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デザイナーの髙坂さんが、持病と戦いながら青森・岩手の山車祭りの取材を続けた理由 30の山車祭りの魅力、ぎゅっと一冊に

2026/7/28
2026/7/27
デザイナーの髙坂さんが、持病と戦いながら青森・岩手の山車祭りの取材を続けた理由 30の山車祭りの魅力、ぎゅっと一冊に

青森県八戸市や岩手県盛岡市を中心とする旧南部領には、夏から秋にかけて、歴史や物語を題材にした「風流山車」が町を練り歩く祭りが点在しています。

八戸在住のデザイナー・髙坂真さんは、八戸三社大祭の山車組に参加する一方で、近隣地域の山車祭りを訪ね歩き、自主発行の冊子『のへの』第3号で30の祭りを紹介しました。

きっかけは、八戸への愛着と違和感――。大きく華やかな祭りの内側にいながら、周辺地域の小さな祭りへ目を向けたとき、何が見えてきたのか。持病やコロナ禍と向き合いながら取材を続けた髙坂さんに、『のへの』に込めた思いと、山車祭りのこれからを聞きました。

ーー「のへの」という名称は岩手県の一戸町、二戸市、九戸村、青森県の三戸町、五戸町、六戸町、八戸市、七戸町などの「のへ」ですよね。この冊子を作ろうと思ったきっかけを教えてください。

本当は、帰省後に八戸が嫌になっていたんです。八戸のために何かしようと思って八戸に戻った時に、アートを通したまちづくりに疑問がありました。「好きだけど嫌い」「この地域は難しい」と感じました。病気もあるけど生きていかなければという思いもありました。その時に、もう少し広域でやることにしっくり来ました。

デザインは、社会や暮らしを良くするために芸術的な視点や思考を活かすことだと理解しています。「機能する芸術」ですね。物もそうですが、社会の仕組み、課題解決などを計画して導く。1人では解決が難しいことにクリエーターがリーダー役として入り、柔軟な発想でみんなで解決していくような。アートも否定していません。個人の中から想像力が湧き出るアートには、デザインの力では解決できないようなことを突破する力があると思います。行政が取り組むアートによるまちづくりには、物事を整理する力がある「デザイン」の視点が必要だと思うんです。八戸にはそれを感じなかった。

大学を卒業してすぐに働いたのが、半世紀ほど「室内」というインテリア雑誌を出していた工作社でした。7月にアルバイト採用してもらったのですが、7カ月目で休刊したんです。就職氷河期の1つ下の世代で、加えて持病もあって、ようやく入社できたのにダメになって・・・転職を繰り返しました。30歳になった2008年、地に足がついていないことが嫌になって翌年Uターン。八戸観光コンベンション協会に臨時職員で入り、「八戸ふるさと検定」の公式テキストブック制作を手伝ったり、八戸三社大祭のガイドブックのリニューアルで編集長をやらせてもらいました。

2014年に、自分が参加している三社大祭の山車組「新荒町附祭若者連(しんあらまち つけまつり わかものれん)」の100周年記念誌を作ったり、2016年に三社大祭を含む山・鉾・屋台行事がユネスコ無形文化遺産の一覧表に記載されたことを記念する記念誌のデザインを担当しました。

2017年9月に、自分の「師匠」が青森県南部と岩手県北部のものづくりを見たいと、二泊三日で来ました。そして、小久慈焼や大野木工、鋳造工場、森林組合、製氷会社、漆の産地・二戸市浄法寺を見学しました。師匠は、デザインを活かして自分の地域を良くしようとしていたので、僕にも同じように活動してみることを提案されました。そして、2018年の初めにプロジェクト名をブレインストーミングして送ってくださったんです。そのなかに「のへの」があって、それにピンときて、まずはロゴを作りました。

良いロゴを作ったら何かをやりたくなります。当時自分も参加していた、盛岡、秋田、弘前の仲間が集う「さんかく座」というイベントが6月に開かれるので、それに間に合わせようと、冊子を作りました。

2020年5月頃の1回目の緊急事態宣言の直後にもどかしくなって「何かやりたいな」と思い、八幡馬(八戸の郷土玩具「やわたうま」)を作っている大久保直次郎さんの製作記録を撮り始めました。1年半かかりましたが、その記録を2021年11月に2号目として出しました。

ーー2024年に刊行した3号で多くの旧南部領の祭りを取材しようと思ったきっかけは?

