合わせてやる。そこで時間を共にした仲間は何年たってもすぐに心が繋がります。そういうことを説教臭くなく教えてくれるものだと思います。

寶船結成当初、連長・米澤曜氏が未来の寶船として描いたもの。心の赴くままに踊り、動きも様々。その変わらぬ強いビジョンが感じられる

 

穏やかな語り口に秘められた使命感と熱い思い。それがあの激しいパフォーマンスとして現れるのを感じました。

次回、寶船のもう一つの特徴のである、発信力、特に海外に向けた取り組みについて伺います。お楽しみに!

米澤 渉

一般社団法人アプチーズ・エンタープライズ プロデューサー
寶船 BONVOリーダー/山形県米沢市おしょうしな観光大使 。

1985年生まれ。東京都出身。
1995年の「寶船」設立より所属し、その激しいパフォーマンスで幾多の観客を魅了。
アメリカ横断ツアー、インド・フランス・NY・香港での公演など、海外での活動も積極的に行なっている。

寶船オフィシャルサイトはこちら

後編:阿波踊り界の異端児 東京三鷹 寶船 米澤渉氏インタビュー <その2>「興味を持ってくれる人がいなければ文化は終わる」

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