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獅子舞の大行列!なぜこんなに盛ん?常陸國總社宮例大祭(石岡のおまつり)を支える仕組みとは?

2022/9/27
2022/9/27
獅子舞の大行列!なぜこんなに盛ん?常陸國總社宮例大祭(石岡のおまつり)を支える仕組みとは?

巨大な獅子舞が大行列をなし、町を練り歩く常陸國總社宮例大祭(石岡のおまつり)。茨城県石岡市で開催されるこのお祭りは、日本全国でもひときわ大きい獅子舞が数多くみられるという特徴がある。そのデザインや舞い方の違いを見ながら、なぜこれだけお祭りが盛んな街になったのかに迫ってみたい。

訪れたのは2022年9月19日、石岡のおまつりの還幸祭(かんこうさい)。御仮殿(おかりでん/おかりや)から常陸國總社宮まで、神輿とともに練り歩く獅子舞の姿は圧巻だった。その当日の様子とともにお届けする。

石岡のおまつりとは?

もともと常陸國總社宮の最も重要な祭りとして、例大祭が行われてきた。この例大祭に江戸時代以降、様々な要素が加わり、今日まで発展してきたのだ。

例えば、江戸時代の延享年間(1744~47年)に奉納相撲が始まり、江戸時代後期以降に現在の石岡市旧市街で行われてきた愛宕祭、天王祭などを賑わせてきた冨田町のささら、土橋町の大獅子などが例大祭に合流した。地域経済が発展した明治時代前半には、豪華な出し物が街中を賑わせる、現在の石岡のおまつりの基礎が固まったとされている。

石岡駅改札前に設置された石岡のおまつりの案内

現在は毎年9月15日に例祭が行われた後、敬老の日を最終日とする3日間の連休を含めて開催されている。
その3日間の日程では、まず土曜日に神幸祭(じんこうさい)が行われ、大神輿が出御して御仮殿に鎮座する。日曜日は奉祝祭(ほうしゅくさい)が行われ、奉納相撲や染谷十二座神楽、巫女舞、奉納相撲など様々な神賑(かみにぎわい)の行事が行われる。そして月曜日は還幸祭が行われ、大神輿は御仮殿から本殿へと戻る。これら一連のお祭りのことを常陸國總社宮例大祭と呼び、石岡のおまつりの愛称で知られている。祭り当日は日本全国から数十万人の観光客が訪れるほどに賑わいを見せる。

神輿が御仮殿から常陸國總社宮へ

それでは、2022年の石岡のおまつりの最終日、還幸祭の様子を振り返っていこう。

まず、御仮殿から神輿が出発する。御仮殿は、常陸國總社宮の全36町の氏子区域のうち15町が、1年交代で1町ずつ「年番町」となり、御祭神をお迎えする大役を担い御分霊を歓待させていただくために設ける社のこと。この「年番町」に関しては後ほど詳しくご説明したい。

今年の年番町は中町だ。2時になるといよいよ神輿のスタート!ゆさゆさと揺れる大神輿の周りは熱気に包まれ、大勢の人だかりができていた。

御仮殿を出発する大神輿

行列の中のサルタヒコ

巨大な幌獅子の大行列!

神輿が通りすぎると、そこからは供奉行列が始まり、そこに数多くの獅子が登場する。例年と比べ新型コロナウイルス蔓延の影響で獅子で練り歩く町内の数が少ないものの、15町の獅子舞が順々に見られて圧巻であった。それぞれの獅子舞についてデザインの違いを見ていきたい。

こちらは神輿のすぐ後を進む冨田町のささら。このお祭りでは唯一のささらであり、これから続いていく獅子舞と比べると大きく姿形が異なる一人立ちの三匹獅子舞だ。太鼓を鳴らしながら進んでいく。

冨田町のささら

次に獅子舞が続いていく。獅子頭や幌(胴体)の形や大きさ、デザインなどに着目していただきたい。獅子舞行列は格式高い歴史ある土橋町から始まる。

土橋町の獅子舞

泉町の獅子舞

宮下町の獅子舞

國分町の獅子舞

正上内の獅子舞

貝地町の獅子舞

元真地町の獅子舞

山王台町の獅子舞

ばらき台町の獅子舞

さて、獅子舞の違いが色々と見えてきただろうか?