地元の八戸市新荒町が昔から三社大祭の山車組のある町内で、Uターンして「お祭りに出られる!」と喜んでまた出たら抜け出せなくなりました。祭りは好きだけど、ユネスコ無形文化遺産に登録され、観光化されたり、巨大な山車を作り続けることに「このままでいいのか」という思いもありました。そこで、2019年に近隣の山車祭りを見てみることにしたんです。近隣の祭りは安直に「八戸の山車の縮小版でしょ」と思っていましたが、それぞれに地域性があっておもしろかったんです。

八戸三社大祭の山車組「新荒町附祭若者連」の山車小屋で発泡スチロールを削る髙坂さん

2022年、三社大祭はコロナ禍の影響で山車運行がありませんでしたが、周辺地域ではやっている所もありました。それをきっかけにまた見始めて、確信を持ちました。

同じタイミングで五戸町の菊池染工の作業工程の記録を撮っていました。染物屋さんはお祭り、神社、郷土芸能と親和性があって、同じ本に一緒に掲載すれば意味があるなと。現在では、祭りの衣装や幕はパソコンでデザインし、文字は自由に選べ、シルクスクリーン印刷やプリントで作れます。一方、染物屋さんは、例えばお祭りの半纏でも、背中に何が入るのか、見て自分で考えて理解しています。書体にはどういうものがあって、どう違うのか、身体で覚えていて同じ書体でも染物屋(というか人)によって違います。また、祭りや神楽は地域のもので、地域との関係性を考え、遠方からの依頼があったとき、その依頼主の近くに同業がいればそちらを紹介するなどして仕事をします。染物屋さんがいなくなるということは、そういう様々なことが失われるということです。そこから、祭りと染め物の2つを1つの号に掲載することにしました。

ーー南部の祭りの大半は、7月下旬の八戸三社大祭にはじまり、青森や岩手の各地で9月末まで続きますよね。このわずかな期間で全ての祭りを見て回った?

2023年に27の祭りを見て回りました。4日間で7つの祭りを見たこともあります。金曜日に久慈秋まつり、土曜日に一戸町の小鳥谷、次に軽米、夕方に浄法寺の郷土芸能披露会、日曜日に二戸市堀野と南部町苫米地をハシゴ、さらに翌日においらせ町百石。百石では、撮りたかった自作山車が直前で故障して、仕掛けが開いた山車を撮れませんでした。そこで、その翌々週の金曜日の夕方に普代村、土曜日の夕方にイオンモール下田での祭りで百石の山車撮影をリベンジして、その翌日に始発の新幹線で東京に行って(持病の治療のために)入院しました。

平日に祭りの開催日を確認してスケジュールを作り、週末は組んだスケジュールをこなして、27の祭りを見ることができました。でも、ここまでやったのに久慈市の「ガタコン祭り」に2023年は山車が出ていたことを知った時は、ガクッとしました。だから、ガタコン祭りと、コロナ禍を挟んで2023年も山車を出せなかった泊例大祭、戸来三嶽神社例大祭は写真を提供してもらったんです。

ーー何か気づきはありましたか?

取材を通して繋がりが増えました。このエリアの人がよその祭りを見に行って、それを知るきっかけになれば。広域のエリアで知り合いが増え、助け合える関係が増え、結果、「のへ」のエリア全体が底上げされた良い地域になればと思いました。

2025年の新荒町の山車

山車の上で大太鼓を打つ髙坂さん

ーー八戸三社大祭は南部の祭りの中で最も規模が大きく、100万人以上の人が訪れます。そのせいなのかは分かりませんが近隣の祭りに意識が向かず、八戸の人はどこか、地元しか見ていないのではとも感じます。

八戸は、盛岡市や青森市以外ではこの地域で大きな都市。仕事を求めて遠方からも近隣からも人が来て、助けられている部分もある。一番大きな都市である八戸が音頭を取って周辺地域のリーダーとして助け合える動きを見せられたら良いと感じますね。

ーー南部の山車祭りの良いところは?

