関東の11月の祭りといえば「酉の市(とりのいち)」。11月に2回(多い年では3回)巡ってくる酉の日に開催され、境内には縁起熊手がぎっしりと並び、開運招福・商売繁盛を願って買い求める人々で賑わいます。中でも、
◎浅草 鷲(おおとり)神社・長國寺
◎新宿 花園神社
◎府中 大國魂(おおくにたま)神社
の3か所は、その規模や由緒から「関東三大酉の市」や「江戸三大酉の市」と称されています。この記事では、酉の市の始まりや由来、発祥となった場所や歴史などとともに、3つの酉の市の特徴などについてご紹介します。
(この記事は2022年に公開されたものを再編集しています。2023年11月1日 編集部更新)
酉の市の由来は?
酉の市は、鷲神社や大鳥神社といった名前の神社や、その名の境内社がある神社で開かれていることが多く、数はそれほどありませんがお寺で開催している所もあります。
由来にはいくつか説がありますが、主なものは神道と仏教、それぞれ鷲にちなんだ次のような説です。
神道説
天照大神(あまてらすおおみかみ)が洞窟に隠れてしまった時、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が踊り、天の岩戸が開きました。その場には弦(げん)という楽器をつかさどる神がいて、弦の先に鷲が止まったため、神様たちは世の中が明るくなる兆しだと喜んだそうです。
後にこの神様は鷲の一文字を入れて「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」と称するようになり、諸国の土地を開いて、開運・殖産・商売繁盛のご利益がある神様として祀られるようになりました。
さらにその後、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征討の際、現在の埼玉県久喜市にある鷲宮神社に立ち寄って戦勝を祈願したといわれています*。
志を遂げて帰還する途中、神社の前の松の木に武具の「熊手」をかけて勝利を祝いお参りしました。その日が、11月の酉の日だったので、この日を例祭日と定めて始まったのが「酉の市」といわれています。
*立ち寄った神社には諸説あります
仏教説
鎌倉時代の文永2年(1265年)に、法華宗の宗祖・日蓮大聖人が上総国鷲巣にある小早川家(現在の千葉県茂原市にある大本山鷲山寺)に滞在し、国家平安を祈願していた時のこと。突然、金星が動き出し、不思議な力をもってして「鷲妙見大菩薩(わしみょうけんだいぼさつ)」が現れ出たのだそうです。
鷲妙見大菩薩は、七曜の冠を被り宝剣をかざして鷲の背に立つ姿から「鷲大明神(おおとりだいみょうじん)」や「おとりさま」と呼ばれてきました。鷲妙見大菩薩が現れたのも11月の酉の日だったそうです。
酉の市の発祥の地は?
酉の市が始まったのは江戸時代からといわれます。神社やお寺の例祭として開かれていた時は、「大酉祭」や「酉の祭(とりのまち)」と呼ばれていましたが、呼び方がなまっていったことや、同時に市が立ち盛大になっていったことから、いつしか酉の市と呼ばれるようになっていったようです。
発祥の地とされているのは3か所。
1つ目は江戸近郊の花又村、現在の足立区花畑にある大鷲神社です。当初は周辺の農民が収穫に感謝する祭りで、氏子たちは大鷲神社に鶏を奉納し、終わると集まった鶏を浅草の浅草寺まで運び、観音堂前に放してやったといわれます。
市では農具・古着・農作物・餅などが売られる農村的な祭りでしたが、農具の熊手が「福を掻き込む」と考えられてか、もっぱら水商売の人が買い求め、次第に農民以外に人気を博して都会的な祭りとなっていったそうです。
2つ目は、明治時代に政府から神仏分離令が出るまでは一つの敷地内にあった浅草の長國寺と鷲神社。
東隣に新吉原をひかえていたこともあり、鷲妙見大菩薩が千葉の大本山鷲山寺から長國寺に迎え移された明和8年(1771年)頃から、一躍「酉の町」として知られるようになりました。長國寺は浅草田圃(たんぼ)の酉の寺と呼ばれるようになって、江戸随一になった賑わいを猫が窓越しに見ている様子が、浮世絵「名所江戸百景」の一枚にも描かれています。
3つ目は足立区千住にある勝専寺(赤門寺)ですが、現在は行われていません。当時、花又村は「本の酉」、千住は「中の酉」、浅草は「新の酉」と呼ばれ、この3ヵ所の酉の市が有名だったそうです。
三の酉まである年は火事が多い?