獅子頭には角ありと角なしがあり、髪の毛は馬の毛を使うことが多く白や茶など色の違いがある。また、獅子頭の大きさも様々だ。一方、幌の方は縦ラインが多いが色や模様に違いがありバラエティに富んでいる。

町それぞれに個性があるように、一つとして同じデザインはない。総じて獅子舞は大きく、その分多くの担い手を必要としているように感じられた。こちらの動画では、獅子舞の行列の様子をまとめているので、ぜひ動きの違いなどもご覧いただきたい。

獅子頭が店頭で買える、獅子舞に親しみ深い街

街中を歩いていると、獅子頭が様々なお店に飾られていることに気がつく。石岡のおまつりでは獅子頭を各所で販売しており、1万円程度のものから数十万円するものまで、店頭で購入することができるのだ。

御仮殿のある中町通りでは、常陸獅子伝修館が獅子頭を出店していた。

地域の方々が丁寧に彫ったものが並べられていた。桐材が使われていて、塗りはカシューを使っているという。一つ一つ表情も違っていて、手作りの良さが出ている。全国的に見れば、加賀獅子など高価な獅子頭も多く、そういう意味では石岡の獅子頭は手軽に購入できるのが良い点かもしれない。

様々なデザインの獅子頭

年番制度って何?祭りが盛んになる秘訣①

さてここからは、獅子舞が大きく担い手も多くて盛んなことからもわかるように、なぜ石岡のおまつりは活気があるのか?を考えながら、住民参加の仕組みに迫っていきたい。実は石岡市街には、祭りを盛り上げる「年番制度」や「相町(あいちょう)」といった相互扶助の仕組みがある。

まず年番制度とは、常陸國總社宮の全36町の氏子区域のうち15町が、1年交代で1町ずつ「年番町」となって御祭神をお迎えすることで、その仕組みは現在の石岡市で行われてきた天王祭に起源がある。

天王祭は昭和初期に常陸國總社宮に合祀された天王社のお祭りで府中4組で年番町をまわしていた。明治35年には現在の石岡のおまつりの年番制度が整えられ、15町で以下のような順番で年番町をまわすことになった。これは獅子舞を持つ町とも重なる。

1.森木町 2.大小路町 3.土橋町 4.木之地町 5.金丸町
6.守横町 7.冨田町 8.仲之内町 9.宮下町 10.青木町
11.幸町 12.國分町 13.中町 14.若松町 15.泉町 16.香丸町
(木之地町はのちに辞退)

年番町である中町の拠点

2022年は13番の中町が年番町である。年番町になると、年間を通じて神社へ奉仕活動を行うとともに、石岡のおまつりの際に、常陸國總社宮の本殿から御分霊を御仮殿にお迎えして、人々の歓待を受ける場を設けるという大役を務める。

年番町になると、いつにも増して一年の時間の流れが祭りを中心に回り始め、地域の人々のにぎわいの場である祭りを意識しながら過ごすことになるのだ。

相町って何?祭りが盛んになる秘訣②

他にも「相町」という仕組みがあり、特に関係が深い町同士をこう呼ぶ。例えば、森木町と香丸町、大小路町と守横町、土橋町と仲之内町という風に、相町が存在するのだ。このように結びつきの強い町が存在することで、年番の年などは特にお互い祭りの成功のために協力しあったり、年番の年以外でもお互いの町をよく訪問して関係を深めたりするようだ。

日本全国の様々なところでこのような協力関係は見られて、例えば盆踊りの時に隣町まで遊びに行ったり、獅子舞の人出が足りないからということで助っ人に入ったりというのはよくある話だ。ただ、「相町」という形態で秩序だった協力関係を結ぶ仕組みを持つ地域というのは、そう多くはないだろう。

町同士の絆を深める仕組み

このように、年番制度や相町といった町の関係性が深まる仕組みがあることで一致団結でき、石岡のおまつりは今日の盛り上がりを見せている。
一般的には富裕層がいる町は祭りが豪華になるとか、港町は荒々しく威勢が良い祭りになるとか、祭りが盛り上がるには様々な背景があるだろう。その中でも、このような町の関係性が深まる仕組みに着目してみるのも面白い。祭りで一斉に巨大な獅子舞の大行列ができることも、この町同士の絆があってこそである。

ちなみに2021年4月に私が書いた下記の記事では、オフシーズンに石岡を歩いてみてなぜ獅子舞が盛んなのかを考察している。石岡の獅子舞に興味を持った方は、ぜひこちらの記事もご覧いただきたい。

参考文献
石岡市観光協会ガイドブック『石岡のおまつり』(令和4年8月発行)

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