祭礼などで庶民に受け継がれてきた舞や踊りの「民俗芸能」を、日本人の豊かな心と風土が生んだ芸術「ジャパンアーツ」と捉えて学ぶ連載の第二回をお届けします。
初回は、日本の民俗学の祖である柳田國男、折口信夫の両氏についてまず知り、近代以前に地域の風習の記録に情熱を注いだ菅江真澄、鈴木牧之の二名の活動にもふれました。そして最後に、上世からの各時代の文化と芸能の例、ならびに民俗芸能の14分類の提示もありました。
今回は分類の各論に入る前に、日本の祭礼と民俗芸能を理解するうえで重要な「季節」の話です。
日本では季節によって祭りの対象となる神様が異なる傾向があって、民俗芸能の形態も変わってくるのだそうですが、一体どういうことなのでしょう?今回も、大学で民俗芸能学の講師を務める山崎敬子氏に解説していただきます。
山崎敬子(やまさき けいこ)
1976年生まれ。実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から三隅治雄・西角井正大両先生から折口信夫の民俗芸能学(折口学)を学び、全国の祭礼を見て歩く。
現在、玉川大学芸術学部や学習院大学さくらアカデミーなどで民俗芸能の講座を担当しているほか、(一社)鬼ごっこ協会・鬼ごっこ総合研究所、(社)日本ペンクラブ、(株)オマツリジャパンなどに所属し地域活性事業に取り組んでいる。ほか、日本サンボ連盟理事。著書に『にっぽんオニ図鑑』、共著に『メディアの将来像』など多数。
アニミズムと祭り
今回は、日本各地に多く存在する民俗芸能が、なぜそれだけ多く存在するのか…について、のお話を。
現代に入り、観光として脚光を浴びている祭礼や民俗芸能だが、前回、「膨大な民俗芸能は地域の春夏秋冬の年中行事に沿って行われる。むしろ、この季節が大事になっている」と書かせていただいた。正しくは、春夏秋冬の「節目」に行われることが多く、この「節目」は現代社会の私たちの生活のサイクルをも支える感覚でもある。
春夏秋冬からなる「四季」は、それぞれ「季節」ともいい、季の「節目」ごとに「春」「夏」「秋」「冬」がある。その四季を支える自然の中に様々な神や精霊がいると信じてきたのが日本である。この概念自体は世界にも存在しており、このような信仰をアニミズム(animism。animaはラテン語で霊魂の意)という。日本語としては「自然信仰」「精霊信仰」などと表現される。
古代日本においては、そのような霊的な存在については、カミ(神)以外にも名称があり、折口信夫は「日本の古代の信仰の方面では、かみ(神)と、おに(鬼)と、たま(霊)と、ものとの四つが代表的なものであった」と記している(『鬼の話』/「古代研究 民俗学篇第二」大岡山書店/1930(昭和5)年6月20日発行)。
カミの語源については明確な定説はなく、古代の万葉仮名では「迦微」、「柯微」、「可未」などとも記されている。漢字は異なれども音は「カミ」。現在の神概念では「カミ」が最も一般的な言葉になっていると思われるため、以後は「カミ」とまとめて表現する。
カミが示す自然と、自然界がもたらしてくれる実りに対し、古来日本人は期待と祈りを込め、お伺いを立てて暮らしてきた。お伺いを立て、その自然と共に暮らすことで地域的・精神的な関係(時に血縁的にも)が結ばれ、それが村落共同体的な行いとして「祭り」を生んだ。
「祭り」とは、「まつろう」「たてまつる」などの語がルーツであり、要するにカミに対しお伺いを立てることであった。
カミとシャーマニズム
神や精霊と直接交わる宗教的職能者シャーマン(shaman)による宗教形態をシャーマニズム(shamanism)という。日本語では「巫覡(ふげき)」と書き、シャーマン的職能者を巫者、巫師、巫術師など、シャーマニズムを巫術、巫道、巫教などと記すことが多い。
日本では「巫女」が知られている。神霊に奉仕する女性(童女含む)たちで、神職の下にあって祭典の奉仕や神楽を行うものと、民間にあって神霊や死霊の口寄せなどを営む呪術的祈祷をおこなうものの2つの系統がある。