酉の市は11月の酉の日に開かれ、最初の酉の日を「一の酉」、次を「二の酉」、三回目を「三の酉」と呼びます。日にちには十二支が割り当てられていて12日に一度は酉の日がめぐってくるので、11月の1日から6日の間に一の酉のある年には、必ず三の酉もあることになります。
ちなみに今年2023年は、11月11日(土)が一の酉、11月23日(木・祝)が二の酉です。
「三の酉まである年は火事が多い」と言われるのを聞いたことがありますか?しかし、結論からするとどうやら確証はないようです。酉の市は正月を迎えるための一番早い祭りともいわれるように、三の酉までいくと冬の乾燥が一層強まる時期なので、戒めと注意喚起だという説があります。
また、浅草の酉の市の帰りに男性が吉原に寄ることも多く、留守をあずかる女性としては三回も酉の市があってはたまったものではありません。そのため三の酉がある時は「火事が多い」とか「吉原遊廓に異変が起こる」という俗信を作って、男性を酉の市に行かせないようにしたのではと考えられています。
ここまでは、酉の市の由来や発祥地などをご紹介してきました。ではここから、三大酉の市のそれぞれについて過去のレポートも交えてお伝えします。
◎浅草 鷲神社・長國寺
細い通りを1本隔てて隣り合っている浅草の鷲神社と長國寺は、もともと一つの敷地内にあり、現在も酉の市を共催しています。江戸随一だった賑わいは今も健在。特に鷲神社は広々とした境内に70もの熊手店が出店し、規模の大きさ、きらびやかな熊手の種類や数の多さに圧倒されます。
長國寺も参道に熊手店が立ち並んでいるので、両方を行き来しながら、そこかしこで上がる手締めと威勢の良い掛け声を聞いているだけで、江戸時代から続く伝統と文化に思いを馳せることができます。
浅草の酉の市は例祭として執り行われていて、午前0時の一番太鼓とともに始まり、丸一日24時間開催されます。
熊手のほかにも、眼光鋭い鷲の面を被た舞手が勇壮に舞い、参拝者の邪気を払ってくれる「鷲舞ひ」や平成福運太鼓の奉納などの見どころも。御朱印を集めている方には見逃せない、酉の市限定御朱印も、鷲神社と長國寺ともに用意されています。
もちろんグルメ屋台も充実。鷲神社~長國寺の裏手を走る道路と、鷲神社の南側の通りをびっしりと屋台が埋め尽くしていて、酉の市名物、切山椒のお店もあります。
毎年行くのが楽しみな浅草の酉の市。今年2023年も通常通り開催されます。現地の様子は過去の詳細なレポート記事をご参考に、お出かけ前には今年の開催概要を鷲神社の案内ページ、長國寺の案内ページをあらかじめご確認ください。
◎新宿 花園神社
毎年、浅草に並ぶ賑わいを見せるのが、大鳥神社を祀っている新宿の花園神社の酉の市。境内社に芸能浅間神社があって崇敬が篤く、拝殿前のまばゆいばかりの提灯のなかには芸能人の名前をよく見かけることも特徴の一つです。
決して広くはない境内ですが、小さな熊手店がひしめき合い、多種多様な熊手が一面を埋め尽くして異様な熱気にあふれています。
そして、花園神社の酉の市の最大の特徴といえば「見世物小屋」があること!
今では全国的にも珍しくなってしまった、奇妙で不気味なパフォーマンスが披露されています。ぜひ一度体験してみてはいかがでしょう。
出場口への参道にはグルメ屋台も並び、食欲をくすぐる良い匂いが漂います。都心にいることを忘れ、異世界にきたような気分になれる新宿・花園神社の酉の市。今年2023年も通常通り開催される予定です。
現地はどんな様子なのか、気になる見世物小屋のショーの内容などは下記のレポート記事でぜひご覧ください!今年の開催に関する最新情報は念のため花園神社公式サイトなどでご確認を。
◎府中 大國魂神社
広大な境内に自然の緑あふれる府中市の大國魂神社は、1900年もの歴史を持つという武蔵国の総社。「くらやみ祭」や「すもも祭」など、多くの祭りが行われていることでも有名です。
酉の市は、境内社の大鷲神社のお祭りとして行われます。他の酉の市と同様に、参道にはたくさんの提灯が飾られ、熊手店が境内に立ち並びます。
熊手は人の身長より大きい物から、500円で手のひらサイズでも縁起物がたくさんついて充実のミニ熊手まで実にバラエティー豊か。
コロナ禍で数年はグルメ屋台の出店はありませんでしたが、2022年はついに復活。今年2023年は未発表ですが期待してもよさそうです。熊手選びの後や、熊手選びの合間の休憩に楽しんでみてはいかがでしょう。
昨年の詳細な現地レポートと今年の開催概要は下記でご確認を!
現地の様子は下記の過去のレポート記事をご参考に、お出かけ前には今年の開催概要を府中観光協会の案内ページや、大國魂神社公式サイトなどでをあらかじめご確認ください。
おわりに
今回は、11月の風物詩「酉の市」の由来や発祥地、関東三大酉の市と呼ばれる3つの酉の市についてご紹介しました。三大酉の市以外にも、東京の各所で酉の市が行われています。主な開催神社を網羅した下記記事をぜひご覧ください。
また、起源や発展した場所が関東にあるため、関東地方限定のお祭りのように感じられるかもしれませんが、実は愛知や大阪でも行われている酉の市。お近くの神社でもやっていないかチェックして、ぜひ訪れてみてはいかがでしょう。