(少し考える様子を見せ)考えたことがなかったです。「祭りはいいもんだな」とただただ思います。どの祭りに行っても、町が元気で、人のエネルギーが溢れ出すような。「ハレとケ」で言えば、一年のうち大半はなんでもない「ケ」です。でも「ハレ」があるから頑張れる。大半が神社の祭りだけど、神様のことや難しいことは考えなくても、一年に1回、同じ仲間と同じような行事を執り行えることが幸せなことなんじゃないかな。「一年色々あったけど、この日を迎えられてよかったな」と。それを続けられることが大切なんだと思います。

ーー特集の最後は、「地域にお祭りは必要だ」「これからも続いていってほしい」の言葉で締めくくっていますね。その真意は?

「これからも続いていってほしい」は特に八戸三社大祭に対する想いです。(人口減少社会のなかで)身の丈に合っていない山車を作っていると僕は思うんですよね。

自分たちより上の世代の人たちが頑張って山車を大きくしたから、小さな山車には戻したくない。でも、若い人が増えない現実があるから「毎年これが最後かもしれない」と思って山車を作っている人もいる。異なる山車組同士の合併は、(お囃子や山車の作風など)組の文化が違うから難しい。山車の制作技術は向上したけど、今のメンバーで作ることができなくなったら終わってしまうかもしれない。でも、一番大事なのは、山車が小さくなっても毎年山車を出せることだと思うんです。山車が出せなくなったら、祭りは見て楽しむものになってしまう。現場では言えないので、「そのためにどうしたら良いか考えて、勇気を持って変わっていこう」という思いを込めたというか。

盛岡や一戸の山車は、大きさで言えば八戸より小さいかもしれないけど、作法を守っている。八戸も始まりは盛岡や一戸と同じだったかもしれないけど、台車を変え、制作技術がどんどん自由になってここまで大きくなった。これは街にも言えると思うんです。

八戸も良いところがある街だけど、細々と良いところがあって、それを理解してもらうのは得意ではない。自分たちの街のどこに、周りの人が価値を感じているかを、自分たち自身が理解していない。だから巨大化して、「これでもか」というほど彫刻や人形が載る。近隣の山車は、ひとつひとつをしっかりと見ることができる。

一戸まつり(岩手県、2025年)

昔の山車は今より小さかったかもしれないけど、面白かった。今の山車は、たくさんの人が、ものすごい時間と労力をかけて作っているのに、ただただ「すごい」で終わってしまうかもしれない。

ーー八戸三社大祭は、明治維新後に元八戸藩士の大澤多門が、地域振興のために3つの神社の祭りにしたという背景がありますね。

まちづくりや地域づくりとお祭りはリンクするところがあると、前から思っています。山車組と町内のつながりを切り離したら良いという考えもあるかもしれないけど、それでは意味がなくなってしまうと思うんです。地域と山車組はセットであるべきだと思っていて、その仕組みを組み直すというか編み直す時期に来ているんじゃないかと思います。

八戸三社大祭は、全世代参加型の祭り。子どもたちを主役とした地域コミュニティの核として、郷土愛を育む場でもある。

祭りが地域にあるのはとても良いこと。うまく活用すれば八戸ももっと良い街になっていくと思うんです。観光のためじゃなくて、まちづくりの側面もある。

ーー今後、「のへの」でやりたいことは?

次号と次次号の特集は南部せんべいの予定です。南部せんべいは八戸から三戸までの馬淵川流域のエリアが発祥ですが、岩手県や青森県津軽、そして遠くは北海道根室や網走まで伝わっています。

八戸にいると、南部せんべいの話題は発祥地域のプライドからか、八戸から三戸までのエリアが中心になるので、まずは次号で岩手や津軽も含めて歴史をまとめたいです。この特集で稼いだお金を握りしめて根室まで行きたい、どうやって行くんだろう、いくらかかるんだろうと思いを馳せています。

ーーそれまで元気に取材してくださいね!ありがとうございました。

 

(編集部より)

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