後者では青森県のイタコや沖縄県のノロが有名だろう。前者については古代日本の歴史を紐解くと、邪馬台国 の女王卑弥呼 や「斎宮」の起源となった垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)などがシャーマンとしての姿を今に伝えている。
季節と祭り
カミと自然。そして自然が織りなす四季。四季とは気候の変化を4つに大別したものだが、気候の変化が我々の生活において何をもたらすかを想像すると、四季の「春」「夏」「秋」「冬」の語源と合わせて、四季が祭りと大きくかかわっていることに気が付く。
語源ととしては、冬と夏は「冷ゆ(ひゆ)」、「暑(あつ)」からの転訛とする説もあるが、以下のような農耕文化を育んだ日本風土らしい語源説がある。
春=張る…大地から命の芽が張りだす
夏=生る(なる)…命が育つ
秋=飽き…穀物などの収穫が飽き満ちる
冬=殖ゆ・増ゆ…大地の中で命が殖えるつまり、稲を筆頭にした農作物の種子のサイクルである。農耕民族としては四季の気候がもたらす実りのサイクルが重要で、その実りこそカミに願う祈りであり、祭りとなった。
ゆえに四季ごとに祭りがあるが、先の折口信夫は、夏祭りは新しい祭りで、もともとは秋・冬・春の祭りが古くにはあったと語っている。
「四季の祭りの中でも、町方で最盛んな夏祭りは、実は一等遅れて起つたものであつた。次に、新しいと言ふのも、其久しい時間に対しては叶はないほど、古く岐れた祭りがある。秋祭りである。此も農村では、本祭りと言つた考へで執行せられる。此秋祭りの分れ出た元は、冬の祭りであつた。だが、冬祭りに二通りあつて、秋祭りと関係深い冬祭りは、寧、やつぱり秋祭りと言つてよいものであつた」
「最古い形になると、春祭りと背なか合せに接してゐた行事らしいのである。だから冬祭りは、春祭りの前提として行はれた儀式が、独立したものと言うてよい。でも時には、秋祭りの意義の冬祭りと、春祭りの条件なる冬祭りとが、一続きの儀礼らしくも見える。」
――『ほうとする話 祭りの発生 その一』古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店/1929(昭和4)年4月10日
あくまでも折口の考えではあるが、たしかに秋・冬・春と夏では祭礼の対象となるカミの性質が異なる傾向がある。
秋・冬・春の祭りと芸能
稲を刈り上げ農耕の恵みに感謝する秋、命(種子)が大地に落ちて大地の中で息づき増える冬と、その中で迎える新年、そして命張り出す春。この期間には恵みをもたらすカミに感謝し、そして自然の恵みが増えることを祈る祭りが行われる。
代表的な祭礼でいうなら、全国の神社で行われる祈年祭(2月)と新嘗祭(11月)だろう。祈念祭で実りを祈り、収穫の時期に新嘗祭で感謝するのだ。
ここにおいてのカミは実りをもたらす良い存在であるため、迎える意識が強い民俗芸能が生まれた。代表的なものとしてカミを迎えて行う芸能「神楽」や、田の神への芸能「田遊び」などがあげられる。
田遊びではその年の実りや子孫繁栄を祈り、稲作の作業を始まりから収穫までをあらかじめ一通り演じて順調に稲が実るようにカミに祈願する。この祈りの心を「予祝(よしゅく)」という*。
*ここでいう予祝は、個人が自分のために願うものではなく、地域で生きる人々共通の祈りの呪術を指す。
夏の祭りと芸能
◇祇園信仰と御霊信仰
では夏は…?と思われるであろう。メディアが必ず報道し、インバウンド的にも有名な夏の時期の最大の祭礼、京都の「祇園祭」を思い出してほしい。あるいは全国各地で老若男女が踊る民俗芸能「盆踊り」を。
夏は台風や雷、熱さによる病など、自然災害や疫病の可能性が高い時期である。古来、日本人は自然災害や疫病など自分たちの生活を脅かすそれらをもたらすナニかがいると考えた。そのナニかを怖れる心を「御霊(ごりょう)信仰」と呼ぶ。
実りをもたらす良い存在とは別のものと考え、個人や社会にたたり、災禍をもたらす死者や霊的な存在が災厄をもたらすと考えた。そして、彼らを祀り、おもてなしをして気持ちをなだめて災厄を起こさないように願うようになった。
自然災害をもたらすカミとして、この信仰と並行して平安時代に定着したのが祇園神スサノオノミコト(仏教の釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神・牛頭天王とスサノオノミコトが習合した信仰)である。
スサノオノミコトの神話「蘇民将来」が民間に浸透し、茅の輪を付けた人間は災害を免れる…として茅の輪くぐりや、祇園祭、そして笹の葉で作られた厄病・災難除けお守り「粽(ちまき)」などが全国に広がっている。
蘇民将来の神話
武塔神が求婚旅行の途中宿を求めたが、裕福な弟将来はそれを拒み、貧しい兄蘇民将来は一夜の宿を提供した。後に再びそこを通った武塔神は兄蘇民将来とその娘らの腰に茅の輪をつけさせ、弟将来たちは宿を貸さなかったという理由で皆殺しにしてしまった。武塔神は「吾は速須佐雄の神なり。後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と言って立ち去った。
「御霊」はタタリ神という言葉のほうが知られているかもしれないが、さておき、日本最大級の御霊としては、全国の天満宮にまつられる菅原道真や、神田明神にまつられる平将門が有名だが、地域限定の信仰としては宇和島藩士の山家清兵衛を祀る和霊神社も知られている。
疫病が流行し、病害虫がはびこるとして恐れ、また、それを鎮めるために祇園神や御霊に期待をするようになった、その季節が、主に夏だったのである。災厄を送り出したい意識で行う「送りの芸能」が目立つのが夏といえる。
◇祖霊信仰と無縁仏
しかし、夏といえば「お盆」。ご先祖や新仏(亡くなって1年目の霊魂)が来る季節では?と思う方も多いかと思われる。
柳田國男は「日本人の死後の観念、即ち霊は永久に、この国土のうちに留まって、そう遠方へ行ってしまわないという信仰が、恐らくは、世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられている」(『先祖の話』/柳田國男全集 15/筑摩書房/1998/9/1)と述べているが、現在においても、人は死後に祖霊(祖先)となり、さらに祖先神としてこの世で生きる子孫の生活を見守っている。そして先祖はあの世からお盆に帰ってくる…とうっすらと信仰されていると思われる。
このような祖先への心を「祖霊(それい)信仰」と呼ぶ。
ただし、である。日本人はきめ細やかに物事を考える民族性がある。お盆の時に、先祖以外にも、子孫が祀ってくれない霊魂もかえって来るとも考えた。そのような子孫との縁がない霊魂を「無縁仏」と呼び、彼らのタタリも恐れたため、彼らのための棚を整えお供えをする地域も各地にみられる。
盆踊りは、迎えた一族や家族の霊、迎えてはいないけど来てしまった霊魂…これらこの世に来た霊魂をもてなし、そしてまたあの世に帰っていただく芸能としても発展した芸能である。これも「送りの芸能」である。
季節と年中行事とカミ
自然界の実りと四季、そして時期ごとに意識する霊的な存在の変化が様々な祭礼文化、民俗芸能を育んだ。そして、それらは四季サイクルの中で、毎年、一定の時期に慣例として行われる年中行事となり、地域社内の地縁、信仰縁、血縁と密接に絡んで継承されてきた。
長い歴史の中で、日本古来の素朴な信仰のほか、神道、仏教、陰陽道、そして山岳宗教(密教)や神仏習合、潜伏キリシタンや隠れキリシタン…さまざまな信仰形態が発生・発展してきたが、祭りを見ると、日本古来の素朴な心が今も私たちの中に息づいていることに気が付くだろう。
そのような日本の四季と日本の心が生んだ様々な民俗芸能。次回からは分類ごとに紹介をしていきます。